81 永禄八年正月
年が変わり、永禄八年(1565年)正月、親父は、烏峰城の名を金山城と変えた。
母方の祖父である、林新右衛門通安が家臣に加わり、周辺の国人たちも臣従し出した。
この人の子の長兵衛も母と同じ熱心な一向門徒で、織田家の情報を本願寺に流していた問題児だ。
母の場合は推定黒だが、長兵衛は自白付きの確定黒だ。
於勝ちゃんが森家の問題児だと言われるが、俺にしてみれば、この姉弟の方が大問題だと思う。
新右衛門自身は知らないが、黒として考えておこう。
早く洗脳してしまわないと、我が家の失点になりかねない。
万が一にも、俺まで連座で処分されるなんて事になったら、目も当てられん。
堀菊之助が殿にドナドナされていったので、代わりに新たな小姓として、森吉成の弟の源八郎と安孫子忠頼の息子の竹丸が加入。
新たに入った小姓の竹丸は、正に少女と見紛うほど美少年で、利発で気が利き、少々勝ち気だが出世しそうな感じがする。
殿も気に入るかもしれない、将来に期待大の要チェックの人材やで。
だが、いくら俺が若いからといっても、皆も若くに仕官しなくてもいいんだよ?
十一歳とか、若すぎやしないかい?
源八郎は…うん、まあ、頑張れ?
さて、一年ほど前倒しに事が進んでいるが、美濃三人衆の寝返りなどは、どうなるのだろうか。
こちらは主に親父たちがやっているので、俺にはあまり分からない。
藤吉郎がやったと言われている、墨俣の一夜城イベントもあるのだろうか?
念のためウチの蓮台と坪内玄蕃殿の松倉城に木材の備蓄を頼んでいるが、少なくとも俺がイベントを起こしそうな気配は微塵もないな。
墨俣で使わなくても他で使えるだろうし、まあいいか。
そう言えば、河野島の戦いとかいうのもあったか…親父は参戦するのだろうか?俺は御免被りたいが。
今後暫く、親父は東美濃や武田への抑えの為、活躍の場は無いのかな?
昨年の末から、朝廷、幕府からの使者が尾張へとやって来る。
松平、浅井とも、輿入れの約束を交わしている。
上杉、武田とも同盟の話を纏めようと交流が持たれている。
あまり親父の出番はないかな。
平井宮内卿が家臣として森家へ召し抱えられた。
斎藤新五殿も狙っていたはずなので、先に連絡をとっていた分、ウチに有利に働いたようだ。
親父に金山の城下町の開発の為に、高給で召し抱えてもらう。
俺の家臣にするよりも、そっちの方がいいだろう。
これから上洛を目指す織田家としても、多少は使える人材なのではないかな?
京にどれだけの伝手が残っているかは知らないが。
竹中半兵衛、谷野大膳からは、断りの文が来た。
半兵衛は、取りつく島もない断り方だが、谷野大膳からの感触は悪くなさそうだ。
美濃が落ちれば…いや、美濃三人衆が寝返れば、いけそうな気がする。
斎藤利三からの連絡は、なんとも言えない玉虫色な返事。
稲葉家につくか森家につくか、色々考えているのかもしれない。
まあ、結果は美濃三人衆が寝返った時に分かるだろう。
稲葉一鉄とは相性悪いのだから、是非ともウチを選んで欲しいものだ。




