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逆襲の花嫁  作者: 五十鈴 りく


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✤32

 ジスランはその日、朝から出かけた。

 リゼットが回復したら、一度町の様子も見てこようと思っていたのだ。それで、戻ってからリゼットと話をしようと考えている。


 本来、この休暇は、もっと穏やかに過ぎていくものだと思っていた。領地の視察をする時間くらいいくらでもあると。

 それが、予想とはまるで違うものになりつつある。

 ロジーナを見送るだけのはずが、リゼットのおかげで雑念だらけだ。


 ロジーナがバディストに嫁ぐのをジスランは嬉しく思っているけれど、あれだけ騒がしくて口うるさい妹だから、いなくなればきっとそれなりには寂しいはずだ。

 その寂しくなった屋敷の中に、もしこのままリゼットが残っていてくれたとしたら。


 犬たちと一緒に笑顔でジスランの帰りを出迎えてくれたなら、どうなのだろう。そう考えた時、そんな未来があってもいいように思えた。

 そこにいてくれるのなら、屋敷に帰りたい。


 気づまりな屋敷にいたくなくて騎士になった。何の因果か、そんなジスランが当主になった。

 家督に思い入れはない。それでも、これから思い入れが備わっていくのかもしれない。リゼットが屋敷にいると、そこだけ光が当たったように感じられる。

 不思議なものだ。



 ジスランは領地の管理を任せているバディストの父、デジレに会い、変わったことはないかと訊ねた。その場にはバディストもいる。いずれはジスランも騎士を辞して領主として地方を治めることに専念するつもりだが、その時バディストは間違いなくジスランの右腕である。


 だから、領地の話をする時はいてもらった方がいい。今も実家にいる間に父親からこちらの仕事も教わっているはずだ。


「うちの馬鹿息子がロジーナお嬢様と結婚だなんて、未だに信じられません。バディストが人生の運を使い果たして早死にしたとしても不思議はないですから、そうしたらうちの跡取りは誰にしようかと考えています」

「親父、変な想定はしなくていいから。今にハゲるぞ?」


 バディストは笑い飛ばすが、父としては心配らしい。

 デジレは、息子とは違い、綿密な計画を練り、些細な間違いも起こらぬように用意周到に支度をするタイプである。だからこそ、領地を任せてもしっかりと隅々まで見ていてくれるので安心なのだが。


 もしジスランの父と兄が生きていたら、ロジーナとバディストが結婚できたとは思えない。きっと、ロジーナは家のために政略結婚しただろう。もしくは、駆け落ち。そちらの方があり得るかもしれない。

 ジスランが当主になったから、二人の結婚を許す。それができることだけが当主になってよかったと思える点だろう。


「何か気になることはないか?」


 ジスランが苦笑しながら問いかけると、デジレは何枚かの報告書を束ねてジスランに差し出す。ざっと目を通している中、デジレは話を続けた。


「そうですね、薔薇の収益に加え、作物の収穫量も見込めそうですから、大きな問題はありません。まあ、気がかりなのは南の森に現れる『魔女』のことくらいでしょうか」

「魔女、か」


 いつ頃からか、森にとある女が現れるようになった。フードを目深に被り、顔を見た者もいない。彼女は薬草学に通じているらしく、森へは薬草の採取に出向いているらしい。

 これといって害はないのだが、見かけた者たちが気味悪がっている。そういう話だった。

 フードも黒いことから、いつしか皆が『魔女』と呼ぶ。

 こうした話は珍しくない。魔女は各地にいる。


 薬草の知識は人の暮らしを助けるが、薬が毒になることもある。得体が知れない相手が薬草の知識と生成の技術を持つこと自体が不安要素なのだ。

 しかし、現段階で彼女を悪と決めつけることはできない。


「何かが起こったわけではないのだろう?」

「ええ。何も」

「それならばしばらくは様子を見ていてくれ」

「はい。もちろんです」


 ――と、問題と言えることはそれくらいなのだ。領地は平穏である。

 もしかすると、父が治めていた時よりも今は穏やかなのかもしれない。それは手腕ではなく、時世だろう。国全体が落ち着いている。ジスランが領主になったのがそんな時で救われた。


 そうした話を終えて帰ろうとするジスランを、バディストが外まで見送りに来た。そして、ジスランの肩にポン、と手を載せて微笑んだ。


「リゼットが熱を出して大変だったそうじゃないか。それをジスランが甲斐甲斐しく世話をしているんだってロジーナが手紙に書いてきた」


 些末なことをいちいち報告するのはやめてほしい。ジスランはグッと言葉に詰まった。

 それがいけなかったのか、バディストがニヤニヤした。


「セネヴィル先生にも会ったぞ。あのジスランがって意外そうに言って――」

「いい、わかった。もう言うな」


 と、ジスランはバディストの口を強めに押えた。バディストは揶揄(からか)い足りないのか、モゴモゴとまだ何かを言っていたが、言わせたくない。

 バディストはジスランの手から逃れると、やはりヘラヘラと笑っていた。


「皆が大袈裟に言ってるのかなと思ってたんだけど、そうでもないか。ロジーナは嬉しいだろうけどさ、お前、本気なのか? 可哀想だから拾って家に上げて、情が移ったか? 犬猫じゃないんだ、飽きたら顧みないなんてことにならないようにな」


 顔は笑っているくせに、バディストは辛辣なことを言う。

 これがこの男の優しさではあるのだ。誰に対してもはっきりと物を言う、そういうところがロジーナは好きなのだろう。


 ひどい目に遭った、可哀想なリゼットだから護ってやりたいと思う、それだけのことではないのかとバディストは問いかけている。

 恵まれた暮らしができるようになり、可哀想でなくなったら、ジスランの関心は薄れるのではないかと。その時、リゼットを愛しく思い続けているのかと。


 正直なところ、先のことはわからない。

 それでも今、こうして顔が見えない間にリゼットがどう過ごしているのか気になる。

 話をしたいと言ったジスランの言葉をどう受け止めただろう。それについて色々と考えを巡らせて悩んでくれているとしたら嬉しい。


「……俺が飽きる心配よりも、リゼットが逃げ出さないか、それを心配をしてくれ」


 申し訳ないとか、いつまでも世話になれないとか、そろそろ働きに出たいとか、そんなことばかりを言う。だからだ。リゼットのことばかり考えてしまうのは、目を離したら逃げ出していそうで。

 バディストはハハッと声を上げて笑った。


「そっちか。わかった。頑張れよ」


 まるで初恋をする少年のように心が覚束ない。

 よく考えてみると、追いかけるのが初めてだからだ。それなら初恋と変わりない。

 そう考えて苦笑した。


 なんと言って話を切り出そうか、自分でも持て余している気持ちをどう言葉にすればいいのか、それがまとまらない。

 ジスランは屋敷に戻る途中、ずっと馬車の中でそのことばかり考えていた。


 しかし――。

 ジスランが屋敷に戻った時、リゼットはすでにいなかったのである。


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