273 大石家の野望
大石良定視点です。
近江国栗太郡東村大石屋敷 大石平左衛門良定
「我等は中務大輔様の命に従い、伊賀の宮田長兵衛殿と共に関津、勢多を攻める」
当家の当主である金右衛門殿の言葉に皆が驚く。
「いくら旧主である六角家の中務大輔殿の命とは言え、大樹に弓を引くと申されるか?」
分家の代表である父の弾正左衛門が、金右衛門殿の言を確認する。
「大樹に弓を引く訳ではない。あくまでも六角家の再興が目的だ」
「しかし、中務大輔殿は六角家の当主ではありませぬ。右衛門督様は中務大輔殿に同心なされようか?」
そう、中務大輔殿が六角家を再興したとしても、果たして右衛門督様がそれを許すだろうか。
「無論、六角家の当主は右衛門督様だ。右衛門督様より御叱りがあれば、即座に領地へ引き返す。我等の目的は関津を手中に収める事よ」
「関津を、に御座るか」
むっ、関津か…成る程。
「皆も知っての通り、領内は木材や薪炭を売って生活しておるが、それらを運ぶのに勢多川を利用したい所だが、難所がある為に使えぬ。峠を越えて関津へ運ぶ事になるが、関で結構な銭を宇野家に取られる事になる。此度の事を利用して関津を奪う事が出来れば、我等の暮らしも楽になろう」
確かに関津を手に入れる事が叶えば、当家から宇野家が奪っていた銭だけでなく、下田上での水運で得られる利益も加わり、多くの銭を手に入れる事が出来る。
「確かに中務大輔殿が当主となれば、関津の領有は認められるやも知れませぬ。だが、果たして勝てましょうか?」
「中務大輔殿の命に従い六角家再興の為に立ち上がる者も多かろう。今、摂津の兵は播磨にあり、織田尾張守は伊勢にて北畠家との戦いの真っ最中。勢多橋を落として京よりの援軍を防げば、十分に勝機はある」
確かに、摂津衆は播磨に、織田家は伊勢にいるので、援軍の心配はないが、そう上手くいくだろうか?
結局、金右衛門殿の意思は変わらず、 伊賀三田郷丸柱の国人である宮田家からの兵と共に、関津城へ攻め込む事となった。
ところが、関津城を落とす事は出来たが、その戦いで当主の金右衛門殿が、宇野家当主の宇野源太郎と相討ちとなってしまった。
父は直ぐ様分家の者を集めて、今後の相談をする。
「金右衛門殿が亡くなられた今、領地へ退いた方が良いのではないか?」
「左様。右衛門督様からも、中務大輔殿に味方するな、との文が届いておる。金右衛門殿も右衛門督様からの御叱りがあれば引き上げると申しておられたのだ。当初の予定通り、引き上げるべきだろう」
「しかし、長兵衛殿の事は如何する?このまま引き上げては、流石に不義理ではないか?」
「元々我等は此度の戦には反対であったのだ。京より援軍が来る前に領地へ退くべきだ」
「だが、今更退いたとて、改易の憂き目に遭うだけではないのか?」
色々と意見は出るが、領地へ退く事を推している方が多いか。
金右衛門殿に引っ張られて、戦に出たものの、肝心の金右衛門殿が討ち死にしては、皆のやる気も出ぬ。
このまま戦い続けるのは難しかろう。
新たな当主も決めねばならぬ。
父も分家の纏め役というだけで、家を率いる立場にいる訳ではない。
「このままでは戦えぬ。一度領地へ引き上げる事と致そう」
皆と話し合った結果、新しく当主を決めた後、周囲の状況を見て、再び出陣するかを決めようという事となる。
関津城が落ちた事で、山岡家は大日山城を捨て勢多城へと退いた。
宮田家のみでも、勢多橋を落とす事は出来よう。
後の事は宮田長兵衛殿に任せて兵を退く。
領地に戻ると、宗家の者に金右衛門殿の討ち死にを知らせ、直ぐに次の当主を立てる為の話し合いが行われている。
「平左衛門、大日山城を攻めておられる織田家の森傳兵衛殿の所へ参る。お主も付いて参れ」
まだ、次の当主を決める為の話し合いの最中であったはずの父がやって来て、織田家の者に会いに行くと言い出した。
「いきなり織田家の者の所へ参るとは?父上、話し合いは終わったのですか?」
「いや、それどころでは無い。織田家の森傳兵衛殿が勢多川を渡り、勢多城を攻めていた宮田家の兵を背後から襲い、蹴散らしたそうだ。長兵衛殿は大日山城に篭った様だが、あまり持ちはすまい。当家にも傳兵衛殿より降伏せよとの書状が届いておる。直ぐに傳兵衛殿の元へ向かうぞ」
宮田長兵衛殿は、勢多橋を焼き落としたものの、戦に敗れ大日山城へ押し込められてしまったそうだ。
「父上、降伏されるのですか?」
此方の意地を見せる為にも、一度戦った方が良いのではないか?
「それを見極める為にも、傳兵衛殿に会わねばならぬ」
父の言葉に納得し、急ぎ支度を済ませ、大日山城を攻めている森傳兵衛殿の陣へと向かう。
父と共に大日山城付近の森傳兵衛殿の陣に着くと、早速傳兵衛殿に詰問される。
「此度は、当家当主の金右衛門が中務大輔様に唆され、六角家の旧領回復を目的としたものに御座います。決して尾張守様、大樹へ弓を引いた訳では御座いませぬ」
此方の言い分は、討ち死にした当主の金右衛門が中務大輔の六角家再興の呼び掛けに応じたのであって、右衛門督様が中務大輔への同心を制止する文を出されてからは兵を退いている、という話で押し通す。
「良かろう、降伏は受け入れよう。妙見山城と館は我らが入る故、速やかに明け渡せ。尾張守様の命あるまで、金右衛門に代わり、其方が一族を纏めよ。金右衛門の一族は全て捕らえ、其方の一族と共に館へ送るように」
降伏は認められたが、当主の城と屋敷を引き渡し、当主一門を捕らえよとは…
「妙見山城を明け渡せと?」
父は城を明け渡す方に難色を示しているが…
「仕方なかろう。関津城はお主らによって焼かれておるし、大日山城には伊賀衆が入っておる上、落としたとしても山岡家に返さねばならぬ。我等の入る城があるまい?」
確かにまだ戦が収まった訳ではないが…
そこに、傳兵衛殿の家臣がやって来て、傳兵衛殿に耳打ちする。
何やら起こったのであろうか?
「しっかし、運が良い奴だなぁ」
傳兵衛殿は家臣の話を聞かれた後、運が良いと些か馴れ馴れしくからかう様に申される。
不審に思い傳兵衛殿の表情を伺うと、からかう様な口調とは裏腹に睨め付けられている。
その怒りの視線に思わず頭を下げ、視線を逸らす。
恐らく傳兵衛殿は、当家を攻め滅ぼす積もりであったのだろうが、何らかの知らせを受けて取り止めたのだろう。
「では弾正左衛門、三日以内に城を明け渡す様に」
傳兵衛殿の迫力に圧されたのだろう。
その言葉に父も反論なく、頷いていた。
急ぎ領内へ戻ると、直ぐに城と屋敷の明け渡しの支度を始める。
兎に角今は、傳兵衛殿の怒りを買わぬ様に、城の明け渡しの支度を急がねば。
傳兵衛殿に当家を攻める口実を与えてはならぬ。
三日後、なんとか傳兵衛殿が来られるまでに、妙見山城を空にし、宗家の者を館に軟禁する事が出来た。
各分家当主と共に傳兵衛殿を出迎える。
「尾張守様の別命があるまで、儂がこの城と関津を預かる。金右衛門の子は寺に入れよ。他の者の差配は弾正左衛門に任せる。弾正左衛門、お主が新たな当主となり家を纏めよ」
「はっ!」
おお!父が新たな当主となるとは!
家も潰されずに済んだし、なんと運が良い。
関津と東村を失う事となったが、なんとか傳兵衛殿に気に入られ、返してもらえる様にせねばな。
「それから、関津と東村の間にある大石関だが、関は残すが関銭を取る事は禁ずる。この様な所で銭を奪っていては、大石庄での商売の妨げになる。幸い、関津と東村共に儂が預かっておる。次に治める者が如何するかは知らぬが、儂が預かっておる間は関銭を取らぬ故、商売に力を入れ、領民を富ませよ」
…関津を奪う事は出来なんだが、関銭を廃する事だけは、出来たようだ。
これで、金右衛門殿も少しは報われよう。




