登場人物10(239~259話)ネタバレ注意
◆森 傳兵衛 可隆
山科でのんびりしていたら、本圀寺の変に巻き込まれてしまった。各務元正に騙されて、中村新兵衛と戦わされた。
《家族》
◆森 伊豆守 可成
傳兵衛の独立や於勝の初陣、子供達の結婚など、頭を悩ませる問題を抱えながら南伊勢攻めの準備に忙しい。本圀寺の変で急ぎ上洛するが、戦には間に合わなかった。
◆森 於勝
次弟。十一歳。蓮台城城代として、傳兵衛の援軍として出陣しようとする。本圀寺の変で援軍に赴いた時には、既に戦は終わっていた。傳兵衛からお土産に、了戒の脇差しを貰った。
◆森 於乱
◆森 於坊
◆森 於力
四歳の三弟と三歳の四弟と二歳の五弟。六人目は恐らく再来年。
◆森 紹徹
祖父。於勝の後見として、蓮台城にて留守番が多い。
◆森 九一郎
九歳になる叔父。於勝ちゃんと共に初陣の機会を窺う。傳兵衛から上洛土産の脇差しを貰う。
◆営
傳兵衛、於勝、於乱、於坊、於力、菊、藤、松、梅の母。熱心な真宗の信者で、傳兵衛が実悟の美濃下向を実現してくれるのを楽しみにしている。
◆種
◆於立
父の側室。麦、稲の生母と武の母。於立は昨年、法華宗の一卯院日好上人を招いて森立寺を開山させた。
◆菊
長妹。青木次郎左衛門と結婚し、夫と共に大森城で留守番している。
◆藤、松、麦、梅、稲、武
妹達。藤は長沼藤治兵衛と、松は坂井久蔵との結婚が迫っている。
◆森 越後守 成恒
傳兵衛の大叔父。傳兵衛の後見。戸田の領地を任されてるが、願証寺対策で出陣する事はない。
《傳兵衛家臣》
◆三雲 三郎左衛門 資持
傳兵衛の情報収集担当。戦の現場に前乗りして、周囲の状況を調べてくる。NINJAの様な能力は当然ない!
◆長束 安芸守 正盛
◆渋谷 宇助 重成
◆大平 上野介 家次
本圀寺の変では、南近江の国人衆に対して援軍の要請に向かった。
◆森 源八郎 吉雄
傳兵衛の小姓。本圀寺の変では、中島清延の甲冑の用意などの雑用をしていた。変後に元服する。
◆藤堂 与吉
◆瀧 孫平次
傳兵衛の小姓。本圀寺の変では、堀尾吉晴と共に明智光秀の鉄砲隊に加わる。
◆渡辺 半蔵 守綱
傳兵衛軍の将。本圀寺の変でも、傳兵衛の兵を率いている。
◆平野 右京進 長治
傳兵衛の公家対策人員。だいたい傳兵衛の代わりに政務を行っている。
◆本多 弥八郎 正信
傳兵衛の謀臣。足が悪いので戦働きでの活躍は少ないが、後方で情報整理など仕事は多い。
◆多羅尾 彦市 光太
本圀寺の変では、傳兵衛と共に四手井城に兵を借りに行った。
◆建部 伝内 賢文
傳兵衛の内務担当兼武官兼書道の先生。本圀寺の変で、傳兵衛も各務元正も知らなかった中村新兵衛を知っていた。
◆安田 主税之介 国利
本圀寺の変の薬師寺貞春との戦いにて、一番に打ち合うが、逆に討ち取られてしまう。
◆渡辺 新左衛門 政綱
傳兵衛と共に在京中。本圀寺の変後に東福寺を訪れ、尼子勝久が行方不明となっている事を知り、傳兵衛に報告する。
◆可児 才蔵 長吉
◆加治田 新助 繁政
宝蔵院胤栄の元で十文字槍の修業をしていたが、三好家が京へ攻め込んだと知り、慌てて傳兵衛の元へ戻る。
◆堀田 新右衛門 正秀
傳兵衛の家臣で、於勝の下に付けられ蓮台で政務を手伝っている。於勝上洛時の引率役。
《森家家臣》
◆各務 清右衛門 元正
ドジっ子。桂川の戦いで傳兵衛に大将首を取らせようとして、間違って傳兵衛に家臣の相手をさせて、自分で大将首を取ってしまった。
◆林 小次郎
森家家老の林通安の嫡男。於勝、九一郎と共に京に旅行に出かけて、お土産に脇差しを貰って帰ってきた。
◆武藤 五郎右衛門 兼友
森家の古参家臣。可成が於勝の上洛に反対すると、於勝に味方し上洛を認めさせる。
◆近松 新五左衛門
新御所建造時に、織田家VS浅井家に発展しそうになると、傳兵衛に助けを求めに来る。
◇各務 孫太郎
於勝に付けられた家臣。京へ向かおうとする於勝を諫めるが押し切られる。
森長可の家臣。息子に肥田忠政の家臣である小左衛門と、森忠政の家臣の長助がいる。
《織田家》
◇津田 左馬丞 信重
傳兵衛の同僚の奉行人である中川重政の弟で、赤母衣衆の織田忠頼の兄。本圀寺の変では、織田家の兵を率い、敵の先鋒である薬師寺貞春の部隊と戦うが、敵に囲まれ討ち死にする。
史実の津田盛月。兄の中川重政と柴田勝家との領地争いで、勝家側の代官を斬った為に、兄諸共改易になる。その後秀吉に仕えるが、信長にバレて切腹させられそうになるが、本能寺の変が起こり、信長が討たれた為に難を逃れる。小牧・長久手の戦いに参加したり、家康と朝日姫の縁談を纏めたりして活躍し、3万5千石の領地を得る。
◇織田 左近入道
義昭の警護で本国寺に残っていた為に、本圀寺の変に巻き込まれる。
史実でも、本圀寺の変で門前を守っている。左近将監、謙亭などと呼ばれる?
◇赤座 七郎右衛門 永兼
三好軍上洛の報を聞き、いの一番に本国寺へ駆けつける予定が、傳兵衛に一番乗りされる。薬師寺軍との戦では、討ち取られた津田信重の首を取り戻す。
史実では、信忠の配下として、甲斐恵林寺を心頭滅却させた。安土に家族を連れて来ず単身赴任していた井戸才介を上意討ちにしたりもしている。本能寺の変で二条城にて討ち死にする。
◇赤座 助六郎 孝房
赤座永兼の弟。兄と共に本国寺へ救援に向かう。
史実では、信忠の命で武田勝頼親子の首を信長に配達した。別名、桑原助六。
◆堀 久太郎 秀政
信長の側近。本圀寺の堀の普請から、傳兵衛の太刀の写しの手配まで熟す有能家臣。
◆加藤 弥三郎
傳兵衛が南伊勢攻めから外されると、喜んで煽ってくる嫌な奴。
◆村井 民部少輔 貞勝
南伊勢攻略から外され、傳兵衛等と共に京の留守を任されてた。
《足利家》
◆足利 宰相中将 義昭
室町幕府十四代将軍。無事に本圀寺の変を切り抜ける。どうやら幕臣の知行地の事などを好き勝手している模様。
◆明智 十兵衛 光秀
本圀寺の変では鉄砲隊を指揮し、三好軍の迎撃に活躍する。織田家との両属。
◇野村 越中守 定常
本圀寺の変にて、投票多数で篭城軍の大将に指名され、三好軍を撃退する事に成功する。
史実では、本圀寺の変後に信長に仕え、野田・福島の戦いで摂津国春日井堤にて本願寺軍に敗れ討死する。
◆三淵 大和守 藤英
細川藤孝の兄。足利義昭と共に本国寺に篭る。義昭が傳兵衛への褒美に土地を与えようとするのを止める。
《阿波三好家》
◇石成 主税助 友通
三好三人衆の一人で唯一姓が三好じゃない人。本国寺での戦いに敗れた後、北野社へ向かい、北野社の兵と戦闘になる。小笠原秀清の知らせで北野社へ向かった傳兵衛の兵と挟み撃ちに遭い、河内三好家の野間長前の説得で降伏する。
史実では、後に足利義昭に臣従。義昭と信長が対立した際は、義昭側に付き淀古城に篭り抵抗するが、味方の裏切りに遭い細川藤孝の家臣の下津権内と組打ちになり堀に落下、水中戦に敗れる。
◇薬師寺 九郎左衛門 貞春
三好家の先鋒として本国寺を攻め、津田信重率いる織田軍と対峙する。傳兵衛の部隊に攻め入られ、一柳直末に討ち取られる。
史実では、斎藤龍興等牢人衆と共に本国寺を攻めるが、若狭衆の山県源内、宇野弥七の命を懸けた奮戦によって防がれる。
◇松山 新介 重治
堺の名物男。三好家の将として本圀寺の変に参加。桂川の戦いにて各務元正に討ち取られる。
史実では、三好家没落後は織田家に仕える。1582年の高野山攻めに参加。斎藤利三が仕えていた事もあるらしい。
◇中村 新兵衛 高続
松山重治家臣。鑓中村と呼ばれる教科書に載るほど高名な(?)武将だが、傳兵衛も各務元正も知らなかった。将と間違えた各務元正が傳兵衛に討ち取るように唆した。
史実では、東大寺大仏殿の戦いにて、松永久秀の軍勢と戦い討ち死にする。
《入江家》
◇入江 権之允 景秀
元高槻城城主入江元秀の嫡男。旧領回復を狙って本圀寺の変に参戦。薬師寺貞春に従い本国寺に攻め込むが、貞春が討ち取られると、傳兵衛の誘いに乗り、義昭側へ寝返る。
史実では、本圀寺の変後に細川藤孝に仕官し、関ヶ原の戦い前の田辺城での籠城では大手口を守備し活躍する。
◇入江 平内 景光
元高槻城城主入江元秀の次男。兄の景秀と共に本圀寺の変に参加。景秀が傳兵衛の誘いに乗り義昭側へ寝返ると、傳兵衛と共に本国寺に入り、義昭と対面する。
史実の平内入道真斎。本圀寺の変後、若狭逸見氏に仕えた後、牢人。細川忠興に仕え、能登守教経の矢の根などを献上している。200石。
《河内三好家》
◆三好 左京大夫 義継
本圀寺の変では、本国寺に援軍に向かうが、京に入る前に三好家に蹴散らされ、一時期討ち取られたと噂が流れる。だが、やっぱり生きていて、討ち死に寸前の石成友通を降伏させる為に野間長前を傳兵衛の許へ派遣する。
◇野間 左橘兵衛 長前
三好義継家臣。本圀寺の変の時に、北野社を攻めて逆に負けて寺に逃げ込んだ石成友通を説得し降伏させる。
史実では、三好義継の家老だったが、義継が織田家と敵対すると、池田教正、多羅尾綱知と共に織田方に付き、三人に義継の遺領が与えられている。ユニット名は若江三人衆。ちゃっかり信長から茶会を開く権利をゲットしている。
《小笠原家》
◆小笠原 備前守 秀清
小笠原備前家(京都小笠原家)当主。お役所を懲戒解雇となり妻の実家に転がり込んでいたが、本圀寺の変で石成友通を捕らえるのに協力した事で復職出来た。
《近衞家》
◆北大路 刑部少輔 俊孝
近衛家諸大夫。傳兵衛が正親町三条家に出向いた帰りに待ち伏せし、傳兵衛の歌道の師として飛鳥井雅教を紹介する。
《浅井家》
◇三田村 左衛門大夫 国定
新御所造営中に足軽の喧嘩から、佐久間信盛との抗争に発展、更に3on3と成り大暴れする。傳兵衛の詫び飲み会には不参加。
史実では、大野木秀俊、野村直隆と共に横山城を守備するが、姉川の戦いで浅井勢が敗れた為、城を放棄する。小谷城の戦いでは秀吉に通じて浅井家を裏切るが、戦後裏切り者として処刑される。一説には姉川の戦いで既に討ち死にしていて、その首は遠藤直経の織田信長暗殺の小道具にされたそうな。大野木秀俊の子で三田村家に養子に入ったとも。
◇大野木 土佐守 秀俊
新御所造営中に佐久間信盛と三田村国定との抗争に加担して大暴れする。傳兵衛の詫び飲み会には不参加。
史実では、三田村国定、野村直隆と共に横山城を守備するが、姉川の戦いで浅井勢が敗れた為、城を放棄する。小谷城の戦いでは秀吉に通じて浅井家を裏切るが、戦後に裏切り者として中村一氏によって殺される。
◇野村 肥後守 直隆
近江国国友出身の武将。その後、傳兵衛の詫び飲み会に仲間に振られボッチで参加。傳兵衛に鉄砲売買の仲介を頼まれる。
史実で、姉川の戦いでは横山城の守備を任されるが、姉川で浅井勢が敗れた為に開城。その後、国友砦を任されると宮部継潤の兵を撃退する。浅井家滅亡後は織田家に、本能寺の変後には秀吉に仕え国友2万石を得る。でも関ヶ原の戦いでは西軍について改易バイバイ。
《茶屋》
◆中島 四郎次郎 清延
茶屋四郎次郎。小笠原秀清から石成友通が北野社松梅院で戦になったという情報を傳兵衛に知らせ、そのまま戦にも参加して手柄も上げた。




