1.出会い頭に、求婚!
「あら、あなた大丈夫? お腹が減っているの? どこか痛い? ……まずお水を飲んだ方がいいかしら」
ゴミ溜めに蹲っている薄汚れた姿のレギオンの前に、膝をついて声を掛けてくる女性がいた。
彼女はメイドから水筒を受け取り、レギオンに差し出してくれる。
「喉が痛いみたいだから、まずはそっと飲むのよ」
レギオンは水筒を受け取って、喉の渇きに耐えられずぐいっと水を飲んだ。途端、それまでカラカラに乾いていた喉に染みて、せき込む。
「もう! 言ったじゃない!」
女性は声は怒っていたが、慌てて労わるようにレギオンの背を撫でてくれた。薄い色の綺麗なドレスが、レギオンに触れた所為で汚れていく。
「あ、よごれるので……」
何とか声を搾りだして言うと、彼女は一瞬何を言われたのか分からない、という表情を浮かべたが、すぐに笑顔になった。
「洗濯するから、いいのよ」
「その洗濯するのは我々ですのよ、アデルお嬢様」
女性の後ろに立つメイドがしかめっ面で言い、女性はぴゃっと背筋を伸ばした。
「そうね、いつもありがとう、ノーラ」
「恐縮です」
メイドに叱られている姿を見られたのが照れ臭いのか、彼女は耳を赤くしてはにかむ。
「あ……あの」
「なぁに?」
この時のレギオンは、家で酷使された所為で体はボロボロだし飢えと渇きでまともな状態ではなかった。
ただ自分に優しくしてくれた、この美しい人と離れたくない、という思いだけで言葉にしてしまったのだ。
「好きです、俺と結婚してください」
思い出してみても、顔から火が出る程恥ずかしい。身の程知らずにも程があった。
だが驚いたのは、返事があったことだ。
「まぁ、喜んで!」
それがレギオンとアデルの出会い。復讐開始の鐘が鳴る、予兆だった。
レギオン・クルーガーは、ボロボロの身なりだがこれでもゲトウェル伯爵の息子である。
といっても伯爵夫人の子ではなく、ゲトウェル伯爵が一目惚れした女性を攫ってきて無理矢理自分のものにした結果、生まれた子だった。
女性は出産で亡くなり、彼女にしか執着していなかったゲトウェル伯爵はレギオンに全く興味を抱かなかった。
その後ゲトウェル伯爵は夫人との間に娘を授かり、その子のことは溺愛した。ますますレギオンの存在は忘れられていくこととなる。
ゲトウェル伯爵が実の父親として存在する以上は孤児院に入る資格もなく他に行くところのないレギオンは、伯爵邸で奴隷のような扱いを受けて育ったのだ。
ゲトウェル伯爵に忘れられ、夫人と令嬢には疎んじられて暴力を受ける日々。
当然使用人達も伯爵夫人達に倣って、レギオンを軽んじ迫害した。まともに寝床も食事も与えられず、重労働を強いられ失敗すると暴力を受ける。
アデルに出会ったのは、その扱いに耐えられなくなって屋敷を飛び出してきた時だったのだ。
「まずは清潔にして、栄養をたっぷり摂って、ゆっくり寝てね」
アデル・ベラルガと名乗った女性は、フォーブス男爵家の令嬢だった。
当主はやり手の大商人で、国への援助とその功績が認められて最近授爵した新興の男爵家である。
その令嬢であるアデルも随分と商才があるらしく、父男爵とは別に商会を起こし、十分な収益を得ている女性実業家だったのだ。しかし見た目は小柄で、銀の髪に青い瞳の嫋やかな乙女である。
「あの、アデル様」
「アデル、で結構よ。私達婚約したんだから」
自分で言っておきながら、アデルははにかんで笑う。
「では……アデル……どうして俺の求婚を受けてくれたんですか? ……俺、こんなに汚くてどこの誰ともしれないのに……」
アデルの屋敷に連れて来られたものの、ぴかぴかの玄関よりも先に進むことが躊躇われてレギオンが恐る恐る聞くと、アデルはこてん、と首を傾げた。
「……ああ、そうね。あなたこそ、私がどんな状況なのか知らないものね。きちんと説明せずに結婚しようとするのは卑怯よね」
何故かアデルは自分の方に非があるかのように言い、一人でうんうんと頷く。
「でもやっぱりお腹いっぱいになってたっぷり寝てからじゃないと、ちゃんと頭が動かないと思うの。きちんと説明するから、まずはお風呂とご飯、それからベッドよ!」
ぴし! とアデルは指をたてて厳命し、レギオンは従僕二人がかりでバスルームへと連行された。
拾った野良犬でもまだ綺麗なのではないか、という状態のレギオンは、そのまま従僕達にがっしがしと洗われて、髪を乾かされて清潔な服を着せられた。
それから最初は客人用の食堂に通されたのだが、恐縮して食事がまともに喉を通らなかったので、厨房で使用人達と一緒にパンと野菜のスープの食事を食べた。
病人食のようにとろとろに柔らかく煮込まれた野菜のスープは美味しくて、パンも驚くほどふかふかだった。
腹が温かく満ちるとレギオンの瞼は重くなり、体から力が抜けていく。再び従僕達に抱えられるようにして客室に通されたが、ふかふかのベッドにはこれまた落ち着かず結局床で眠った。
そりゃもう、夢も見ずに、ぐっすりと。
「野良犬の方がまだ図々しいですよ」
甲斐甲斐しくレギオンの世話をしてくれた従僕のリードは、アデルにレギオンの様子を聞かれてそう答えた。
アデル個人の屋敷はフォーブス男爵家本邸よりもこじんまりとしているが、女性らしい瀟洒な設えで統一されていていかにも「女性実業家」らしい住まいだ。
「私の婚約者を、犬に例えないでちょうだい」
その屋敷の居間で、お気に入りの一人掛けのソファに座ったアデルは眉を寄せて怒る。だが彼女が子供の頃から仕えているリードにはちっとも響かない。
「それよりお嬢様、いいんですか? 誰とも知れない男を屋敷に連れ込んだりして……」
「誰とも知れない男なら問題だけど、婚約者を屋敷に招くのはおかしなことじゃないでしょ。それに私の評判なんて既に地に落ちてるじゃない」
ツン、とアデルは不機嫌に答えた。
「まったく酷い話です! お嬢様は何も悪くないのに……!」
主人の隣でお茶を淹れていたメイドのノーラも、不機嫌そうに唇を尖らせた。それを聞いて、ついリードも顔を顰めて頷く。
社交界に縁のないレギオンは全く知らないことだったが、アデル・ベラルガを取り巻く現状はなかなか酷い有様なのだ。
「……ありがとう、ノーラ、リード。まぁ見てらっしゃい」
にっこりと微笑んで、アデルは立ち上がる。
「評判が地に落ちている、ということはここから上に登りつめるだけよ。私を不当に貶めた連中に、何としてでも復讐してやるわ」
ぐっと拳を握るアデルに、ノーラは拍手を送った。
「さすがです、お嬢様!」
「……それにはまず、あの野良犬に説明をして婚約を正式に結ぶ必要がありますね」
リードの冷静な言葉に、アデルは今の威勢はどこへやら、ウウ、と唸った。
「説明したら、やっぱりこんな女と結婚したくないって言われちゃうかしら……」
「求婚してきたのは向こうですよ! そんなこと言うようなら、このノーラがあの男の口を縫って差し上げます!」
「もしくはこのリードがミンチにして差し上げます」
「二人とも過激すぎる! 彼にだって選択肢はあるべきなんだから、もし求婚を撤回されたら快く屋敷から送り出してあげましょうね」
そう言いつつも不安そうに自分の髪をいじるアデルを見て、ノーラとリードはそれぞれ報復方法に決意を固めるのだった。
数時間後。とっくに夜の帳が降りた時間。
レギオンが目覚めると、身柄はベッドの上に運ばれていた。運ばれても気付かないぐらいぐっすり眠っていたのだ。
「……すごい寝た」
体を起こしてぼぅ、としていると、レギオンの目覚めを察したらしい使用人達がやってきて、扉をノックした。
「お目覚めですか?」
「あ、はい」
「では失礼いたします。お嬢様が晩餐をご一緒に、と仰ってますのでお支度をさせていただきます」
スッと客室に入ってきたのは、リードともう一人の従僕、メイドも一人。レギオンは目を白黒させた。
「晩餐!?」
「勿論、お断りすることも出来ます」
リードはそう言ったが断るなど許さないという雰囲気だったし、ここまで世話になっておいてレギオンも断るつもりなんてない。だが
「食事のマナーなんてとても出来ません。お嬢様を不快にさせるだけです」
レギオンの主張に、リードは初めておや、と眉を上げた。なかなか自分のことを把握出来ている。
「我々のお嬢様は、そんなことで客人に対して怒る方ではありません」
そして有無を言わさずレギオンの支度に取り掛かった。
しばらくして食堂にやってきたレギオンを見て、アデルは微笑む。
「ゆっくり休めた?」
「はい……何から何までお世話になって、申し訳ありません。あの、お代をお支払いします……今すぐは、無理ですが」
レギオンが詫びると、アデルは向かいの席を勧めながら明るく笑い飛ばした。
「気にしないで。お金を稼ぐのが趣味だから、人よりちょっと裕福なの」
「でも」
「お嬢様は、捨てられた動物を拾ってきてはぷくぷくに太らせて次の飼い主まで見つけてくるような方なんですよ」
「人間を拾ってきたのはさすがに初めてですけどね」
メイドのノーラが自慢げに言い、リードは首を横に振る。彼らを見て、またアデルは笑った。
「そういうことだから。あなたのこともぷくぷくにするから、覚悟しておいて」
やってることは豪快なのにそう言うアデルの笑顔は屈託のない少女のようで、レギオンの肩からようやく力が抜けた。
普段アデル一人で使っている食堂はさほど広くはなく、丸テーブルにはぱりっとしたクロスが敷かれ今朝咲いたばかりの庭の花が活けられている。
そして晩餐は気取ったものではなく、昼と同じようなくたくたに煮込まれたシチューとパン、果物だった。きっとレギオンの胃の調子に合わせてくれたのだろう。テーブルマナーを気にする必要のないメニューなのも有難かった。
「ワインはやめておいた方がいいかしら。果実水にしましょう」
「ありがとうございます」
「たぶん私の方が年下だし、敬語を使わなくていいのよ」
アデルはそう言ったが、年下であろうと恩のある人に対してレギオンは敬意を払いたかった。
「それに私、無償奉仕のつもりであなたの世話をしているわけじゃないの。利用するつもりなのよ」
「構いません」
レギオンが即答すると、アデルはスプーンを止めて眉を顰める。
「内容を聞かない内から契約を了承しては駄目よ。ちゃんと話すから、聞いてから判断して」
「ずっと無下に扱われてきました。俺に初めて優しくしてくれたあなたが、俺を使いたいというのなら、喜んで命でも体でも差し出します」
頑なにレギオンが言うと、アデルはじっとその顔を睨んで、溜息をついた。
「……私は商人なの。契約というのは、双方に利益があってこそよ。お願いだから、自分で自分を無下に扱うのはやめて」
アデルに言われて、レギオンは衝撃を受けた。
ゲトウェル伯爵家で酷い扱いを受けている自覚はあったが、レギオンは自分自身でも己を大切にしていなかったのだ。
「……わかりました。でも俺はすでにあなたに優しくしてもらったことで、恩を受けています。だから、俺の意思であなたの役に立ちたいんです」
「その気持ちは、有難く受け取るわね。ぷくぷくになるのが、恩返しよ」
肩を竦めて笑うアデルに、レギオンは見惚れた。
読んでくださって、ありがとうございます!
夜に、もう1話更新しますー!!




