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討ち死になんて勘弁な  作者: 悠夜
270/554

260 留守番中にレベルアップ

 四月下旬に始まった織田家の長野工藤家への攻略は、大体史実通りに事が運んだみたいだ。


 分部(わけべ)光嘉(みつよし)を始めとする親織田派の家臣達が主君の長野具藤(ともふじ)に、反織田派の細野藤敦(ふじあつ)が織田家に通じて裏切った、と讒言。

 元々細野藤敦とあまり仲の良くなかった長野具藤は、光嘉の讒言を信じて藤敦討伐に乗り出す。

 裏切り者の汚名を着せられた細野藤敦は、仕方なく長野具藤の率いる討伐軍と戦い、討伐軍を撃退する事に成功する。

 逆に敗れた長野具藤は、追放されてしまった。

 ちょっと情けない…


 具藤は、北畠家からの養子だから、家中を纏めるのが難しかったのかもしれないな…まあ、十七の若造じゃ仕方ないのかもしれない。

 しかし分部光嘉も、実の兄である細野藤敦を罠に嵌めて主君に討伐させようとするなんて、良くやるよね。

 まあ、俺と滝川左近将監殿が、分部光嘉を唆したんだけど…

 俺なら兄弟を罠に嵌める策なんかに、絶対乗らないね!


 結局、敵が攻めてくるっていうのに、内乱を起こして当主を追放したものだから、流石に反織田派の細野藤敦も勝ち目無しと抵抗するのを諦め、五月には織田家に降伏する事になってしまった。

 殿は、弟君の三十郎様を長野工藤家の当主に据え、長野工藤家の乗っ取りに成功する。


 その間、俺はというと、遂に念願の宝蔵院胤栄殿に教えを乞う事が出来た!

 決して、政務を嫌って京から逃げ出したのではない。

 少し暇が出来た時に、数日教わりに行っただけだ。

 十文字槍と言えば宝蔵院流!

 たかだか数日程度でモノに出来る筈もないが、少しでも胤栄殿に教えを受けているのと、いないのとでは、大きな差だと思う。

 胤栄殿は長刀の普及にも力を入れていて、その教えを受けた俺の長刀の腕前は大いに上がった事だろう…


 上がったのは長刀の腕前だけではない。

 以前、北大路刑部少輔殿より紹介していただいた飛鳥井黄門様に、歌の教えを受ける事が出来た。

 飛鳥井黄門様の下で俺はめきめきと腕を上げ、筋が良かったのか六月に入った頃には、飛鳥井流の伝授者として蹴鞠条々を授けられるまでになった。

 歌の方は、もう少し時間がかかりそうだな…


 六月の中旬になると、北畠家当主の北畠具房の叔父である木造(こづくり)具政(ともまさ)が織田家へ寝返る。

 これで、長野工藤家に隣接する辺りを勢力下に置くことが出来た織田家は、いよいよ北畠家の攻略に乗り出す。

 そして、織田軍は更に奥にある阿坂城(あざかじょう)を攻略する為、包囲を開始した。



 一方俺はというと、飛鳥井家に歌を習いに行く他にも、結城進斎殿に左太刀を習ったり、本願寺に献金して仲の良い実悟殿の地位向上に努めるなどして過ごしていた。

 そんな中、俺が定宿にしている寺で槍の稽古をしていると、奉行人の先輩である村井民部少輔殿が駆け込んできた。


「傳兵衛殿!一大事じゃ!」


 うん?何だ、そんなに慌てて。

 伊勢攻めで何か不具合でもあったかな?

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