268 押し付けられたか…
家喜吉近視点です。
近江国甲賀郡野川村 伊賀衆 家喜下総守吉近
「この辺りが退き際か…」
織田家と戦う北畠家の頼みで、六角中務大輔を旗印に甲賀へ攻め入ったが、思ったよりも寝返る国人共の数が少ない。
山中家や伴家などといった甲賀の主だった家は何処も寝返らず、それ故伊勢を攻めている織田家を撤退させる事は叶わなかった。
京に右衛門督が居るとは言え、御家復興を謳う中務大輔に誰も力を貸さぬとは、六角家の威光も地に落ちたものだな。
甲賀を取り戻せると自信満々の中務大輔の言葉を信じて、甲賀の野川村へ攻め入ったが、これなら音羽半六殿や宮田長兵衛殿と共に勢多を目指した方が良かったか。
「新たに織田家の後詰めもやって来た様だ。そろそろ退いた方が良いのではないか?最早勝ち目はあるまい」
河合庄の田屋掃部介も同じ考えの様だな。
「だが、中務大輔は未だ諦めきれぬらしい」
儂の返答に、掃部介はチッっと舌打ちする。
「説き伏せねばならぬか」
掃部介の言葉に頷き、甲賀より兵を撤退させる為に中務大輔の許へ赴く。
「中務大輔殿!一度伊賀へ退き、体勢を立て直してから、再び攻め入りましょう」
再びがあるかは、分からぬがな。
「いや、もう一度文を送れば…」
中務大輔は未練があるのだろうが、今更文を送ったとて、誰が寝返ろうか。
甲賀で六角家に協力していた者達は、昨年の戦にて力を失い、代わって幕臣の和田家や織田家に従った瀧家などの勢いが増している。
今、甲賀に六角家に味方する者など居るまい。
「残念ながら、敵はそれを待ってはくれますまい。既に敵の後詰めが迫って来ております。急ぎ此処を離れねば」
「クッ、無念だが致し方ない。一度仕切り直そうぞ」
流石に中務大輔も勝ち目が無い事は分かっておるようだ。
未練を振り切って退却に賛同する。
「では、後詰めが向かって来る前に、急ぎ退きましょう」
よし、直ぐに伊賀まで退くぞ。
「残念ながら少し遅かった様に御座る。既に後詰めが我が軍勢に攻め掛かっておる。旗印を見るに、あれは織田家重臣の森家の兵に御座るか…」
中務大輔に従っている望月出雲守が、いつの間にか現れる。
「なんだと!真か?!」
中務大輔が後詰めの話を聞いて激昂する。
「い、如何なされた中務大輔殿!落ち着かれよ!」
「誠に森家の者共か?!」
突然の激昂に中務大輔を落ち着かせようとするが、中務大輔は出雲守に掴み掛かる様な勢いで問いかける。
「伊勢三重郡に森三左衛門の嫡男である傳兵衛の領地が御座る。恐らくは其処の兵に御座いましょう」
「嫡男の方か!ならば尚更だ!この場で討ち取ってくれようぞ!」
中務大輔は激昂して、此方の話が聞こえていない。
「出雲守殿!これは一体?」
「観音寺城落城の折、承禎様、右衛門督様を待ち伏せし捕らえるよう献策したのが、森傳兵衛に御座る。傳兵衛さえ居らねば、御二方共捕らえられる事もなかった事に御座ろう」
くっ、出雲守め!要らぬ事を言いよって!
「今はそれどころではない!退きますぞ!出雲守殿、お主も中務大輔殿を御諌めせぬか!」
「…左様ですな。申し訳御座らぬ。中務大輔様、一度仕切り直しを…」
出雲守は少し思案した様な素振りを見せるが、頷くと中務大輔を宥めている。
「六角中務大輔殿、六角中務大輔殿は何処に居られる!」
だがそこへ、敵陣より大声が上がる。
「八郎右衛門!中務大輔殿は既に逃げたのではあるまいか?」
「何を言う、甚右衛門!六角家の当主の座を狙われる方が、真っ先に逃げ帰る筈はなかろう!」
「しかし、八郎右衛門殿!中務大輔殿は観音寺城の戦でも、一番先に逃げ出した御仁に御座る!此度も皆を見捨てて、一番に逃げ帰ったとしても不思議ではあるまい!」
「いやいや、半右衛門殿!中務大輔殿を見縊ってはならぬぞ!同じ失態を繰り返す様な無様な行いはなさるまい!」
中務大輔を挑発する掛け合いの後、敵陣より大きな笑い声が響き渡る。
「おのれ!こうまで言われて退けようか!出雲守!森家の者共を蹴散らすぞ!」
中務大輔は槍を取り、森家の軍勢に向かい駆け出していく。
馬鹿な!何故その様な見え透いた挑発に乗るのだ!
「いかん!直ぐに中務大輔殿を連れ戻せ!」
慌てて皆で中務大輔の後を追う。
「中務大輔殿とお見受け致す!某は森傳兵衛が家臣、森小三次。その首級頂戴致す!」
中務大輔に追い付くと、早速森家の家臣に襲われている所に出くわす。
「させぬ!」
出雲守が素早く二人の間に割って入り、中務大輔を逃がす。
「下総守殿!掃部介殿!今の内に中務大輔様を!」
出雲守は、儂と掃部介に中務大輔を逃がすよう頼むと、森家の家臣と対峙する。
「出雲守殿!」
「某の最後の奉公に御座る。中務大輔様の事、宜しく御頼み申す」
中務大輔などに付き合うのは真っ平御免なのだが、出雲守に最期の頼みと任されたのなら仕方ない。
「掃部介!中務大輔殿を連れ、急いで離れるぞ!」
掃部介と共に中務大輔を連れ、急ぎこの場を離れる。
出雲守が時を稼いでくれたお陰で、何とか伊賀へ逃げ帰る事が出来た。
「聞いたか、下総守」
一息吐いた所に、掃部介が話しかけてきた。
「何かあったか、掃部介」
「望月出雲守のことだが…」
出雲守か…
「討たれたか?」
「いや、あの後、森家に降伏したらしい。恐らく、中務大輔を見限っておったのであろうな」
は?最後の奉公とはそういう意味か!
成る程、中務大輔を押し付けられたか…




