256 歌の師匠
まだ摂津や和泉では、三好家に味方した奴等の処分が続いているが、京での騒動はほぼ収まり、親父達重臣や一部の家臣を除いた大半の家臣達は、何もする事が無くなったので自分の領地へと戻って行った。
折角京まで大急ぎで援軍に来たのに、活躍も出来ずに帰るなんて、本当に皆様ご苦労さん。
勿論、於勝ちゃん達も何もしないままに領地へ戻っていった。
於勝ちゃんは散々文句を言ってはいたが、する事も無いんだから仕方ない。
次の機会はすぐにやって来るさ。
正月二十六日、昨日正親町三条実福が亡くなったという話が俺の耳に入ってきた。
切腹した武田義信の重臣だった飫富虎昌の遺児で、ウチの家臣の飫富新兵衛の甥の坊丸を匿ってくれたのが実福なので、一応お悔やみを申し上げに向かう。
公家とは関わり合いになりたくない…という程ではないが、なるべく近すぎず遠すぎずの都合の良い距離を保ちたいのだが、人脈は力だと思っているので、義理だけは果たしておかないとな。
実福の息子の公仲にお悔やみを申し上げ、長居はせずにとっとと屋敷を出る。
「おや、森傳兵衛殿では御座いませぬか」
正親町三条家の屋敷を出ると、何者かに声を掛けられる。
そちらを見ると、近衞家の家侍である北大路刑部少輔殿だった。
「これは刑部少輔殿。今日は侍従(公仲)様に何か?」
「いやいや。しかし、傳兵衛殿と会えるとは、丁度良かった。少々宜しいか?」
近衞家の家侍と言えば進藤左衛門大夫殿と会うことの方が多いが、刑部少輔殿ともそこそこ面識はある。
でも、こんな所でバッタリ出会す様な人でもないし、待ち伏せでもされていたかな?
「無論に御座る」
だからと言って、断るという選択肢は選ばないんだけどね。
そのまま、刑部少輔殿の屋敷へと連れて行かれた。
「以前、殿下との御約束で、傳兵衛殿に歌の稽古をつけるとの御話があったのだが、覚えておられようか?」
ああ…そう言えば、そんな事を約束したな。
すっかり忘れてたわ…
「無論に御座る」
「漸く御約束を果たせそうに御座います」
「ほう。それは有り難い事に御座います」
今更いいのに…
「本来ならば約束した殿下が指導すべきなのでしょうが、如何せん時間が取れず…代わりの方を探すのにも手間取りまして」
いやいや、関白殿下の指導を受けるとか、気疲れするわ。
「関白の職にあれば致し方ありませぬ」
しかし、関白殿下は忙しいのか…
公家が、どれだけ忙しいかなんて知らんけどな。
それに今の時代、公家の皆さんは地方へ下向していたり、代替わりで若年だったり、家督を継ぐ者がいなくて廃絶していたりで、結構人材不足となっているみたいだしな。
代わりの人を見つけるのも時間がかかるのかもな。
「飛鳥井黄門様に御受け頂ける事となりました故、傳兵衛殿に御知らせ致しに参った次第」
「なんと!黄門様が…」
飛鳥井黄門…飛鳥井雅春…いや、今は雅教か。
飛鳥井といったら蹴鞠や和歌で有名な…
「左様。三条亜相(三条西実枝)様とも考えたのですが、未だ駿府より御戻りになられませぬ故、やはり傳兵衛殿と縁があり、新たに武家伝奏となられた黄門様にと」
確かに飛鳥井雅教の身内には、弟に真宗高田派の尭慧、子に松木宗満、甥に朽木元綱と、多少縁のある人物がいるからな。
新たに武家伝奏となられたから、奉行人の俺等とも、これから付き合いがあるだろうし。
黄門様は武家伝奏となって、今後付き合いも出来るだろうから、仕方ないよなぁ…歌の為だし。
公家との付き合いは、なるべく控えたいところだが、歌の為だしな。
まあ、古今伝授の話に出てくる三条西実枝にも興味はあったが、駿府に下向中なので仕方ない。
折角骨を折って下さった殿下の顔に泥を塗る訳にもいかないしな。
「歌の大家たる飛鳥井家の御指導を受けられるとは…某としては大変有難い御話に御座いますが、本当に宜しいので?」
「黄門様も傳兵衛殿であればと、かなり乗り気な御様子で」
…授業料が目当てかな?




