97話─忍び寄る因縁:救援
『や、やだ……こないで、こないで……』
「あ~? 聞こえないわね、散々シツケしてあげたのを忘れたのかしら? 相変わらずまともに話すことが出来ないのね、お前は。いつまで経ってもまあ……変わらないゴミね」
「う、あ……」
忘れたくても忘れられない、忌まわしい存在。聞きたくなくても耳に入ってしまう、背筋が凍り付く声。そして……遙か上から見下す冷徹な瞳。
それら全てが、遙か遠き記憶の彼方へと消え去ったはずの過去を思い出させる。冷や汗が吹き出し、長らく出していなかった肉声が思わず漏れる。
「う、ああ、あ……」
「ユウ、くん……? ユウくん、逃げるんだ……あいつはとんでもない能力を……。うぐっ、持っている。一人では、対抗出来ない……」
「み、みさ、ミサキさ……」
「逃がすとでも? 甘いわね、二人揃ってここで仕留めるに決まってるでしょ。仲良く魂を消滅させてあげる。それでやっと、私は過去を清算……?」
ユウの声に気付き、意識が薄れつつあったミサキが僅かに力を取り戻す。すぐに逃げろと伝えるも、魔夜は当然二人を逃がすつもりはカケラも無い。
ユウは完全に恐慌状態に陥ってしまい、戦うことも逃げることも不可能。万事休すか……と思われた、その時。どこからともなく、哀愁を誘う尺八の音が聞こえてくる。
「なに? この音は。不愉快ね、一体誰が……?」
「!? だ、だ、だれかき、き、来た……?」
どもりながらも、ユウはそう呟き音のする方を見る。やって来たのは、藤色の和装と藁の笠を身に着けた虚無僧姿の謎の人物だった。
「お前、何者かしら。とりあえずその耳障りな音色を止めなさい。さもなくば」
「さもなくば、あっしを殺す。そうでやしょう? 姐さん。いや……魔夜」
「!? その声……まさかお前は!?」
「おっと、あっしはムダ話はしない主義でしてね。それはアンタがよく存じておりやしょう。というわけで、今回はおさらばさせていただきやす!」
声と話し方から虚無僧の正体に気付き、愕然とする魔夜。その隙を突き、謎の虚無僧は尺八をダーツのように投げ付ける。魔夜は叩き落とそうと薙刀を振るう。
が、尺八を両断した瞬間もうもうと白煙が吹き出して視界を覆ってしまった。煙が消える頃には、すでに虚無僧とユウたちの姿はどこにもなかった。
「逃がした、か。まあいいわ、あの生ゴミを捻り潰す機会はいつでもあるし。一旦帰ってレオンとやらと合流しましょ」
まんまと逃げおおせた虚無僧たちに舌打ちしつつ、魔夜は追撃を諦め撤退する。土地勘も何もかも無い以上、追跡したところで自らを危険に晒すだけ。
迂闊に敵のテリトリーに踏み込んでも百害あって一利無し。その判断の元、魔夜は放り投げた般若の面を拾い上げ姿を消す。一方、ユウたちはというと……。
「ちょっと、何があったのユウくん!? ミサキ、一体どうしたの!?」
『シャロさ……み、ミサ、ミサキさんが……。う、ふええ……』
「ひでぇな、何があったらこんなに衰弱しちまうんだ? ユウ……の横にいる変なの、あんた何か知ってんじゃねえか?」
「ムー……怪しい気配ビンビン。ゆーゆーたちを連れてきてくれたノデ、敵というわけではなさそうデスが……。いや、とにかく今はミサミサの治療デスマス!」
魔夜の元を離れ、少し冷静さを取り戻したユウの案内の元アパートにやって来た謎の虚無僧。そこまではよかったが、仲間の顔を見て安堵したユウが泣き出してしまう。
とりあえずブリギットがミサキの診察、チェルシーがユウの相手をするため奥へと引っ込む。一人残ったシャーロットは、リビングにて虚無僧の話を聞くことに。
「……なんですって!? ユウくんの前世の母親が現れた!?」
「左様。あの女ァ、ぼ……ユウのことをえらく憎んでおりやしてね。近いうち、また襲撃を仕掛けてくるのは明白でしょうや」
「……なんてこと。運命はどこまで……あの子を苦しめるつもりなのかしら」
前世でのユウの母が、転生して異邦人となりかつての息子を殺しに来る。あまりにも救いのない、憎悪に塗れた魔夜の執念にシャーロットは絶句してしまう。
「……ところで。貴方、もしかしてユウくんの言ってたアストラルK……なのかしら。そうでもないと、こんな都合のいいタイミングで……え?」
「お控えなすって。手前、生国と発しまするは宇都宮の生まれ。姓はカトウ、名はケンゾウ。人呼んで【鬼討ち】のケンと申しやす」
「え、あ、はい? そ、そうなのね……とりあえず、味方……でいいのかしら?」
「左様にござんす。あっしは神さんのお慈悲を受け、前世で守れなかったユウぼっちゃんを今度こそ守るため……アストラルなにがしに生まれ変わり、馳せ参じた次第にございやす」
絶句しながらも、シャーロットは虚無僧の正体を確認するため質問を……しようとしたところで、虚無僧はソファから立ち上がる。仁義を切り、自らの名と目的を伝えた。
その後、虚無僧……憲三は語る。前世で果たせなかった悔恨。ユウが死ぬのを止められなかった、己の罪。その贖罪を果たそうと行った、ささやかな抵抗の末の惨死。その全てを。
「あっしは、前世ではぼっちゃんの母親……北条魔夜に代々仕えるヤクザの若頭を務めておりやした。戦国時代、北条家に仕えた忍び風魔党を前身とし……」
「あの、その話前置き長くなる感じかしら」
「っと、すいやせん。つい前置きを長々話しちまうクセがありやして。堪忍してつかぁさい」
「まあいいわ。それで、そんな貴方はユウくんとどんな関係だったのかしら?」
「……直接の関わりはありやせん。あっしの仕事は、カメラをチェックしてぼっちゃんが部屋から逃げないか監視すること。ぼっちゃんと関わることは禁止されておりやした」
「それは……どういうこと?」
憲三の言葉に、シャーロットは疑問を抱く。ただの一度もユウと会ったことは無いと言われたのだから、もっともなことだ。そんな彼女に、憲三は答える。
「魔夜は自分一人の力で、ぼっちゃんを完璧な存在に矯正すると……それが終わるまで、他の誰にも接触させず存在を知らせない。そうあっしに伝えてきやした。あっしだけは、信頼する部下だから監視を任せると」
「……呆れるわね、あの女。その矯正とやらのせいで、ユウくんは……!」
「あっしも……カメラを通してその現場を見てやした。当時のあっしには……恐怖がありやした。魔夜は自分の意に反したり、期待に添えなかった者を残虐な方法で殺しやす。あの時のあっしは……自分がそうなるのが怖くて、何も出来やせんでした」
「……そうだったのね。私には……貴方を責められないわ」
数々の修羅場をくぐり抜けてきた、歴戦のヤクザである憲三ですら恐れるほど……魔夜のやり口はえげつないものだった。ゆえに、彼は保身のためにユウを見殺しにしてしまった。
だが、ユウの死後……憲三は激しい良心の呵責に苛まれた。あんなことをして、いいわけがないと。自分の命を捨ててでも、ユウを助けるべきだったのではないか。
そんな深い後悔を抱きながらも、もはやユウのために出来ることなどないと自暴自棄になって酒浸りになっていたが……。
「ぼっちゃんの死からしばらくして……あの女は、ぼっちゃんの生きていた痕跡を全て消し去ろうと動き出しやした」
「……何故? ユウくんのことはその女と貴方しか知らなかったのでしょう?」
「いいえ、他にもおりやす。ぼっちゃんを取り上げたお産の先生たち、それに……役所に出生届やら戸籍謄本やらがありやすからね。それらを葬らない限り、いずれは……」
「ユウくんのあれやこれが世間にバレる。だからそうなる前に、全てを消そうとしたつまてことね。本当、ヘドが出るわ」
「その話を聞いて、あっしはこれが最後のチャンスだと感じやした。裏で魔夜の悪事の証拠を集め、ツテのあるマスコミ関係者に渡して。それから、ぼっちゃんのお産を担当した先生を助けようと奮闘しやしたが……」
そこまで話したところで、憲三は力なくソファに座る。全てはムダに終わった……そう語る声には、虚無の色があった。
「あっしは結局、何も守れなかった。そうして、今度は手前がケジメのために殺されて……何の因果か、神さんに拾われたわけでさぁ」
「……貴方も大変だったのね。ケンゾウさん、貴方の言葉……信じてもいいのよね?」
「もちろんでさぁ。もし信じられなくなった時にゃあ、遠慮なく斬り捨ててつかぁさい。聞き耳立ててるお二人さんと一緒にね」
「え?」
憲三を仲間として信頼するに足るか、覚悟を問うシャーロット。憲三は頷き、視線を扉のある方向に向ける。シャーロットもそちらを向くと、扉が開きチェルシーとブリギットが現れた。
「あーらら、バレてーら。意外と敏いな、おっさん」
「気配を殺してたのに気付かれるとは驚きデス。まだまだ修業が足りないデスねー」
「二人とも……ユウくんとミサキは大丈夫なの?」
「ああ、ユウは泣き疲れて寝ちまってな。ミサキの方は……」
二人とも自分のやることを終え、こっそりシャーロットたちの話を盗み聞きしていたらしい。ユウの方はどうにかなったようだが……。
「……正直な話、ワタシにはなんともし難い状況デス。魂に強いダメージを受けているラシく、この大地の医療では快復させるのは……ハッキリ言って不可能デスマス」
「魂に、傷……!? そんな、一体どうしたら……」
「問題はないデス、シャロシャロ。魂の損耗はネクロ旅団にお任せ! なのデス。すでに連絡シタので、すぐに来てくれマスよ」
「……そう。それならいいのだけれど……」
北条魔夜という忌まわしき嵐の到来に、ユウたちの進む道に暗雲が垂れ込める。憲三によって一筋の光が差すのか、それとも……。




