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討ち死になんて勘弁な  作者: 悠夜
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 58 ツいてる方の生駒さん

 生駒八右衛門殿に生駒甚助殿への紹介状を頼んで、犬山城のすぐ東にある土田城へと向かう。

 甚助殿は、殿の生母である土田(どた)御前(ごぜん)の甥にあたり、元々は犬山織田家に仕えていた。

 まあ、信清の父親、信康の頃の話だが。



「お初に御目にかかる。(それがし)、生駒八右衛門殿の遣いで参りました、森三左衛門が嫡男、傳兵衛と申します」


「生駒甚助に御座る。傳兵衛殿には常常(つねづね)(ふみ)を頂き、一度お会いしたく思うておりました。して、八右衛門殿の遣いと申されましたか?」


 美濃の調略の一環として、手紙ばら()き作戦を行っていたので、当然、此処(ここ)にも出している。

 人によって温度差はあるが、佐藤忠能、岸信周、斎藤利三、辺りの武将には、念入りに情熱を込めて書いている。

 東美濃辺りの武将は武田の反応が怖いのでノータッチだし、北にある郡上郡や親父の支配下になるはずの可児郡の方も触っていないが、他の西美濃や中美濃辺りの思い出した武将には手紙を出している。

 反応はまちまちだが。


「甚助殿に織田家への合力を請いに参りました。犬山城が落ち、伊木、宇留摩両城は織田に付きました。猿啄城も程なく落ちましょう」


 流石に何回も同じようなことをしていると慣れたものだ。

 程なく、色良い返事を貰う。

 まあ、元々敵対していた訳でもないので、あっさりと決まる。


「では、織田方について頂けるということで」


「情勢ここに至っては(いた)し方御座らん。元々、祖父は織田与次郎殿に仕えておったのだから、元に戻ったといえなくもない」


 生駒甚助殿との話し合いは、スムーズに進んでいく。

 ちなみに織田与次郎とは、元犬山城城主だった織田信清の父親の事で、殿の叔父にあたる織田信康の事だ。


「早くの合力、上総介様も喜びます。必ずや重く用いられましょう」


 知らんけど。


 そうだ、可児郡周辺の情勢を聞いておかないと。


「そうですな、やはり可児郡では、久々利(くくり)氏の影響は大きい。親族の羽崎(はざき)氏に家老の大森氏と、やはり此処が最も注意が必要であろう」


 久々利氏許すまじ。久々利氏は諸々(もろもろ)の理由から、滅ぼしてやる…


「他には、御嵩(みたけ)小栗(おぐり)信濃守か。此処が東美濃との境となる。後は小粒だが、今城の小池刑部(ぎょうぶ)上恵土(かみえど)の長谷川五郎右衛門、塩河(しゅうが)可児(かに)氏と言ったところか」


 あと、明智光秀の家臣がこの辺りの出が多い印象だよなぁ。


 生駒甚助殿との話し合いを終え、親父の元へと帰るとするか。

 今どこにいるか知らないが、すでに猿啄城は丹羽五郎左衛門殿と河尻与兵衛殿によって落とされたようなので、取り敢えず犬山城へと向かおうか。

 いなければ、宇留摩城か猿啄城かな?


 そういえば、甚助殿の今の諱って、正成だっけ?政勝だっけ?

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