✤13
ジスランはアダンの乗った馬車を地下牢に続く城門の側へ向かわせた。門が閉まるのを見届け、騎士団長のミュレに報告に行く。花嫁の足枷の鍵のことは部下たちにも話しておいた。地下牢に行く際に取り上げておいてくれと頼んである。自分で取り戻したいが、ジスランがいるとアダンは余計に頑なであり、いない方が油断してくれるかもしれない。
それに、ジスランには隊を率いていて向かったその報告義務があるのだ。この間にもあの花嫁は首を長くして待っているかもしれないが、そこは耐えてほしい。
「ミュレ団長、只今戻りました」
騎士団の詰め所の奥にある団長の執務室に向かうと、ミュレ団長は座って書類に目を通していた。
短く刈った髪には白髪が混ざり始めたが、腕は筋肉ではち切れんばかりに太い。
ここ数年は大きな戦もなく国情は落ち着いたものではあるが、過去には数々の戦もあった。それを潜り抜け、団長にまで昇格したミュレは、ジスランの亡き父の友人でもある。
「おお、ジスラン。戻ったか。窓から見ていたのだ。ちゃんと任務を果たしたようで何よりだ。ロッセルの息子はお前のことがとことん嫌いだったからなぁ。さぞ暴れただろう?」
ニヤニヤとしながらそんなことを言った。太い眉が大きく持ち上がるのは、楽しんでいる証拠だ。
ジスランは嘆息しながら言った。
「ええ、ひどいものでした。しかし、彼は思った以上にどうしようもない男で、実は難儀しています」
「うん? ちゃんと連れ帰っただろう?」
首をひねるミュレ団長に、ジスランは事情を語った。ミュレ団長は、ほぅ、と言って目を大きく見開く。
「それは気の毒にな。それで、その娘はお前の屋敷で待っていると?」
「ええ。ですから、早く鍵を届けてやらなくてはならないのです」
すると、ミュレ団長は何故だかニヤリと笑った。何故この話を聞いて笑うのだろう。不謹慎である。
それも、笑う理由がまたおかしい。
「美人か?」
他の団員ならまだしも、団長までそんなことを言う。ミュレ団長は愛妻家というか、恐妻家なのだ。若い娘に興味など持てないだろうに。
「ええ、まあ。銀髪で、儚い感じの女性ですね」
ため息交じりに言うと、ミュレ団長はさらにニヤニヤした。
「そうかそうか。お前はそういう娘がよいのだな。よし、それならば私もひと肌脱ごう」
「は?」
思わず素の声が出た。慌てて口を塞ぐが、出したものは戻ってこない。
しかし、ミュレ団長は気にした様子もなかった。
「お前は、気に食わん娘を家に上げるような男ではないからな。そうか、そんなに気に入ったのか」
「い、いえ、違います。言葉を交わしたこともありません。私ではなく、ロジーナが気に入っているようではありますが」
受け取った手紙からそれが窺えた。だからジスランも、彼女は悪い人ではないと思っている程度だ。
「小姑と上手くやっていけそうでよかったなぁ」
「……」
きっとからかわれているだけだ。相手にするだけ疲れる。
サラリと流しておこうと思ったところ、ミュレ団長は立ち上がり、机を回り込んでジスランの肩をポンと叩いた。
「よし、行くぞ。鍵を手に入れねばな」
「は、はい」
それが一番重要なことだ。ジスランは慌ててミュレ団長の背中に続いた。
アダンの収容は完了していた。けれど、詰め所で話を聞いても、まだアダンから鍵を手に入れられてはいなかった。
「まさか、飲んだりしてないだろうな……」
「あの気位の高い男がそういうことはしない気がしますが」
ミュレ団長がいるだけで他の兵が委縮してしまう。借りてきた猫だ。
「よし、独房の鍵を寄越せ」
団長が言うのなら、誰も文句は言えない。獄吏は鍵束を差し出した。
「こ、こちらです」
「うむ。ではジスラン、行くぞ」
「……はい」
冷たい地下の牢獄は、進んで足を踏み入れたい場所ではない。それも、あの顔を見たいはずもない。
しかし、足枷の鍵が要るのだ。ここは仕方がないと腹をくくった。
先ほど入ったばかりの独房の片隅で、アダンは壁にもたれて座っている。薄暗い目をこちらに向けたかと思うと、笑い声を独房に響かせた。わざとらしい声だった。
「おや、自分の手に負えないものだから、上官に泣きついたようだね。なんとも情けない話じゃないか」
その上官というのが誰なのか、アダンはよく知らないのではないだろうか。きっと、顔を知らないはずだ。知っていたらこんなことは言わずに震え上がっただろう。
ピエリック・ミュレ。
歴代最年少で騎士団長の座に就任。
それは数々の武功があってこそである。
体に歴戦の傷跡が残っており、それを見るだけで若い兵は顔色をなくす。
素手で獅子と戦ったり、馬をひっくり返したり、落石をかち割ったり、やや人間離れした御仁だ。
この上官こそがその人と知っていたら、こんな口の利き方はしなかっただろう。
「ほう。おぬしがアダン・ロッセルか。なるほどな、腐った性根が顔つきに出ておるわ」
アダンが睨み返せたのは、独房の奥が暗く、そこからは二人のシルエットくらいしか見えていなかったからではないだろうか。こちらからも決して見やすいとは言えない。
「灯りを持って参ります。すぐに戻りますので」
途中の通路にカンテラが置いてあった。ジスランは通路を引き返し、灯りが灯っているカンテラを持ってアダンのいる独房に戻った。
すると――。
ぎゃぁあああ、と悲鳴が轟いた。
「なっ!」
慌てて戻ると、独房の扉は開いていた。鍵束が扉にぶら下がっている。そして、中では恐ろしいことになっていた。
「ほら、さっさと鍵を出せ」
アダンは泡を噴いていた。それも仕方がないだろうか。
ミュレ団長はアダンの両足首をつかみ、逆さ吊りにして振っているのだ。しかも大きく振るから、少し加減を誤ったら石造りの独房の床に頭を叩きつけられそうである。
何度か振った後、チャリン、と小さな金属音がして、鍵が落ちた。ジスランは急いでそれを拾いに走る。カンテラで照らすと、きっとこれだろうと思われる小さな鍵が落ちていた。
「団長、鍵が出ました。多分これで合っていると思うのですが」
実際に回してみないと絶対とは言えないが。
団長は気を失ったアダンを寝台の上にポイッと投げると、ジスランの肩を押して独房の外へ出た。そうして、しっかりと施錠する。
「あまり褒められたやり方ではないのでな、このことは内密にな」
「もちろんです。助かりました」
融通の利かない石頭でないことが、恐れられつつも慕われるゆえんである。
ジスランは苦笑しながら足枷の鍵を大事に握り締めた。
ちなみに、こんな団長は向かうところ敵なしであるはずなのに、奥方には弱い。まったくもって勝てないらしい。人類最強は団長の奥方だろうか。
すぐにでも帰ってやりたかったが、アダンの取り調べと書類の作成に同席するしかなかった。アダンは意識を取り戻してからがまた厄介で、裁判だ裁判だと騒ぎ立てていたが、罪状に前妻殺害も加わっているアダンに勝ち目などあるはずがないのだ。
げんなりとして取り調べをする部下を励ましながらジスランも詰め所で夜を明かす羽目になった。




