29 美濃を調略したい
桶狭間の戦いが終わり、次は美濃攻めが始まると思いきや、三河との戦いはまだ続く。
松平元康は、まだ独立しておらず、今川の家臣というポジションをかろうじてキープしている。かろうじて。
織田家が、まだ松平と争っているのにも拘わらず、美濃にも攻め込んで一進一退(?)の戦いを繰り返している中、俺は美濃の調略を頑張る日々をすごしている。
佐藤忠能、長沼三徳、湯浅新六などの加治田衆、岸信周、堀秀重、奥田直純、加藤光泰、斎藤利三などに調略をかける。
ほとんどは無駄に終わるのだろうが、斎藤利三は手に入れておきたい。
斎藤利三は、西美濃三人衆が織田についた時に、稲葉一鉄こと良通の家臣となるが、後に出奔し明智光秀の家老となる。
さらに稲葉家から那波直治を引き抜き稲葉家と諍いとなり、信長に切腹を命じられたのを逆恨みしたのが、本能寺の変に繋がったという説がある。
真実はどうあれ、稲葉一鉄と諍いがあったのは本当のようなので、その前に家臣にして、本能寺の変へのフラグを一つでもへし折っておきたい。
稲葉一鉄の家臣になると面倒なので!
まだ時間はある。
来年には、斎藤義龍が亡くなるので、前もって誼を通じておいて、森家の家臣とならずとも、織田家への橋渡しをして、美濃衆での存在感を示しておきたい。
美濃で有力な者といえば、西美濃では、曽根城の稲葉良通、大垣城の氏家直元、北方城の安藤守就。
プラスで西保城の不破光治と本田城の日根野弘就かな?
東美濃の遠山氏は置いておくとして、妻木城の妻木広忠くらいか?
中美濃では、関の長井道利は無視して、加治田城の佐藤忠能、堂洞城の岸信周、宇留摩城の大沢為康、猿啄城の多治見修理、米田城の肥田忠政、久々利城の久々利頼興かな。なんか印象の良さそうな奴がいないな。
あと、尾張葉栗郡の柳津城の竹腰尚光もいたな。
まずは、1564年に美濃に攻め込んだ時に攻略する、猿啄、宇留摩、伊木山の3城主とコンタクトをとってみますか。
いや、いっそのこと川並衆といわれる者たちに、尾張側美濃側関係なく片っ端から接触してみるか。
あっ、今の伊木山城の城主は誰だろう?
ウチの近所の柳津城も気になるが、史実では特になにもなかったので放っておいてもいいだろう。
ダメなら誰かがなんとかするだろうし。
無理のない範囲で頑張っていこう。
まずは、坪内玄蕃殿や蜂須賀彦右衛門殿、前野将右衛門殿に繋ぎを取ってもらうとしましょうか。
先に川並衆と接触して、秀吉には申し訳ないが、家臣にする訳でもないので赦して欲しいな。
弟の小一郎がいるから大丈夫だよね!(秀長信者)
さて、酒を用意するか…
伊木山城の伊木さんと宇留摩城の大沢さん諸説ありすぎ…
大沢さんの名前は色々ありますが、異母弟の名が為之という話があるので為康を採用してみました。




