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逆襲の花嫁  作者: 五十鈴 りく


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✤38

 ジスランの目から見て、リゼットは日増しに柔らかく微笑むようになった。

 その笑顔がどうしようもなく愛しい。


 休暇を終えて仕事に戻った時、アダンと顔を合わせたら首を締めるかもしれない――と思うほどには憎しみが増している。ヤツがリゼットにした仕打ちを思い出すと、天地がひっくり返っても許せない。二人きりにならないように気をつけたいところだ。


 二日前にミュレ団長から状況を知らせる手紙が届いた。アダンは相変わらず人を食った態度で、父親に盛っていた毒の出所も不明のままだという。母親は元からたいしたことを知らなかったようで、訊いてもまともな答えが返らないらしい。


 アダンは牢の中から毎日陰湿な発言を繰り返したり、意味のない雑音を立てたり、とにかく人の神経を逆なですることばかりを繰り返しており、看守も衛兵もうんざりしている。気が滅入って、休暇や辞職を願い出る者まで出る始末だと。

 休暇が終わったら頼りにしている、と締めくくられていた。


 ジスランがいたところでアダンの態度は変わらないどころか悪くなるだけなのだが。それにしても、投獄されてまで厄介な男だ。

 しっかりと処罰し、リゼットを安心させてやりたいとは思う。

 半年あればそれも終えるだろう。


 次の長期休暇にはリゼットと式を挙げたい。当人にそれを告げて色よい返事ももらった。

 その旨をミュレ団長にも手紙で簡単に伝えた。詳しくは休暇を終えてから話したい、と。


 しばらくは揶揄われそうだが、祝福してくれるのはわかっている。憂うことは何もない。

 あるとすれば――。


 ジスランは庭で一人、ベンチに座りながら息をついた。

 どういうわけだか、このところ脇腹の古傷が痛み出していた。その痛みは和らぐばかりか日増しに強くなる。傷口を見ても特に変わりはない。


 しかも、この痛みは普段はそれほどでもないのだ。急に痛みが襲ってくる。

 リゼットといる時はそれを精一杯隠しているのだが、痛みは脇腹から心臓に達するほど広く突き抜けるようにある。

 一度、医師のセネヴィルに診てもらった方がいいかもしれない。

 あの時、この傷を処置してくれたのもセネヴィルだった。


 ――あの時。

 ジスランが刺された時の記憶は今も戻らない。

 何故刺されたのか、確かなことはわからずじまいだ。


 刺した女性もすでにいない。

 ジスランはその女性のことも覚えていないのだ。

 人伝に状況を聞いたけれど、まるで他人事のようにしか思えない。


 思い出そうとすると、頭に霞がかかったようになる。

 これは、自分自身が思い出すことを拒んでいるのだろうか。


 何も覚えていないのは、それだけショックが大きかったからだろうとセネヴィルが言った。記憶が抜け落ちたように消えたのは、後にも先にもあの時だけである。


 完全に塞がっているこの傷が痛む理由はわからないけれど、不安があるなら調べた方がいい。リゼットに心配をかけるだけだ。

 これから結婚して二人で生きていこうと思うのなら、なおさら放っておいてはいけないのかもしれない。


 ――ごめんなさいね、ジスラン。ごめんなさい。

   どうか、ロジーナを護って。


 大きな荷物を手に、涙を流しながら背を向けた母。

 父と母との結婚は、上手くいかなかった。

 父は、亡くした先妻だけを想い続けていて、後添えの母には欠片も愛情を傾けなかった。

 だから、母が子供を置いていくという条件を呑んでまで離婚したのを責めるのは酷だった。見ていてつらいくらい、母が気の毒だった。


 結婚が幸福の始まりとは言えない。

 父のように、母のように、続かない場合もある。

 それでも、そんな両親を見ていたくせに、リゼットを伴侶にしたいと思う自分が意外ではあった。


 もしくは、父のようになるのかもしれない。

 ただ一人だけを特別にする。間違えなければ、それでいいのだ。

 


 しばらく休んでいたら痛みが和らいだような気がした。ゆっくりと歩いて屋敷に戻る。

 リゼットとロジーナが一緒に昼食の席に着き、楽しそうに話し込んでいた。


「兄様。リゼットは控えめだから気づきませんでしたけれど、身体能力が高いと先生に褒められましたの。きっと、ダンスが上手になりますわ」

「楽しく学べているから、向いているなら嬉しいけれど」


 あまり前に出ることをしないリゼットだから、隠れた能力があっても気づかれにくい。これからはそうしたものが開花していくのかもしれない。


「そうか。それは一緒に踊るのが楽しみだ」


 ジスランがそういうと、リゼットは幸せそうに笑った。

 やはり、リゼットには笑顔が似合う。それを改めて思った。

 その笑顔が愛しい。


 ズキン、と脇腹の痛みが増した。今まで感じた痛みが軽く感じられるほどの鋭い痛みにジスランは息が詰まった。とっさに椅子の背もたれに手を突く。

 今まさに刺されたかのように、生々しい痛みが体を突き破るようにして蘇る。

 その時、ロジーナがジスランの異変に気づいた。


「兄様、どうかなさいまして?」


 カタン、とリゼットが立ち上がる音がした。


「ジスラン様?」


 視界がぼやけた。

 駆け寄ってきたリゼットの顔がよく見えない。脂汗が滴るのがわかった。


 ズキン、ズキン、と痛みが増していく。

 そうして、ジスランは意識を失った。


 倒れ込むジスランの体をリゼットが手を伸ばして支えようとしたけれど、華奢なリゼットに支えきれるはずもなく、床に倒れ込んだ。


 自分が陥っている状況が、ジスランにはまるでわからない。

 ただ、リゼットの叫び声だけが最後に聞こえた。

 

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