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討ち死になんて勘弁な  作者: 悠夜
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 78 勅使来訪

 九月二十八日、清須へと朝廷からの密勅(みっちょく)が来たようだ。

 勅使の立入(たてり)左京亮(さきょうのすけ)宗継(むねつぐ)と、その舅で幕臣の磯谷(いそがい)新右衛門久次だ。

 早い話が銭の無心だな。

 今は道家(どうけ)尾張という織田家家臣の歓待を受けている。


 実は織田家と朝廷の仲は悪くない。

 先代の信秀公は千貫もの大金を朝廷に献金している。

 他の大名よりも払っているので、その息子にも期待しているのだろう。

 織田家は金持ちだなぁ…


 まあ、ウチに関係なさそうなイベントは置いておいて、今は東美濃の事を考えよう…と思ったが、念のため平野右京進に、二人の事を聞いておこう。


 えっと、立入宗継と二人を歓待している道家尾張は磯谷久次の娘を嫁に貰っている。

 次に、磯谷久次の妻は、吉田兼右(かねみぎ)の娘。

 吉田兼右の兄は、清原業賢(なりかた)

 清原業賢の息子は、平野右京進(うきょうのじょう)

 つまり、平野右京進と磯谷久次の妻は従兄妹となる。

 繋がってしまった…


 この時代、養子に出された子の縁など、あまり重要視などされていないのかもしれないが、縁は縁だ。

 史実で織田家に仕官しているはずの平野右京進の名を全く聞かないので、その程度の縁なのだろう。

 細川藤孝とも従兄弟のはずだし…

 もともと平野家は清原家から分かれたらしいし、その縁で養子に入ったらしいから、繋がりが薄い訳でもないと思うのだが…

 まあ、何もないよりは良いはずだ。

 会話の入口くらいには、なってくれるだろう。


 しかしそんな血縁関係よりも俺にとって大事な事は、磯谷久次の治める近江の山中城は、京と近江を結ぶ峠道にあって、比叡山のすぐお隣さんだ。

 これは、仲良くなるしかないな!

 志賀の陣の時に援軍を出してくれると嬉しいし、ついでに比叡山を牽制してくれると助かる。


 そうだ、ついでに平野右京進に手紙を書かせて届けてもらおうかな。

 右京進のお父さんは、まだ元気なのかな?

 お兄さんは今の宮内卿だし、その娘は六角承禎(じょうてい)に嫁いでいるので、手紙は出さないとな。

 後は従兄弟の細川藤孝と、叔父さんの吉田兼右も忘れちゃいけない。


 そうだ、これに幕臣の瀬田左京と関白の近衞(このえ)前久(さきひさ)への手紙も紛れ込ませよう!

 瀬田左京は、後々明智光秀の家臣となるので、引き抜いておきたい…かな?

 あまり活躍したという話を聞かないから、微妙かな?


 近衞前久は、まあ駄目で元々、取り敢えず(つな)ぎだけとっておいて機会があったらくらいの気持ちでいいか。

 (おそ)れ多くも関白様だからな。

 京でのゴタゴタがあった時に、織田家に伝手がある事だけを覚えておいてくれればいいや。


 普段は無視するような伝手でも、事件が起こった直後の混乱で、自分に織田家への伝手がある事を思い出して、それ使う事を考えてくれる事もあるだろう。


 もうすぐ、京でゴタゴタが起こるしな!

平野右京進は、清原業賢の子と弟の系図がありますが、子の方を採用。


本拠が小牧山に移っているのに、勅使が清須に来ていますが、史実でも清須に来ているので間違いではないです。

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