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彼とシュークリームとかみ合わない会話

 村越朝乃 様

 さきほどは突然、家にお邪魔して、申し訳ありませんでした。あなたのメールアドレスを、裕也に教えてもらいました。お言葉に甘えて、あなたにメールを送ります。

 ここまで文章をデスクトップコンピュータのキーボードで打ってから、リゼは両手を止めた。何を書けばいいのだろう。

 直接会って話すのではなくメールで文章を送るのだから、リゼは英語を使っていい。受け取った朝乃のコンピュータが、日本語に翻訳するだろう。よって会話よりも気楽なものだ。

 でもリゼは、適当にメールを書くことはできなかった。なんせ、裕也の大事な姉に送る手紙だ。彼女は優しく温和な人だったが、リゼは少しのミスもしたくなかった。

(みっともないパジャマ姿で家に行ったことも、謝罪した方がいいかしら)

 しかもリゼは、頭に洗顔用のヘアバンドまでつけていた。髪もぼさぼさだった。思い出すたびに、ずどんと落ちこむ。なぜ、そんなだらしない姿でいたのか?

 あのとき、リゼは自室のベッドに寝転がって、ポータブルゲーム機でパズルゲームをしていた。親は朝から仕事に出かけていて、家には弟しかいなかった。着がえなさいとか、きちんとしなさいとか注意してくれる存在はいなかった。

 さらに昨日は、クララたち家族の亡命をサポートしたりひさびさに裕也に会ったりで、何かと気疲れした。だから今日は、ずっと家でだらだらする予定だったのだ。弟もそのつもりらしく、リビングのテレビでアニメを観ていた。

 そんなときに、裕也がやってきたのだ。瞬間移動でいきなり、リゼの部屋に現れた。リゼは彼のテレポーテーションには慣れているが、やはりびっくりする。

「何!?」

 リゼは、がばりとベッドから起き上がった。ゲーム機はベッドの下に落ち、……なかった。床に落ちる寸前でぴたっと止まり、ふわふわと飛んで、リゼの手もとまで戻ってきた。裕也の超能力だ。彼はいつも、こんな風にリゼを助ける。

「ありがとう」

 リゼはお礼を述べて、ゲーム機を枕もとに置いた。裕也は、沈んだ表情をしている。

「リゼは驚いた。俺は……。俺は、ごめんなさいと言うために、ここに来た」

 毎度おなじみの不慣れな英語だった。おそらく、俺のせいでゲーム機を落としたんだろ? ごめんな、と言いたいのだろう。

「ううん。気にしないで」

 リゼは明るく笑う。ベッドから離れて、裕也のそばに立った。リゼにとって、彼の訪問は喜ばしいことだった。しかしなぜ彼が来たのか分からなくて、はらはらもする。

「今日はどうしたの?」

 裕也の用事が想像つかない。昨日、リゼの家に忘れものでもしたのか。彼は迷った後で話し出した。

「俺はリゼに申し訳なく思う。つねづね。はるか昔から。とても、ごめんなさい。俺はリゼに悪いことをした。何度も何度も。したがって、俺は謝罪するべきだ」

 真剣な顔をして、右手に持っていたかわいいデザインの箱をそうっと差し出す。リゼは、どうすることもできずに困った。

 なにゆえ裕也は謝っているのか。何についての謝罪なのか。この箱は何だろう。パンダのイラストが描かれている。中国のお土産か? お菓子が入っていそうだ。つまり、もらえばいいのか。

「このお菓子はおいしい。これは中国で人気がある。俺は君のために、それを購入した。食べて楽しもう」

 裕也は、みけんにしわを寄せて話した。そんな顔で言う内容ではない。だが彼は基本、根暗だ。リゼはよく分からないが、箱を受け取る。箱を開けると、シュークリームが六つ入っていた。

 甘いにおいに、リゼはうれしくなる。昨日、リゼたち家族が、裕也とクララたちに菓子や茶などを振るまったお礼だろうか。裕也は、ほっとした。

「朝乃が俺に、リゼに菓子を与えるべきと言った。謝罪のために」

 彼のせりふに、リゼは顔をゆがめる。天国から地獄へ落とされた気分だった。そのときのリゼは、朝乃を裕也の恋人と思っていたのだ。ちなみに一年間ぐらい、このかんちがいは続いていた。

 ただ、裕也と話していて変だなと思うことはあった。それに姉の名前ぐらい、アメリカ軍でいつでも調べることができた。けれどリゼは、おろかなかんちがいをし続けた。

「世界で一番、重要な人物は朝乃だ。俺にとって。なぜなら彼女は、唯一無二の存在だ」

 たどたどしい英語で、裕也がそう言ったからだ。リゼの思いこみの中では、朝乃は、日本で暮らしている裕也の恋人だった。料理上手で心優しい女性だった。

 一方、リゼは、裕也がアメリカ軍にいる間だけの浮気相手だ。それも裕也はあいまいな態度で、リゼは自分たちの関係が何なのか分からなかった。

 そしてリゼも裕也もアメリカ軍から去った今、朝乃は裕也に、リゼとの関係を清算するように要求したのだろう。シュークリームは、慰謝料か手切れ金みたいなものだ。

「こんなもの、いらないわ!」

 リゼは怒って、菓子の箱をつきかえした。裕也は、黒色の両目を丸くして受け取る。

「私は朝乃が大嫌い!」

 リゼはどなった。どなっているが、できるだけシンプルな英語を使い、ゆっくりとしゃべっている。そうしないと、裕也が英語を聞きとれないのだ。

「裕也のことも嫌いよ」

 ぼろっと、目から涙がこぼれた。裕也はおろおろとする。彼はいつも、リゼが泣くとろうばいする。しかしリゼは裕也の前で、しょっちゅう泣いていた。

 アメリカ軍にいたとき、裕也もリゼも戦場に何度も駆り出されて、目先のことで手いっぱいだった。いつ自分が、もしくは相手が死ぬのか分からない。ふたりとも常に、気持ちは荒れていた。裕也がどなったこともあったし、リゼが裕也をなぐったこともあった。

「お願い、やめて。ナイフで切るなら、私の手にして」

 裕也の自傷行為を、リゼが泣きながら止めたこともあった。彼の左手首には、目立たなくなったとはいえ、痛々しい傷あとが複数、残っている。その一方でリゼは戦場で、いくたびも裕也に命を救われた。

 今、思いかえせば、荒波の中でただよう小舟のような恋だった。激しく不安定で、明日のことが見えなかった。リゼは裕也を愛していたが、自分勝手な彼を憎んでもいた。裕也に感謝していたが、誰よりも強い超能力を持ち、それを自在に操る彼をねたんでもいた。

「私はあなたを愛している。なのに裕也は、ひどいことを言う」

 リゼは、パンダの箱を持ち途方に暮れる裕也を責めた。その後で鼻水がたれてきたので、棚の上からティッシュを取って鼻をかんだ。涙もティッシュでふいてから、またしゃべる。

「二番目でいいから、私を捨てないで。たまにでいいから、私にも会いに来て」

 朝乃を捨ててくれ、とは言えなかった。リゼは過去に一度、裕也にそうお願いしたことがある。そのとき裕也は、本気で怒った。あんなにも激怒した彼を見たのは初めてだった。だからけっして、朝乃と別れろとは口にできない。

 裕也は困っていた。多分、英語が理解できていないのだろう。彼は日本語で、ぼそぼそと話した。

「俺は嫌われて当然だけど、朝乃は……。なぜリゼは、朝乃を嫌うんだ? 会ったこともないのに」

 リゼは、彼が何を言っているのか聞きとれなかった。朝乃という単語は拾えたので、恋人の話であることは分かったが。リゼは裕也と付き合い始めてから、――つまり去年の六月ごろから日本語を勉強している。だが、なかなか上達しなかった。

 そもそも日本語を話す人は、リゼの周囲には裕也と木下トキオしかいなかった。トキオは、日本からやってきた超能力の研究者だ。裕也とは親しい。彼らはふたりで話すときは日本語を使うが、それ以外では英語で話していた。

「泣かないでください。俺は、悪い男の子。ごめんなさい」

 裕也は、今度は英語でしゃべる。しゃべりながら、一生懸命に言葉を探している。

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