表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
討ち死になんて勘弁な  作者: 悠夜
30/554

 29 美濃を調略したい

 桶狭間の戦いが終わり、次は美濃攻めが始まると思いきや、三河との戦いはまだ続く。

 松平元康は、まだ独立しておらず、今川の家臣というポジションをかろうじてキープしている。かろうじて。


 織田家が、まだ松平と争っているのにも拘わらず、美濃にも攻め込んで一進一退(?)の戦いを繰り返している中、俺は美濃の調略を頑張る日々をすごしている。


 佐藤忠能(ただよし)長沼(ながぬま)三徳(さんとく)湯浅(ゆあさ)新六などの加治田(かじた)衆、岸信周(のぶちか)、堀秀重、奥田直純、加藤光泰、斎藤利三(としみつ)などに調略をかける。

 ほとんどは無駄に終わるのだろうが、斎藤利三は手に入れておきたい。

 斎藤利三は、西美濃三人衆が織田についた時に、稲葉一鉄(いってつ)こと良通(よしみち)の家臣となるが、後に出奔(しゅっぽん)し明智光秀の家老となる。

 さらに稲葉家から那波(なわ)直治を引き抜き稲葉家と諍いとなり、信長に切腹を命じられたのを逆恨みしたのが、本能寺の変に繋がったという説がある。

 真実はどうあれ、稲葉一鉄と(いさか)いがあったのは本当のようなので、その前に家臣にして、本能寺の変へのフラグを一つでもへし折っておきたい。

 稲葉一鉄の家臣になると面倒なので!

 まだ時間はある。


 来年には、斎藤義龍が亡くなるので、前もって(よしみ)を通じておいて、森家の家臣とならずとも、織田家への橋渡しをして、美濃衆での存在感を示しておきたい。


 美濃で有力な者といえば、西美濃では、曽根(そね)城の稲葉良通、大垣(おおがき)城の氏家(うじいえ)直元、北方(きたがた)城の安藤守就(もりなり)

 プラスで西保(にしのほ)城の不破(ふわ)光治と本田城の日根野(ひねの)弘就(ひろなり)かな?

 東美濃の遠山氏は置いておくとして、妻木城の妻木広忠くらいか?

 中美濃では、関の長井道利は無視して、加治田城の佐藤忠能、堂洞(どうほら)城の岸信周、宇留摩(うるま)城の大沢為康、猿啄(さるばみ)城の多治見(たじみ)修理、米田(よねだ)城の肥田(ひだ)忠政、久々利(くくり)城の久々利頼興(よりおき)かな。なんか印象の良さそうな奴がいないな。

 あと、尾張葉栗郡の柳津(やないづ)城の竹腰(たけこし)尚光(なおみつ)もいたな。


 まずは、1564年に美濃に攻め込んだ時に攻略する、猿啄、宇留摩、伊木山の3城主とコンタクトをとってみますか。

 いや、いっそのこと川並衆といわれる者たちに、尾張側美濃側関係なく片っ端から接触してみるか。

 あっ、今の伊木山城の城主は誰だろう?


 ウチの近所の柳津城も気になるが、史実では特になにもなかったので放っておいてもいいだろう。

 ダメなら誰かがなんとかするだろうし。


 無理のない範囲で頑張っていこう。

 まずは、坪内玄蕃殿や蜂須賀彦右衛門殿、前野将右衛門殿に繋ぎを取ってもらうとしましょうか。


 先に川並衆と接触して、秀吉には申し訳ないが、家臣にする訳でもないので赦して欲しいな。

 弟の小一郎がいるから大丈夫だよね!(秀長信者)


 さて、酒を用意するか…

伊木山城の伊木さんと宇留摩城の大沢さん諸説ありすぎ…

大沢さんの名前は色々ありますが、異母弟の名が為之という話があるので為康を採用してみました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 秀吉には過ぎたる秀長がいるんだし、ちょっとぐらいつまみ食いしても平気平気
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ