278 あれ?長房は?【地図あり】
五日後、奥田三右衛門と大石弾正左衛門率いる関津・大石の兵が到着するのを待って、京にいるウチの兵と、今回与力となった赤座兄弟と坂井与右衛門の兵と共に、摂津国の本興寺を目指す。
本興寺は尼崎にある法華宗の中心的な寺で、若い僧の修行場みたいな所らしい。
代々貫主は、本能寺と兼任するのが決まりらしいので、先日本能寺に行った時に貫主の日承上人から、本興寺の近くに陣を張らせてもらう許可を得た。
流石に寺の中に兵を入れたりはしないが。
瓦林城からは少し距離もあるし、武庫川を渡らないといけないが、後から来る兵とはそこで合流する予定となっている。
摂津では無理に戦う必要もないし、間に合わなくても構わんだろう。
途中の高槻で一泊すると、入江家当主の弟で、本圀寺の変の時に義昭に取り次いだ入江平内が、ウチも兵を出しますと言って合流してきた。
これで今の時点でのウチの兵は、400程か。
翌日の朝に高槻を出発し、昼過ぎには本興寺へと到着する。
後続の兵を待つ間に、摂津、和泉の軍勢や敵の篠原家の様子を伺う。
瓦林家の救援に間に合うかどうかまでは知らないが…
調べによれば、既に近辺の国人衆の兵は到着しており、篠原家の兵は越水城へ退いた後らしかった。
「殿、既に岫雲斎(篠原長房)は越水城を出、何処かに去った模様に御座います」
翌日、尼崎に前乗りして情報を集めていた渋谷宇助が戻り、そう報告してくる。
瓦林家への援軍が集まる前に、とっとと撤退したって事か。
やはり播磨で戦っている摂津衆への牽制が目的で、本気で戦う気など無かったのだろう。
自軍に被害が出る前に、さっさと撤退してしまった。
「岫雲斎が何処へ向かったかは分かるか?」
「残念ながら。既に舟にて摂津を出たのは確認しておりますが、何処へ向かったのかまでは…」
篠原長房が、素直に阿波に帰ってくれたのなら良いけど、別の場所を襲われたら鬱陶しいなぁ。
「仕方あるまい。流石は岫雲斎、退き時を心得ておる」
しゃあない、この援軍の大将である畠山家の所へ向かって、この後どうするのかを相談しなきゃ。
畠山家の兵を率いている河内守護代の遊佐河内守信教の所へ向かう。
だが、遊佐信教は、「既に篠原の兵は追い払った故、我等は河内に戻る。後の事は野間殿に御任せ致す」と言って、陣払いの支度をしていて、早々に追い返された。
うん、感じが悪いな。
仕方なく、河内三好家の兵を率いている野間左橘兵衛康久殿の元へ向かう。
「傳兵衛殿、御久しぶりに御座るな」
「御無沙汰しております左橘兵衛殿。正月以来に御座いますな」
野間左橘兵衛殿とは、正月に北野社を攻めていた石成友通を降伏させたいと説得に訪れた時以来だな。
こっちは遊佐家と違って、フレンドリーな感じがするな。
多少の雑談を交わし、本題に入る。
「左橘兵衛殿は、この後如何される?河内守殿は、直ぐに自領へ戻られる様に御座るが」
「我等は暫くの間、この地に残り篠原家の兵が戻ってきた時の為に備える。傳兵衛殿は如何致すのか?」
左橘兵衛殿は、遊佐信教と違ってヤル気があるなぁ。
それにこの辺りは昔、松永霜台が治めていた事もあったので、三好家の人間としては捨て置けないのかもな。
「我等は、後詰めを待ってから播磨へ向かいまする。どうも龍野の下野守殿が戦に敗れ、些か不味い事になっておる様に御座る」
「それは御苦労な事だ。傳兵衛殿の事は、某からも播磨を攻めておる池田筑後守殿へ伝えておこう」
「宜しく御願い致します」
有難いね。
まあ、池田勝正も、俺が後詰に向かう事は聞いているだろうし、俺からも知らせを送るつもりだが、例え勝正が俺の事が気に入らなくても、複数の所から宜しくと手紙が来れば邪険には出来まい。




