510 謀られたか!
井戸良弘視点です。
大和国高市郡越智村越智城 井戸若狭守良弘
越智伊予守(家増)が民部少輔(家高)を襲い十市城へ逃げ込まれた為に筒井家に助けを求めて来た。
元々十市城への出兵を目論んでいたとはいえ、十市城ではなく更に南に位置する越智城へ出向く羽目になってしまったのは誤算であった。
陽舜坊殿が居城としている福住城に敵が現れたとの知らせを聞いて、やはり越智伊予守を助けに来たのは間違いであったとの思いが強くなる。
「ここは福住に戻るべきに御座る!」
今、敵に攻められている最中の福住城城主でもある兵衛尉(福住順弘)殿が、越智城を捨てて福住城へ戻ろうと意見する。
確かに越智城など捨てて己の城へ戻った方が良いというのは分かるが、既に松永家の軍勢と対峙している。
相応の損害は覚悟せねばならぬ。
「城へ戻るにしても一当てするなりして相手を退かせねば、背後を襲われよう。敵の後詰めが来る前に戦うべきだ」
左門(慈明寺順国)殿は、先ずは一当てとの考えだ。
兵衛尉殿と左門殿は陽舜坊殿の叔父にあたり、筒井家において相応の力を持つ。
兵衛尉殿が撤退を主張し、左門殿もそれを否とせぬならば、退く事自体は決まったも同然。
後は一当てするかどうかだが、陽舜坊殿は迷っておられる様子。
そこへ福住城の続報が入ってくる。
自城を奪われて以降、当家に逗留しておられた豊田道見殿が、知らせを持ってやって来られた。
「柳生新左衛門(宗厳)、山口六郎四郎(秀勝)、それに偶々大和国に居られたらしい織田家の森兵部少輔殿により福住城は火が掛けられ、周辺の城も襲われております」
なんと!福住城に火を!
井戸城や残してきた十郎等は無事であろうか…
「それで!城は!福住城の者達は如何なった?!」
城を燃やされたと聞いた兵衛尉殿は、泡を食った様に道見殿に詰め寄る。
「某が井戸城を出た時に、燃えておるとの知らせがあっただけで、落ちたとは聞いておりませぬ。しかし、今も持ち堪えておるかまでは…」
そうは言うが、道見殿も持ち堪えるのは到底無理な話と思うておるのだろう。
「殿!一刻も早く城へ戻らねばなりませぬ!」
兵衛尉殿が必死に陽舜坊殿に訴え掛ける。
しかし、兵衛尉殿の他にも一刻も早く己の所領へ戻りたいと思うておる者が多くなったであろう。
これでは最早戦をするどころではない。
戦ったとて、敵に簡単に突き崩されてしまだろう。
「若狭守殿!」
「道見殿!井戸城は如何なっておろうか?」
報告の終わった道見殿に城の様子を尋ねる。
「儂が城を出たのは、兵部少輔殿が城に降伏を呼び掛けておるところであった。十郎殿は、若狭守殿が戻るまで耐えてみせると息巻いておられたが…」
道見殿の言葉に不安が混じっている様に思える。
「道見殿は何か懸念が?」
「いや、兵部少輔殿が何かを企んでおられるのではないかと思うてな。今思えば、儂が城を出た事を本当に気付かなんだのかと。態と見逃されたのではないかと不安になってな」
先ずは城が落ちていない事に安堵する。
確かに森兵部少輔といえば、霜台等も認める織田家の鬼才。
態と見逃されたのであれば、何か企んでいると勘繰るのも無理はない。
十郎は持ち堪えられると申したそうだが、兵部少輔が相手では心許ないか。
「兵を退く」
道見殿に詳しい話を聞いていると、陽舜坊殿の悔しそうな言葉が聞こえた。
どうやら道見殿と話している間に、方針は撤退で固まったらしい。
決まってしまったなら仕方がない。
此方も井戸城の事が気にかかる故、否はない。
一目散に福住城へ向かおうとする陽舜坊殿や兵衛尉殿を囮の様にして、なるべく敵と戦わぬよう突破を図り、無事に井戸城付近まで戻る事が出来た。
「おかしい。敵の姿が見えぬ」
城まで戻る事は出来たが、城を攻めておる筈の敵の姿が見えぬ。
「儂が城を出た時には、確かに敵兵は居った」
「まさか既に城が落とされておるとか?」
「いや。儂が城を出てから戻るまでに半日も掛かっておらぬ。その短い間に城を落とせる様な数でもなかった。幾ら兵部少輔殿と謂えども城を落とせるとは思えぬ」
道見殿は落ち着かな気に辺りをキョロキョロと見渡しているが、やはり敵の姿はない。
「退いたのか?」
まさかとは思うが…
「何があったか、確かめてまいる!」
そう言うが早いか、道見殿は井戸城へと駆け出した。
道見殿を眺めながらゆるりと城へ向かっていると、門が開き道見殿が戻ってくる。
「何故かは分からぬが、やはり敵は退いた様だ。詳しい事は分からぬのだが、戦いで十郎殿が傷を負ったらしい」
「なんと?敵は戦わずに退いたのではないのか?」
「分からぬ。十郎殿に直接尋ねる方が早かろう」
道見殿の言う事はもっとだと、十郎に話を聞く為に急ぎ城内へ入る。
すると、まだ外に兵が居るにも関わらず城門が閉じる。
「何事だ!」
慌てて門の方を振り向くと道見殿は門番の陰に隠れ、儂に向かい嘲りの笑みを浮かべている。
「悪いが若狭守、この城は既に兵部少輔殿によって落とされておったのだ」
よく見ると門番等も見知らぬ者ばかりであった。
くそ!謀られたか!
「最早何処にも逃げ場はないぞ、若狭守」
道見の勝ち誇った顔に、怒りが収まらぬわ!




