270 弾を斬られた…
城戸弥左衛門視点です。
近江国甲賀郡多羅尾村 音羽家家臣 城戸弥左衛門
パーンっと鉄砲の乾いた音が響き、敵の男が二人倒れる。
「殿!作兵衛様!」
倒れた二人に周りの者が駆け寄っていく。
儂等は、敵将の多羅尾光俊を狙い鉄砲を撃ったのだが、光俊の側にいた者が邪魔をした為に狙いが外れ、弾は光俊を掠めただけに止まった。
しかし、運良く光俊を庇った者には当たり、撃ち殺す事は出来たようだ。
しかも、どうやらその者は光俊の子であったらしく、目的通りに敵を混乱させる事が出来た。
「半六殿、今の内に退却を!」
「助かったぞ、弥左衛門!」
多羅尾光俊の子を撃ち殺した御陰で敵の追撃の足が止まり、国境を越えて伊賀まで退く事が出来た。
六角中務大輔の要請で甲賀多羅尾へ、音羽半六殿や富岡忠兵衛殿が近隣の兵を率いて攻め込んだまでは良かったが、肝心の中務大輔が野川で敗れたとの知らせを受けた為、伊賀へ逃げ帰る羽目になってしまった。
しかし、中務大輔も存外に役に立たぬ。
此度の戦は、伊勢の北畠家の要請で、がら空きになった近江へ中務大輔を攻め込ませ、伊勢を攻める織田家の兵を退かせる事が目的であったのだが…
その目的を果たす前に敗れるとは、中務大輔め、全く使えぬではないか!
「弥左衛門、勢多へ向かった者が戻って来たのだが、どうやら勢多城を落とす事は叶わなかったらしい。京に残っていた織田家の後詰めとの戦となり、宮田長兵衛は敗北し大日山城へ退いたそうだ。辛うじて勢多橋を焼く事は出来た様だが…」
「左様に御座るか…」
そうか、大石家に協力して勢多を攻めていた宮田長兵衛は敗れたか。
当初は勢多を攻め落とし、優位な形で京との交渉を進める積もりであったのだが…
中務大輔も京へ向かう事よりも、自領の奪還を優先しておったからな。
「弥左衛門、お主には大日山城の長兵衛を救いだしてもらいたい。山岡対馬守か織田家の森傳兵衛を殺せば敵の兵も混乱し、長兵衛が逃げ帰る隙も生まれよう。頼めるか?」
「承知致した」
チッ、世話の焼ける。
しかし、見殺しにも出来ぬし、仕方あるまい。
儂の他にも鉄砲の腕に自信のある者を二人連れ、商人に身をやつして再び近江国へ入り勢多を目指す。
念の為に大石庄は通らず、北の太神山不動寺を通り、田上庄の里村を経て勢多へ辿り着く。
そこで二人とは一旦別れ、勢多で話を集める。
どうやら宮田長兵衛と共に勢多城を攻める筈だった大石家は既に織田家に降り、田上庄の諸家も大石家の説得で織田家に転んだ様だ。
頼みの青地家も既に降伏していて、長兵衛は完全に孤立無縁の状態だ。
「さて、山岡対馬守と森傳兵衛は大日山城を囲んでおる様だが、どちらを狙うべきだ?」
土橋村の原田杢右衛門が問うが、さてどうしたものか。
二人に分かりやすい特徴があれば良いのだが…
「森傳兵衛の方だが、緋色の陣羽織を羽織っておってかなり目立つ姿らしい。そちらを狙う方が良いのではないか?」
有難い事に、印代村の服部甚右衛門が傳兵衛の出で立ちを調べてきてくれていた。
「ならば、傳兵衛の方を狙うぞ。どうやら直に勢多橋の架け直しが終わるらしい。だからその前に仕留めておきたい」
二人も頷き同意する。
暫く商人として勢多にて軽く商売しながら様子を探っていると、傳兵衛が大石庄へ向かうという話が入り、急ぎ傳兵衛を狙える場所を探す。
幸い、大石庄への道中は山や林には事欠かず、傳兵衛を狙える場所には困らなかった。
手頃な林に身を隠し、傳兵衛一行が通りかかるのを待つ。
「弥左衛門!杢右衛門!来たぞ!」
甚右衛門の言葉にそちらを見ると、確かに一団の中に、五寸(四尺五寸)以上ありそうな馬に乗り、緋色の陣羽織らしき物を纏った若武者が見える。
「間違いないな」
目標の傳兵衛を確認すると火蓋を切り、鉄砲を構える。
傳兵衛を撃つ機会を窺っていると、何故だか傳兵衛の馬の脚が止まった。
「今だ!」
二人に声を掛け、一斉に鉄砲を放つ。
パーン、パーン、パーンと乾いた銃声が辺りに響く。
「殺ったか!?」
杢右衛門の言葉に傳兵衛を見やると、傳兵衛はいつの間にか太刀を抜き放ち、振り下ろした状態で此方を睨んでいる。
外したか!
「いや、全て外した!それどころか、彼奴は太刀に弾を当てて防ぎよったぞ!」
撃ち損じた事よりも、甚右衛門のその言葉に驚かされる。
「馬鹿な!その様な事があろう筈があるまい!」
飛んで来る鉄砲の弾を弾く事など、出来る筈がないではないか!
思わず甚右衛門に反論するが、確かに傳兵衛は太刀を振り下ろしている。
「その様な話は後にせよ!兎も角、急ぎこの場を離れるぞ!」
杢右衛門の言葉に我に返る。
そうであった!急ぎこの場を離れねば!
直ぐに森家の者共がやって来る!
無事に森家の者共より逃げ延び、勢多近くの山中へと潜伏する。
「厳しいな、既に森家の手の者が街道を塞いでおる。この辺りの国人共も手を貸しておる様だ」
杢右衛門の言葉通り、森家の者共は我等を必死に探しておる。
「余所者の我等は目立つ。やはり伊賀へ戻るには、山中を抜けるしかあるまい…」
陽も暮れて真っ暗な中、いつ獣に襲われるとも限らぬ道から外れた山中を抜けるのは勘弁願いたい。
なので、儂は一つ策を話す。
「いや、それよりも良い方策がある。しかも、傳兵衛に一泡吹かせる事にもなる」
「ほう、真か?傳兵衛めが我等の撃った鉄砲の弾を太刀で斬ったと、早くも噂になっておる。その様な話は我等の沽券に関わる故、今後の為にも払拭しておきたい」
傳兵衛めに一泡吹かせられると聞いて、杢右衛門も乗り気になる。
「して、如何なる策か?」
甚右衛門の問いに、慌てるなと制し策を話す。
「我等はこれより傳兵衛の許へ赴いて、賊の捜索に加わりたいと願い出るのだ」
二人共、此奴は何を言っておるのだという様な顔をしておるな。
「何故、その様な事をする。自ら捕まりに出向くと申すか!馬鹿馬鹿しい!」
杢右衛門は馬鹿げた事を言うなとばかりに文句を言う。
「誰が傳兵衛を襲ったかなど、奴等が知るはずもない。伊賀の商人として捕り物に協力すると言えば、向こうも喜んでくれよう。我等は下手人を探す振りをしながら、そのまま伊賀へ戻れば良い」
「これは良い!傳兵衛は自ら我等の逃亡を手助けしてくれる訳だな!」
杢右衛門は、儂の策に賛成の様だ。
下手人である儂等を追っ手として雇い、逃亡の手助けをしてくれるのだからな。
だが、甚右衛門は不満足な様だ。
「しかし、そう上手く事が運ぼうか?己の見栄の為に、そこまで危険を冒す必要はあるまい」
チッ、甚右衛門め、怖じ気づきよって。
「ならば、お主は勝手にすれば良い!行くぞ弥左衛門!」
甚右衛門の態度に苛立った杢右衛門が、いきり立つ。
まあ良い、傳兵衛めに恥を掻かせてやろうぞ!




