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今回、ロッセル家に乗り込むにあたり、何故ジスランが抜擢されたのかというと、それはロッセル家の治めるマーベル地方とクララック家が治めるエストレ地方が陸地の隣り合わせであることがまず挙げられる。
それから、ロッセル家の嫡男アダンはジスランが気に入らないらしく、社交場で顔を合わせるたびに目の敵にしていることを周囲の人々が知っていたせいでもあるかもしれない。
とにかくアダンはジスランが気に入らないようだったから、その気に入らない相手に捕縛される屈辱をわざわざ与えたように思える。
師とも呼べる騎士団長、ピエリック・ミュレは、きっとジスランの報告を心弾ませて待っている。悪ふざけが好きな人だから。
アダンの父、ロッセル男爵は逃亡することもできそうになく、病院に搬送することになった。
だから、ジスランが連行しているのは、アダンとその母親だけである。今のところは頑丈な鍵のかかった馬車の中で大人しくしている。しかし、だからといって油断はできない。その静けさが逆に、何を考えているのかわからなくて不気味なのだ。
ジスランは馬車ではなく、騎乗して王都へ向かっていた。馬車に乗っていたのでは、いざという時に動きが遅れてしまう。
ロッセル家を出立して丸一日。道のりの半分を過ぎた頃だった。
早馬を走らせて来るのは、バディストたちと一緒に残した従士の一人であった。アダンたちを無事に送り届けたらジスランは文官たちと共に一度は事後処理に戻るつもりであり、それまで待つように指示してきたのだ。それが、急いでやってくる。何かあったのだ。
ジスランは部隊の進行を一時止めた。そして従士に向けて馬を走らせる。向こうもジスランが近づいてきたことに気づき、速度を落とし始めた。
「どうした? 何があった?」
「はっ。この手紙をお受け取りください。ロジーナ嬢からでございます」
「ロジーナの?」
従士が腰に提げていた革袋から封のされた手紙を取り出した。
『兄様へ』と書かれた文字は確かにロジーナの手によるものである。一刻も早くアダンたちを引き渡したいジスランは内心で焦れながらその手紙の封筒を乱暴にちぎった。
そうして、そこに書かれていることに目を通し、愕然とした。
「……なんてことを」
思わずつぶやいていた。
花嫁は足枷を嵌められており、その鍵はアダンが持っているとのこと。急いで追いかけるので、鍵を取り上げておいてほしい、と。
逃げられないようにか、そんなことまでするとは。本当に、女性を家畜か何かと思っているのか。
あの儚げな花嫁のことを思い出した。そんなもので縛められていたら、いつまでも安心できない。心細くて仕方がないはずだ。
ジスランは手紙を従士に渡し、そこで待たせると護送用の車体に近づいた。アダンと母親とは別の車に乗せてある。
馬から降り、馬を部下に託すと、ジスランは小さな物見の窓から中を覗き込む。格子のはまった窓から見る車内は暗かった。
「おい」
声をかけると、項垂れたアダンの頭が揺れた。それでも、顔を上げようとしない。
「おい」
また呼びかけても同じだ。わざと無視している。
ジスランは嘆息すると続けた。
「あの花嫁のことだが」
すると、アダンはようやく顔をこちらに向けた。目がギラギラとしていて、獣のように見える。それを眺めているのは、なんとも虚しい気持ちだった。
「花嫁の足枷の鍵をお前が持っているそうだな。それを渡せ」
その言葉を聞くなり、アダンは急に引き笑いをし出した。ヒィヒィと嫌な声だ。
ジスランが顔をしかめても、アダンはそれが愉快なのか笑うのをやめない。体をふたつに折って笑い続けたかと思うと、上体を起こした時には手に小さな鍵を持っていた。
「これか?」
鍵を振って見せびらかす。ただ、アダンがそれを素直に寄越すとは考えにくかった。
案の定、アダンはその鍵を床に落とすと、右足で踏みつけた。その足をどけようとはしない。
「取りに来いよ。ここにあるから」
これは挑発だ。
鍵を取るためにはこの扉を開けなくてはならない。兵士ばかりの中、アダンが単独で逃走できるとは思わないけれど、何かをしでかすような嫌な予感だけはつきまとう。
身体検査はした。危険なものは持っていないはずだが、小さな鍵を見落としていたように、まだ何かを隠し持っていないとも限らない。
ジスランはどうすべきか思案した。そんなジスランをアダンは嘲笑う。
「どうした? まさか、勇猛な騎士様が丸腰の相手に臆したとでもいうのかい?」
王都へ入れば逃走の機会はまず得られない。それまでに機会を作りたいと考えているはずだ。
それなら、今ジスランが馬車の扉をなかなか開けないことでアダンも苛立っているのかもしれない。ジスランは誘いに乗るつもりはなかった。
作戦を変えてみる。
「お前が花嫁にするつもりだった娘だろう? 何故、枷などする? 憐れには思わないのか」
「憐れ? それならお前が乗ってる馬は憐れじゃないのか?」
「彼女は人間だ」
「人間でも、身分も身寄りもないただの娘だ。悲しんでくれる相手さえいない娘の価値は家畜とそう変わらない」
よくそんなことが言えたものだ。腹の底からこの男を軽蔑してやまない。
ギリ、と歯を噛み締めると、ジスランは馬車から離れて待たせてあった従士のところに戻った。
怒りで頭がズキズキと痛みだすほどだった。
「すまないが、ロジーナたちが追いついたら、そのまま二人はロッセル家には引き返さずにうちのタウンハウスで待つように伝えてほしい。バディストだけは二人を送り届けたら戻ってもらってくれ」
「は、はい……」
あの花嫁には申し訳ないけれど、今ここでアダンに逃げられては元も子もないのだ。
ジスランは再び隊を王都へ向けて進ませた。




