286 増える狂人【地図あり】
各務孫太郎視点です。
播磨国印南郡中島村 森家家臣 各務孫太郎
突然馬に乗って駆け出した於勝様に追い付くと、川原で鱸を焼いて食べておられた…
何故だ?敵を挑発しに向かったのではないのか?
「おう、孫太郎も来たか!お主も食え!」
於勝様が儂に焼き立ての鱸を奨めてくる…
於勝様に何かあっては一大事と、慌てて追い掛けて来たが、於勝様等の様子に唖然となる。
「この様な時に何をなされておられるのですか!」
「すぐに食べぬと鱸が傷むではないか」
九一郎殿の言葉に力が抜ける。
「その様な話をしておるのではない!」
あまりの馬鹿馬鹿しさに気が抜けて思わず声を荒らげるが、共に追い掛けて来た筈の加藤喜左衛門殿が、何故か鱸を食らいながら儂を宥めてくる。
「まあまあ、敵への挑発にはなっておろう。敵を挑発する事は、傳兵衛様も認めておられる」
確かに挑発にはなろうが、流石に巫山戯過ぎではあるまいか…
「兄上曰く、腹が減っては軍は出来ぬ、だ。そう目くじらを立てるな」
於勝様は、そう言うと再び鱸を渡してくる。
今更何を言っても無駄なのだろう。
溜め息を吐くと、その鱸にかぶりついた。
「於勝様!敵が高砂城より出陣!此方へ向かっております!その数、三百!」
物見からの知らせに、皆に緊張が走る。
「漸く来たか!皆の者!戦の仕度を!」
於勝様が嬉しそうに号令を掛ける。
「於勝様、ここで戦っては逃げ場が無く、場所が悪う御座います。何処かに移られては?」
ここは山と川に挟まれて、退路が無い。
例えば背後の山などに布陣すれば、後詰めが来るまでの時は稼げよう。
「必要ない!一人で十人程斬れば良かろう!兄上が鍛えた森家の精鋭であれば、難しくはなかろう?」
その様な事、出来るはずもない!
於勝様等を止めようと口を開こうとした時、加藤喜左衛門殿が於勝様を窘める。
「無茶を申されますな、於勝様。雑兵にその様な事を望んではなりませぬ。傳兵衛様は一番弱き者を物差しに策を練られます。己が出来るからといって、他の者にそれを押し付けてはなりませぬぞ」
おお、流石は喜左衛門殿!
喜左衛門殿は傳兵衛様が元服する前からの家臣なだけあって、於勝様も無視は出来ぬ。
「ならばどうせよと申すのだ。まさか尻尾を巻いて逃げよとは申さぬよな」
於勝様は不満気な顔で、喜左衛門殿に尋ねられる。
「このままで宜しかろうかと…」
えっ?もっと地の利がある所へ移った方が良いのではないか?
「この場におっては敵に囲まれるのではないか?」
疑問に思った儂が、喜左衛門殿に問う。
「囲ませれば良いではないか」
はっ?
「敵に襲われた上に囲まれてしまっては、如何するつもりか?」
「我等を囲むという事は、それだけ敵の陣容が薄くなるという事に御座る」
確かに、広所へ兵を配さねばならぬ為、陣容は薄くならざるを得ぬが…
「成る程!その薄くなった本陣目掛け斬り込み、敵の大将を討ち取るのだな!」
於勝様達は喜左衛門殿の話に、我が意を得たりと生き生きとした表情を浮かべている。
「いや、多少兵が減ったとて、我等が将を討つ前に、敵に囲まれ討ち取られよう」
儂が反論すると、於勝様はやれやれといった様子で首を振る。
「なに、此所には兄上が長年鍛えた蓮台の兵共が居るのだぞ?囲まれる前に敵将の首を取る事なぞ造作もない」
その様な事があるものか!
慌てて喜左衛門殿に目を向けると、感慨深げに頷いておられる。
「思い出しますなぁ…傳兵衛様の初陣を。あの時は敵兵三百に対し、我等十騎ばかりで斬り込み、唯ひたすらに大将目掛けて真っ直ぐ突き進み、見事傳兵衛様が石橋式部大輔を討ち取られました」
まさか!戦場での傳兵衛様が、その様な御方だったとは…普段の物腰とは大きく異なる。
いや、しかし…年始にあった京での戦でも、傳兵衛様は敵に斬り込み、共に戦った家臣の市助殿が大将首を上げたとか…
「おお!流石は兄上!」
話を聞いた於勝様は大層喜ばれておられる。
「あの頃の傳兵衛様の齢は、今の九一郎殿と同じ九つであった。しかし此度の戦の方が味方の兵の数も多く、しかも精強に御座る。何を不安に思う事があろうか!」
喜左衛門の言葉に周りの兵達の士気も上がる。
「ほれ、いよいよ敵もやって来ましたぞ。孫太郎殿も迷っておる暇など在りませぬぞ!」
小次郎殿の言葉に顔を上げると、遠くにうっすらと敵影が見える気がする。
本当に敵に斬り込むのか…
ええい、儘よ!やってやろうではないか!
注) 加藤喜左衛門の記憶からは、熱田から援軍があった事は、都合良く消えています。




