26 石橋を叩いて
親父から清須へ来るよう呼び出しをうけた。
服部左京進をどうするか決まったらしい。
織田上総介様から褒美を与えられるそうだ。
今回の戦の褒美自体は、加藤図書助殿から50貫その他(家臣分含む)を受け取っているから、左京進の事での褒美だろう。
どうやら息子の弥右衛門尉正友を人質とし、荷ノ上城の引渡しと不戦協定を結ぶ事を、留守を預かる左京進の弟、権太夫政光や伊勢長島の願証寺との間で話がついたらしい。
一族は長島へと向かうのだろう。
下手に殺して、バックにいる願証寺との戦いを始めるよりも、城一つを得る方がいいのだろう。
まあ、恨みを買ったのは間違いないので、そのうち協定が破られるのは間違いないのだろうが…
「此奴が、三左の子か」
「はっ」
親父と二人で、目の前にいる殿と呼ばれている男、織田上総介信長に頭を下げる。
「森三左衛門が嫡子、小太郎に御座います」
殿は、しばらく此方をじっと見つめながら機嫌良さげに
「此度の戦功、天晴れである。戸田庄に所領六百貫を与える。励め」
と、一方的に褒美をくれると、さっさと部屋を出ていった。
なぜか小姓のひとりに睨まれているような気がする…身に覚えは、今出来たばかりだが。
流石に600貫は無いわ。貰い過ぎだろ。
城一つと交換したといっても交渉は他の人だし、子供にそんなにあげちゃ、そりゃ妬まれるわな。
海東郡戸田村は、俺が討ち取った石橋式部大輔義忠が追放前に治めていた土地だ。
石橋義忠は、永禄元年(1558年)に尾張守護の斯波義銀、服部友貞、吉良義昭らと謀り、今川義元を尾張に入れようとしたが、実行前に発覚し、斯波義銀と共に追放されている。
石橋氏の前には、三河に移り住んで松平竹千代誘拐事件を起こしたりした三河戸田氏がいた。
戸田氏の戸田は、ここの戸田村からきている。
三河戸田氏は、森氏の氏祖たる森頼定の十男、戸田信義を祖とするので、森氏の支流にあたる。
つまり、分家の空き家に本家が入る(森家目線)。
まあ服部家が治めていた荷ノ上よりは、恨みを買わずに済んで良かったのだろう。
前線になるだろう蟹江城に近く、東に2kmほどしか離れていないのはマイナスだが。
川が多く 肥沃な土地で、収穫量は問題ない。
江戸時代には、戸田米というブランド米が作られる事になるそうな。
これはあれだな。米はやるから酒を造れという事だな。おそらく。
その晩は、ウチの屋敷で酒宴が開かれた。
親父と上総介様の馬廻をしている塙九郎左衛門直政、服部小平太一忠、弟の小藤太弘宗、毛利新介良勝、湯浅甚介直宗、加藤又八郎順政らが参加者だ。
塙九郎左衛門は、ウチの母方の祖母の弟。
服部小平太は、今川義元に最初に槍をつけた者、弟の小藤太も同じく馬廻をしている。
毛利新介は、その今川義元の首を獲った者。
湯浅甚介は、桶狭間の戦いでの一番槍だ。
加藤又八郎は、熱田の図書助殿の嫡男で、弟の弥三郎は上総介様の小姓をやっている。
九郎左衛門と小藤太を除いて、桶狭間の戦いで戦功のあった馬廻の者達が呼ばれたわけだ。
服部小平太、毛利新介、湯浅甚助は服部左京進の領地を分け与えられている。
俺のおかげで領地が増えたから、そのおこぼれに与った形だな。
親交を深めるためだとは思うが、九郎左衛門殿以外出世しそうもないメンバーだな…




