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9 誘拐未遂事件について

 診察室にて、朝乃は医師と面談した。結果、退院許可はあっけなく出た。さらに看護師からは、十二時までに病室から出ていくように指示される。朝乃が診察室から出ると、廊下の長いすでは功が待っていた。

「お待たせしました。退院していいそうです。通院の必要もありません」

 功は、よかったと言って笑う。

「まずは病室へ戻ろう。俺の荷物を片づけなくてはならない」

 功は朝食後からずっと、丸テーブルの上にノートパソコンを二台広げて仕事をしていた。その間、朝乃は情けないことに、一時間ほどベッドで寝ていた。おかげで元気だ。

 朝乃と功は廊下を歩き、エレベーターを目指す。限られた人しか入れない特別病棟なので、誰ともすれちがわない。防犯カメラが目立つところにある。

「病院を出たら、管理局へ行こう。君の亡命申請は中途半端なところで終わっているからな。それから管理局での誘拐未遂事件について、警察が君にも事情を聞きたいと言っている」

「はい」

 意外に朝乃は、いそがしいらしい。しかし警察に、何をどう説明すればいいのか。朝乃の超能力で、ピンチを切り抜けたことにしないといけない。が、ぜんぜん記憶がない。朝乃は悩みつつ、功とエレベーターに乗った。

「田上さんから聞いたが、亡命申請を出したら、君は浮舟の児童養護施設、――要は孤児院のようなものだ、に入ることができる」

 つまり朝乃は、浮舟でも日本と同じような生活ができるらしい。朝乃は多少、安堵した。住む場所があるのは、ありがたいことだった。エレベーターから降りると、朝乃たちは病室へ向かって廊下を歩く。功が奇妙に黙ったので、朝乃も無言になる。

 病室へ入ると、功は丸テーブルのいすに腰かけた。テーブルの上には、ノートパソコンとスナック菓子とコップが置きっぱなしだ。功は朝乃にも座るように促して、改まった様子でしゃべりだした。

「さきほどの話の続きだが、君の場合は児童養護施設に入るより、頼りになる保護者を見つけて、そこの家で生活した方がいいだろうと田上さんは言っていた」

「はい」

 朝乃は返事する。しかし朝乃の面倒を見てくれる保護者など、いるのだろうか。

「で、俺と田上さんとドルーアで話し合って、俺が君の保護者に立候補することにした」

「え?」

 予想していなかった話の流れに、朝乃はとまどった。功は真剣な顔をしている。

「俺の家に、養子として来てほしい」

 朝乃はうなずけなかった。孤児の朝乃にとって、おいしい話のはずなのに。日本では、裕福な家の養子になることを夢見たこともある。実際に才能の感じられる子どもには、新しい親ができて孤児院から出ていけるものだ。

 朝乃は功が好きだし、信頼もしている。功の子どもがうらやましい、と思ったこともある。けれど、そのような大事なことは、裕也と相談してから決めたい。いや、功にあこがれている裕也は、ふたつ返事で承諾するだろう。

(功さんの申し出に、はいと答えるべきだ)

 朝乃の理性は、そう判断した。なのに、できない。急なことに、気持ちがついていかない。自分の両親は、死んだお父さんとお母さんだけだ。朝乃が子どもとして甘えたいのは、彼らだけ。そんなセンチメンタルな気持ちが、驚くほどに大きかった。

「俺も俺の妻も、君を大切にする。もしも裕也君が見つかれば、彼にも養子になってほしい」

 朝乃はこまって、視線をテーブルのあちこちにさまよわせた。

「でも、ご迷惑ではありませんか?」

 かぼそい声でたずねる。朝乃たちは、わけありの双子だ。ドルーアは家を壊された。信士とジョシュアは、大きなけがをした。功も、どんな危険な目にあうのか分からない。

「安心しろとまでは言えないが、君をねらって悪いやつらが来ても、俺が全員、銃で撃ってやる」

 頼もしい声が、朝乃の頭上に降ってきた。事実、功はドルーアの家に侵入した男たちを倒した。

「お金に関しても、心配しなくていい。君の亡命が認められれば、未成年者である君には生活費が支給される。学校に通いたければ、教育費も出る。また俺たちの方でも、君を必要としているんだ」

 必要という言葉に、朝乃は顔を上げた。功は優しく笑う。

「前にも言ったが、今月末には赤ん坊が産まれる。だが俺も妻も、子育ては初めてだ。おむつの替え方も分からない。対して君は孤児院で、赤ん坊の扱いに慣れている。さらに料理も上手だ。だから俺たちは、助けあえるはずだ」

 ひとつの答に、朝乃の心は行きついた。朝乃は、功たちの役に立てる。首の座らない赤ん坊にミルクを与えることもできるし、洗濯も掃除もうまくこなせる自信がある。

 脳裏には、朝食前に会った信士と一郎の姿が映る。ふたりは仲よく、信頼しあっているように見えた。そのような関係に、朝乃と功もなれるはずだ。朝乃はほほ笑んで、深く頭を下げた。

「私を養子として受け入れてください。お世話になります」

「こちらこそ、よろしく。管理局へ行った後は、家に帰ろう。そこで妻のみどりを紹介する」

 功の声は、ほっとしているように聞こえた。朝乃が頭を上げると、彼はあたたかくほほ笑んでいる。こんなすばらしい人が今から、朝乃の保護者なのだ。今さらながら、うれしくなった。

「実は警察には、俺が君の保護者になるだろうと伝えている。だから警察は今日か明日にでも、君に会いに俺の家に来る」

 それから功は気まずそうに、ほおをかく。

「先走って申し訳ないが、翠がすでに君のためにベッドを購入し、部屋を用意している。……その、君の返事を待ってから用意すると、間に合わないから」

「いえ、ありがとうございます」

 朝乃は恐縮して、礼を言う。功は、朝乃が養子の話を受け入れると予想していたようだ。彼は、一安心したように笑った。

「じゃ、部屋の荷物を片づけて退院しよう」

 彼は、いすから立ち上がる。朝乃もいすから腰を浮かした。ところが、

「少しだけ待ってくれませんか?」

 自分がやらなくてはならないことを思い出した。

「私は田上さんにあいさつしてから、病院を出たいです」

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