291 篠原家の事情
篠原長房視点です。
播磨国加古郡高砂村高砂城 岫雲斎怒朴(篠原長房)
「ええい!自遁め、何をやっておったか!これでは何の為に播磨までやって来たか分からぬではないか!」
儂は、奪った高砂城を弟の自遁に任せて、小寺家への援軍に向かったが、城を守っていた自遁は、織田家の後詰めにまんまと釣り出され、返り討ちに遭ってしまった。
儂が直ぐに高砂城へ戻れた故、落城する事は免れたが、その代わり城に押し込められてしまった。
包囲はされてはおらぬが、身動きが取れぬ。
「あれは襲ってくれと言わんばかりの兵で御座った!その様な事よりも、此から如何するかを考えねば!」
自遁の娘婿である大代掃部介が弁明するが、敵の誘いに乗り、散々に打ち破られた奴が何を言う!
お主等のお陰で、別所孫右衛門を討つ機会を逃してしまったではないか!
「奴等も城攻め迄は、せぬ様だな」
しかし、儂等もこのまま城に篭っておっても仕方ない。
「しかし、此の後どうしたものか…」
家臣の庄野和泉守が呟きに、腹が立つのを抑える。
「赤松家も此方へ後詰めを送る程の余裕も無いだろう。このまま此の城に留まっても仕方あるまい」
城を出て、目の前の部隊と一戦交えるしかあるまい。
いざ城を出て、目の前の敵軍と戦おうと決まった時に、国許より急ぎの書状が届く。
差出人は、阿波の殿の許に残っている赤沢宗伝か…
「皆の者、城を捨て、急ぎ国許へ戻る」
書状を読んだ儂は、直ぐに撤退を決める。
「なんと!」
「何も良いところもなく逃げ帰るとは、如何なる事か?!」
周りの者からも納得が出来ないのだろう、疑問の声が上がる。
当然だろう。
赤松家への援軍として播磨までやって来て、高砂城を落としたとは言え、まだ何も為してはおらぬ。
況してや自遁が討ち取られ、散々な状態だ。
皆が、そう思うのも当たり前の事だ。
「先日、左馬頭(足利義栄)様が御亡くなりになられた。彦二郎(三好長治)様より至急戻れとの事だ」
「「なんと!」」
確かにこの頃、左馬頭様の御体は宜しくはなかったのだが、まさか御亡くなりになられるとは…
今後の事も話し合わねばならぬ故、急ぎ戻らねばならぬ。
「では、外に居る織田の兵は如何なさいますか?阿波へ戻ろうにも素直に帰してくれるはずも御座らぬ」
庄野和泉守の問いは当然だ。
阿波へ戻る為には、対峙している織田家の兵を何とかせねばならぬ。
城を囲まれている訳ではない故、織田家の兵を無視して阿波へ戻る事も出来るやもしれぬが、舟に乗り込むのを相手が黙って見ている筈もない。
「織田家とは和睦致す。織田家に城を明け渡す事を条件に、我等は一刻も早く阿波へと戻る」
儂の言葉に一同がどよめく。
「なんと!自遁様を討った織田家と和睦すると申されるか!」
自遁の娘婿である大代掃部助は不満の声を上げるが、元々この様な事となったのは、自遁のせいだ。
お主は、文句を言える立場にないわ!
「それに摂津教行寺の証誓殿より、英賀の三木家が兵を退くやも知れぬとの知らせがあった。三木家が兵を退けば、この戦いは苦しいものとなる。そうなる前に阿波へ戻る」
摂津富田の教行寺の証誓殿は、妹が儂の室である為、有り難い事に急ぎ知らせを送って下さった。
三木家が兵を退くという話に、掃部助も黙る。
「しかし、織田家は受け入れましょうや?」
和泉守は、織田側がこの話を受け入れるかどうか、危ぶんでいる。
「奴等は龍野の下野守への後詰めに参ったのだ。いつまでも我等と対峙しておる訳にもいくまい。その間に、下野守が浦上家に討たれるやもしれぬからな」
無傷で城を手に入れ、儂等を阿波へ追い返す事が出来るのだ。
恐らく、受け入れるのではなかろうか?
「和泉守、お主には織田家の居る久生寺へ行ってもらう」
「はっ、必ずや和睦を受け入れさせまする」
和泉守には自遁を止められなかった失態を、和睦を纏めた功で相殺させてやらねばならぬ。
甥の名代として播磨へ来ておる故、そこは考えてやらねば。
和泉守は無事に和睦の話を纏めて戻って来た。
「話合いは如何であった」
「はっ、我等は三日以内に高砂城を明け渡し阿波へ戻る事と赤松左京大夫殿と小寺美濃守殿へ我等が阿波へ戻る旨の書状を書く事、別所家は尾上城へ、織田家は北脇城へ入る事となりました」
「うむ、よくやってくれた。直ぐに書を認める。急ぎ阿波へ戻る仕度をせねば」
別所、織田両軍を無事退かせた事は助かる。
これで安心して舟が使える。
「…岫雲斎様、一つ御耳に入れたき事が」
「如何した?」
和泉守が声を潜めて、言いづらそうに話す。
「織田家の兵を率いておる森傳兵衛の事に御座いますが、三木家を退かせたのは、どうも傳兵衛の手腕によるものの様に御座います」
何?!
「どうやら傳兵衛が願得寺の実悟殿に働きかけて、三木家に兵を退かせたと…」
「何!」
なんと!まさか傳兵衛には、本願寺を動かすだけの力があるというのか!
いや、待てよ。
儂に知らせをくれた証誓殿の御祖父である蓮芸殿は、実悟殿が寺を破門されていた頃に、一時匿っておられた事もある。
儂が蓮芸殿の孫娘を室に迎えておる事を知っておられた実悟殿が、証誓殿に三木家の事を伝えて下さったのやも知れぬな。
「それだけでなく、傳兵衛は左馬頭様の事も知っておる様に御座います。微かにでは御座いますが、確かに足利義栄と呟くのを聞きました」
「馬鹿な!左馬頭様が御亡くなりになられた事以前に、臥せっておられた事自体伏せられておった筈。間者に嗅ぎ付けられたか?」
確かに左馬頭様は背中の出来物が悪化し臥せっておられたが、その事は極一部の者にしか知らされておらぬ。
間者に入り込まれたか、或は…
いや、今は兎も角、阿波へ戻らねば。
傳兵衛の事も詳しく調べねばならぬが、後で良い。
彦二郎様と、今後の事を話し合わねばならぬし、家中に入り込んだ間者の洗い出しも必要となろうしな。




