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討ち死になんて勘弁な  作者: 悠夜
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 34 森部の戦いの頃

 永禄四年五月十三日、殿より出陣の命が下り、織田軍は美濃に攻め込んだ。

 一昨日の十一日、美濃の国主である一色義龍が急死。

 それを好機とみた殿は、即座に美濃への侵攻を開始せよとの命令を下した。

 これが森部の戦いって事だな。


 この戦いで出禁になっていた前田又左衛門殿が首取り足立と呼ばれる荒武者を討ち取り、足立の首は城一つも同然と称され、赦されて復帰が認められる事となる。


 この後、森部の戦いで勝利した織田軍は、この時代廃城となっていた洲股の砦跡と更に北にある十九条城跡を改修して拠点とする。

 まあ、来年には放棄してしまうのだが…


 そしてこの戦い、俺は安定の留守番だ!

 まだ十歳だし、出陣しなければならない特別な理由があるわけでもないので、当然だな!


 

 この戦いで、今まで一色義龍のもと、勝てていた織田軍に負けてしまった。

 稲葉山城近辺にいる者ならともかく、国境付近にいる者達は、考えさせられる事になるだろう。


 まあ、今回の戦いは、義龍が急死した為に次代への権力移行が出来なかっただけだろうけど。

 十四歳で突然国主となった龍興くんには同情を禁じ得ない。

 織田と浅井に挟まれて、多くの国人衆は離反し、不和だった有力国人の長井隼人を家老にしてご機嫌とらないといけないし、頼みの綱である武田信玄の援軍も、実際に交渉している長井隼人次第。

 そりゃヤケにもなりますわ。

 でも、付け入る隙なので、そこを殴るのはやめないのだが。



 親秀吉となる川並衆は切り崩すことは決定だとして、他の美濃勢を森家に引き込んでいいものか…

 西美濃三人衆などは歴史通りでいいとして、中美濃の勢力は取り込んだ方がいいのかもしれない?

 我が家の弟くんが、後々ヤッちゃうからな~。

 本能寺の変のあと、東美濃、中美濃ほぼ全てを敵に回してしまうからな。

 あと、斎藤利堯(としたか)もか…

 まあ、それでも勝ってしまうのだけども…


 西美濃でも稲葉良通(よしみち)が斎藤利堯を旗頭に独立しようするし、安藤守就(もりなり)も旧領を取り戻そうと蜂起するし…いや安藤守就は、稲葉良通と戦うから放っておいてもいいのか…

 お前ら独立心強すぎなんだよ!

 森家に優しくしろよ!

 織田信孝(のぶたか)も、於勝ちゃんに全権を委ねるくらいの度量が欲しいところですな。

 あれで意外と内政も出来るんですぜ旦那。


 商売の関係上、木曽川流域の川並衆を味方につけるのは当然として、他にも加治田衆くらいは味方にしておいた方がいいのかもしれない。

 まあ、加治田衆に限らず味方は増やしたいが、みんな土岐氏の後裔ばかりで鬱陶(うっとう)しい。

 斎藤氏や明智氏の味方が多いし。


 現在、コンタクトをとっている宇留摩(うるま)城の大沢次郎左衛門と猿啄(さるばみ)城の多治見修理の反応はイマイチだが、商売の邪魔はされない程度の関係はもてそうか。

森部の戦いを1561年、十四条・軽海の戦いを1562年にしました。

十九条城の織田広良の没年が1562年となっているので…

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