✤24
戻る時はジスランに手を引かれず、彼の後をゆっくりと歩いた。リゼットは終始リボンを握り締めていて、気づいた時にはひどい皺になっていた。
いろんな感情がリゼットの中で入り乱れ、冷静だとは言えなかった。けれど、ジスランと庭を巡ったおかげで幾分かは落ち着いたとも思う。
それはジスランが優しく話を聞いてくれたからだ。リゼットがジスランの立場だった場合、あんなふうに対応できただろうか。
面倒そうだから関わらない方がいいと距離を置いたのではないか。
親身になって話をしてくれたことは当たり前ではない。
国から領地を預かる人だからか、懐の広さが違うのかもしれない。そんなジスランに感謝と敬意は少なからず感じた。
屋敷へ戻ると、今度はロジーナがジスランからリゼットをもぎ取り、二人して部屋に閉じこもった。
ロジーナもたくさん心配してくれていたのだろう。
「リゼット、シャリエさんは帰ったわ。でも、また来るって言い残したの。迷惑なら今度は顔を合わさなくてもいいのよ?」
そう言いながら、ロジーナはリゼットの肩を押してベッドに座らせ、その隣に座り込む。ロジーナの目には好奇心よりも心配が強く表れていて、それがロジーナらしかった。
だから、リゼットはロジーナにもジスランに話した内容をそのまま伝える。もう今さらだ。ジスランが知ったのなら、ロジーナの耳にも入るのだから、リゼットが自ら語った方がいい。
すると、ロジーナはジスランと似た眼差しで訊ねる。
「その復讐したい相手というのは同い年の女性なのよね?」
「ええ、メイド仲間だったわ」
リゼットとは違って、要領は悪くとも愛嬌があって上手く立ち回れる娘だった。あの赤毛を思い出すだけではらわたが煮えくり返る。
それをロジーナは察したらしく、リゼットの眉間に寄っている皺を人差し指で押さえた。
「リゼット、落ち着いて」
「ごめんなさい……」
素直に謝ると、ロジーナはリゼットに向けてそっと苦笑した。
「ねえ、ロゼット。多分その子は面白くなかったんだと思うわ」
「え?」
「あんな馬鹿息子でも貴族だもの。貴族に見初められたあなたに女として負けたような気分だったのかもしれないわ」
そうだろうか。アダンに見初められたのは、災厄以外の何物でもない。羨ましいなら代わってやりたかった。
そこでロジーナはほぅ、とひとつため息をついた。いつも幸せに輝いているロジーナが見せる悲哀にリゼットはドキリとする。
「あのね、私も強い恨みを持った女性を知っていたの。復讐というか、逆恨みなのだけれど、彼女はその恨みのまま行動に移したわ。……相手を刺したの。ねえ、その女性がどうなったのか、知りたい?」
急にそんな話をされた。これはロジーナがリゼットのためにとっさに作った話なのだろうか。
もしそうなら、その恨みを抱いていた女性とやらが無事なはずがない。
「――亡くなったの?」
ボソリと訊ねてみると、ロジーナはうなずいた。
作り話にしては、みるみるうちにロジーナの顔色が青ざめて見えた。一体、ロジーナは何を思い出しているのだろうか。
「ええ。刺された方は生きているわ。つまり、復讐で身を滅ぼしたのは彼女だけよ。私は、リゼットにはあんなふうになってほしくないの」
憎い相手を刺したと。
リゼットはメロディを刺せるだろうか。
――多分、刺せない。
そう思うと、その女性に比べてリゼットの恨みは軽いということか。
今でも思い出しては体が震えるほどの怒りが込み上げてくるのに、それよりも深い憎しみとは一体どんなものだったのだろう。
言葉を失くしたリゼットに、ロジーナは幾分ほっとしたように見えた。
「リゼット、私、もうあんな思いはしたくないの」
明るく幸せに包まれているこの屋敷にいて、それでもロジーナは人の持つ闇を見たのか。
この口ぶりだと、その女性はロジーナにとってある程度近しい人間であったのではないだろうか。
詳しい話は聞けない。リゼットが聞きたくない。
聞いてしまっては、リゼット自身が身動き取れなくなってしまう。実際、誰か他の人が復讐心を抱いていたら、リゼットも止めただろう。やめておいた方がいいと忠告したくなるはずだ。
それくらい、復讐というのは馬鹿げている。
いつまでも憎い相手に心が縛られてしまう。
憎い相手を刺したその人は、身を滅ぼしたとして、それでも満足して逝けたのだろうか。相手は生きているというのに、それでもよかったのか。
ただ憎いという感情をぶつけて、それを相手に伝えられるだけで満たされたのかもしれない。
「わたしは……」
多分、この感情は消えない。
抱えて生きていく以上、そこに幸せはない。
復讐がなされようとも、諦めようとも、リゼットに幸せは訪れない。
リゼットはこの時、ロジーナよりもその見知らぬ女性の心に寄り添っていた。




