✤51
妹の結婚式というのは、身の置き場に困るものだった。
どこへ目を向け、どういう顔をして立っていればいいのかもわからない。
気恥ずかしいし、祝福の言葉に対する受け答えにも戸惑う。
ジスランから見て、ロジーナはできた妹だった。
騒がしい時もあるけれど、芯が強く、心優しい。
それは誰に対してもだ。身分や立場で扱いを変えない。
だからこそ、ロジーナはリゼットを救った。
そうして、そのリゼットがジスランを救った。
幼い時、サミュエルがジスランに冷たく当たろうとも、ロジーナに恥ずかしい兄ではいたくないと思っていた。だから、色々なことに耐えられた。
多くの局面で、ロジーナがジスランに及ぼした影響は計り知れない。
「……兄様、色んなことがありましたけれど、私は幸せですわ。兄様のおかげです」
ベールを被ったロジーナが、正面を見据えたままでつぶやいた。その横顔は、ジスランの記憶の中で最も大人びて見えた。
「そんなふうに言われるほど、たいしたことはしていない」
本当に、支えられていたのはジスランの方だから。
それでも、ロジーナは微笑んだ。
「幸せになれ」
それだけを言った。今、この時にこれ以上相応しい言葉は見当たらない。
すると、ロジーナはうなずいた。
「ええ、兄様も」
たくさんの感謝を込め、亡き父の代わりにバージンロードを歩く。
道の先にはバディストがいて、今まで知っているどんな時よりも真剣な目をしていた。
信じているし、他の男にやるよりはいくらかマシだと思っている。ジスランからロジーナを受け取ったバディストは、ジスランの目をじっと見返した。
言葉はなくとも、何を言いたいのかくらいはわかる。ジスランは二人を残してきびすを返した。
嬉しい半面、どこか心が欠けたような気もする瞬間だった。
――花嫁のブーケを未婚の女性たちはこぞって欲しがるのだが、この時もそうだった。そして、その娘たちの中にリゼットも紛れていた。ブーケを手に入れなくても、リゼットが花嫁になることは決まっている。なってくれると約束したのだから、ジスランはそのつもりだ。
こんなものは単なる余興なので、ジスランは生あたたかい目で見守っていたのだが、ロジーナが力強く放り投げたブーケは、想定していたよりも遠くへ飛んだ。あれでは誰も受け取れないと思ったが、リゼットが軽やかに駆け出しており、素早くブーケを取ったのだ。
動きやすい恰好ではないのに、案外速かった。リゼットはロジーナのブーケだから欲しくて頑張ったのかもしれない。そう考えると微笑ましい。
――のだが、ブーケを受け取って祝福の拍手に包まれているリゼットに、男たちがじっくりと見入っていた。
出会った時よりも綺麗になった。魅力的に微笑むようになった。
それが、男たちの目を引く。あの娘は誰だ、とこそこそと話している。声をかけようと狙っている。
ジスランはそれを察知してリゼットのそばへ移動した。
「ジスラン様、ブーケを取りました!」
誇らしげにブーケを見せてくるリゼットは、やはり可愛い。しかし、ジスランは面白くない。
ん、と返事をしたものの、顔が笑っていなかったのだろう。
「どうしました? ロジーナがお嫁に行ってしまって寂しいのはわかりますけど……」
戸惑った様子でそんなことを言われたが、そこではない。
ジスランはリゼットの腰を引き寄せた。まだ周囲には人がいて、リゼットは焦っていたが、むしろジスランは見せるためにやっている。
「そうではなくて、リゼットのことを見ている男が多かったのが気に入らない」
「え? 見慣れない人だと思われたのでしょう? ジスラン様を見ている女性が多いのは予想通りでしたけど」
「…………」
危なっかしい。でも、そこが可愛い。
「リゼット、髪を伸ばしてみないか?」
「髪ですか? ええ、あまり長いと手入れするのが大変で、仕事の邪魔になると思ってあまり伸ばしたことはなかったのですが、ジスラン様がそう仰るなら……」
急な提案にもリゼットは承諾してくれた。
綺麗な髪なのだ。長いのもいいとずっと思っていた。
「ああ、半年後にもう少し伸びている方がいいと思う」
「半年後って……」
半年。
次のジスランの長期休暇がそこまでもらえないからと言ってある。その休暇の時に、二人の式を挙げようと。
リゼットは、ほんのりと頬を染めて微笑んだ。
そんな姿が愛しい。
――リゼットは、アリアンヌとは似ても似つかない。
アリアンヌは、艶やかな黒髪によく似合う、赤い色が好きだった。深紅の薔薇をよく髪や胸元に飾っていた。
いかにも貴族令嬢といった、凛とした美しさではあった。厳しく躾けられ、自分を磨く努力を惜しまなかったことは見ていればわかった。ジスランは、そうした面に敬意を払う気持ちはあった。
あれだけの美しさに惹かれないのは何故なのか。
それはあの頃にはわからなかった。
兄のことがなくとも、多分、特別な一人にはならなかった。
『あなたは誰のことも愛せないのではなくって?』
いつだったか、アリアンヌにそんなことを言われた。あれはまだ、兄が生きていた頃だ。
廊下ですれ違っただけで深く話し込むつもりもなかったのに、ジスランに特定の婚約者がいないことについて話を振られたのだ。
ジスランが誰も好きにはなれないから婚約者を作りたくないのだろうと、アリアンヌは言った。この時、ジスランも多分そうだと感じた。両親のような関係を築きたくないとも考えていた。
だから、そうかもしれません、と返したと思う。
けれど、アリアンヌはジスランの言葉を信じなかった。
信じたのなら、あんな呪いはかけなかったはずだ。
アリアンヌがそんなことを言ったのは、そうであればいいと思ったに過ぎないのだろう。
誰も彼も同じで特別に想われないのなら、まだ気持ちは慰められると。
ジスラン自身でさえも気づかなかった内面を、アリアンヌは正確に捉えていたからこその呪いだったのだ。
貴族令嬢たちは苦手だった。一緒にいて疲れるばかりだった。ロジーナが変わっていて、アリアンヌは普通なのだ。アリアンヌのような女性が貴族社会では一般的だ。
だから、誰も特別に想わなかった。自分はそうした性質なのだと思っていた。
次男のジスランは未婚のままでもいいかとおぼろげに考えていたくらいだ。
それが、今はあの時の自分からは想像もつかないほど、一人の女性を特別に想っている。家のために選んだのではない。ジスラン自身が求めた。むしろ、リゼットのためなら家を捨てても、地位を捨てても、一緒にいられる方を選んでしまう。
そうした想いがジスランの中に眠っていた。
それが目覚めたことで、世界が変わった。
ジスランは、悲しい顔ばかりする母を見ているのがつらかった。
美しく、凛と佇むアリアンヌの笑顔は見た覚えもない。
リゼットは――幸せそうに笑う。
リゼットが微笑む、ただそれだけのことで、この世界は以前よりもずっと美しく見えた。
護ってあげたいと、そんなふうに思っていたはずのジスランの心を、気づけばリゼットが支え、護ってくれている。
この出会いは、きっと奇跡だった。




