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逆襲の花嫁  作者: 五十鈴 りく


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✤47

 明るくなった視界の先に、行儀よく座って待っているフィンがいた。リゼットが近づくにつれ、前足をバタバタと掻くように動かし、今にも飛び跳ねんばかりだった。


「フィン! ごめんね、待たせて。帰りましょう」


 ワン、と喜びに溢れた声で返事をする。リゼットはフィンの頭を撫で、そうして最初に来た方角に引き返していく。


 腰のベルトに挟んでおいたスカーフでふたつの薬を包み、それを慎重に抱えて持っている。これだけは何があっても死守して帰らなければ。


 カーヤのところで二時間ほど眠っていたという。日が暮れる前に森を抜けて、せめて人通りのあるところまで行ってしまわないといけない。灯りになるものは何も持っていないのだ。フィンがいれば迷子にはならないかもしれないけれど、暗くなれば何かと危ない。


 ロジーナたちもリゼットの不在に気づいただろうか。手紙を読んだだけでリゼットの居場所がわかるような書き方はしていないけれど、ロジーナならもしかするとリゼットとの会話を繋ぎ合わせて察することができるかもしれない。


 それでも、大人しいリゼットがそんなことをするだろうかと半信半疑のはずだ。ジスランのことも放っておけないのだから、リゼットの行方を気にしている場合でもないだろう。

 ロジーナにもたくさん心配をかけてしまっている。帰ったらまず謝りたい。



 リゼットは、ようやく森を抜けた。

 入った時と同様に、抜ける時も茂みの僅かな間を通ったため、擦り傷が増えてしまった。頬に枝が擦れてヒリヒリする。ワンピースの繊細な生地もあちこち裂けて本当に無残な姿をしている。フィンもさらに汚れてしまって、帰ったらたくさん褒めて、手入れをしてあげたい。


 ――とても、疲れた。

 体力もだが、気力が要った。

 この疲れは、カーヤの薬を飲んだたせいでもあるかもしれない。

 悪夢を引き続き見るという。まさか、薬をもらえたことも夢の続きで、ジスランを前にしたら薬は消えてしまうのではないかと不安になる。何度も何度も手の中の薬の存在を確かめた。


 来た時は下りだった道が、帰りは上りだというのもつらい。

 はあ、はあ、と森の手前の丘を上る。フィンはもっと早く行けるはずなのだが、リゼットを待って振り返り、振り返り進んでくれた。

 ここまで来ているのだから、あと少しだと自らを鼓舞しながらリゼットは歩む。


 やっとの思いで往来に出た時には日が暮れかかっていた。このペースだと、夜になっても帰れないかもしれない。急がないと。

 そう思って疲れた体に鞭打つリゼットは、周囲をよく見ていなかった。道の脇を歩くリゼットを通り越していった馬車が少し先で停まった。道の途中でだ。


 思えば、以前もこんなことがあった。

 シャリエと屋敷を出て行こうとしたリゼットを、ジスランが馬車で追いかけてきてくれたのだ。


 ただ、あの馬車は町の方角から来た。屋敷とは反対方向だ。それに、クララック家のものとは違う。辻馬車ではないけれど、小さな車体に馬も一頭だ。どこの家とわかる家紋は入っていないけれど、きっとどこか商家の馬車だろう。


 ボロボロの若い娘が歩いていたから、何事かと驚いて馬車を停めてくれたのかもしれない。

 しかし、その馬車から降りてきた人物を見た時、リゼットはやはりこれが悪夢の続きであることを知った。

 フィンが、ウゥゥと低く唸る。


「リゼット、なんだそのみすぼらしいナリは」


 まるで現実のようにして鮮明に聞こえる。

 暗がりになった顔は、それでもリゼットを嘲り笑っているのがわかる。愉悦に歪んだ顔は、弱者をいたぶる獣の目をしている。

 リゼットの喉からヒュッと息が漏れる。声が出なかった。


「……森から出てきたのか? お前、魔女に会いに行ったな?」


 何故、この男がそれを知っているのか。いや、これは夢なのだ。深く考えても仕方がない。


「そうか、読めたぞ。魔女に惚れ薬でも調薬させて、それをあの男に与えたんだろう。お前とヤツが結婚なんて、おかしいと思ったんだ。魔女は報酬さえ用意すれば、どんな薬も作るからな。病気に見せかける毒も高価なくせに効き目が遅すぎて無駄金を使った気分ではあるが、邪魔が入らなければ上手くいったんだろうしな」


 アダンが余計なことを喋っている。アダンも魔女の客となったことがあるのか。

 カーヤは金に興味がないと言った。アダンが言う魔女はカーヤではなく、別の魔女なのかもしれない。


 それにしても、牢にいるはずのアダンが、このタイミングでリゼットの前に現れるなんて、そんなことがあるはずない。

 これは悪夢の続きだ。気を強く持って、この悪夢を乗り越えなければ――。

 リゼットは腹に力を込めて言った。


「違うわ。私はそんなことしないし、したいとも思わない。惚れ薬なんてなくても、ジスラン様は私を愛しいと仰ってくださったわ。私も、ジスラン様を誰よりもお慕いしているの」


 キッと睨みつけると、アダンの顔に憤怒が浮かんだ。以前、屋敷の地下に捕らえられていた頃のリゼットが見たら卒倒するような、恐ろしい顔ではあるけれど、今のリゼットはもうアダンに屈するつもりはない。

 リゼットは、アダンの花嫁ではない。リゼットは、ジスランの花嫁になるのだ。

 悪夢には負けない。


「よくそんなことが言えたものだ、この売女が……」

「私はあなたの玩具じゃない。私は、あなたなんて大っ嫌い!」


 これは夢だ。幻だ。本物は牢の中だ。

 こんな男は、リゼットの世界には要らない。


「このっ」


 アダンがリゼットに手を伸ばしかけた時、フィンがひと際高く咆哮した。グルグルと唸るフィンに、アダンはたじろぐ。


「クソッ。なんだ、この獣……っ」

「獣じゃないわ。可愛い犬でしょう?」


 この可愛さが理解できないなんて、やっぱりこの男は駄目だ。もしかすると、アダンは本気で怯えているのかもしれない。

 アダンは急に馬車に向けて叫んだ。


「おい、手伝えっ!」


 しかし、馬車からは通らないくぐもった声が返る。


「で、でも、馬を御さないと――」

「少しくらいなんとかしろ! この役立たずっ! 病気の母親を助ける薬が欲しいんだろ? どうせ僕を逃がしたお前は除籍なんだ。お前も罪人なんだよ。薬が欲しければ僕に従え!」


 アダンの連れは、病気の母親に薬を飲ませたくて、アダンの脱獄を手伝ったという設定らしい。夢にしては細部まで埋められている。これは夢を見ているリゼットの真面目な性質がそうさせるのだろうか。

 ただ、夢にしても胸が悪くなる話だ。リゼットは、ひとつ息をつくと、フィンに向かって言った。


「フィン、この人は敵よ。やっつけていいわ」


 リゼットの言葉が終えるのを待たずにフィンの後ろ足は地面を蹴っていた。大型のフィンが飛びかかれば、かなりの力がかかる。細身のアダンでは立っていることすらできなかった。


「うわぁああっ!」


 暗がりの中、アダンの絶叫が響き渡る。フィンはアダンの腕に噛みつき、牙を立てて唸り続ける。アダンは地面に転がり、助けてくれと喚いていた。リゼットは、そんな彼に歩み寄り、そして、足を振り下ろした。


 ガッ、と憎しみを込めて、アダンの股間を踏みつける。気が済むまで、何回か。

 アダンが泡を吹いて気を失うまで。


 リゼットは、ハッと正気に戻り、自分がしたことのはしたなさに赤面したけれど、思わず本音が漏れた。


「すっごくスッキリした……」


 多分、もうアダンの悪夢にはうなされない。


これも逆襲(笑)

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