243 本国寺へ撤退
「殿!」
俺と入江権之允の話が付いた所へ、薬師寺貞春の首を取った一柳市介がやって来る。
「市介、ようやった!」
貞春の首を取った市介を力いっぱい誉める。
しかし、市介の顔は微妙そうだ。
「はっ!しかし、主税之介が…討ち死に致しました…」
「何!」
安田主税之介が討ち死にしただと!
気が付かなかったが、市介の後ろに主税之介の亡骸を担いでいる従者が居た。
「一番に九郎左衛門に槍をつけましたが、討ち取られ…」
「そうか…馬鹿が!」
馬鹿野郎!
こんな所で、ましてや足利義昭なんかの為に命を捨てやがって!
死に場所は、ここじゃなくて、坂本だろうが!
志賀の陣で親父を救う為に、家臣を増やしていたのに!
怒りに任せて槍の石突を地面に叩きつける。
ふぅ…八つ当たりして、ちょっとは気分が落ち着いたか…
まあ、主税之介は志賀の陣対策で家臣にした訳じゃないんだし…
本能寺の変で、俺の弟の於乱を討ったという話もある安田国継を敵に回さない為に、その父親である主税之介を召し抱えただけだからな。
あっ、そうだ…
「三右衛門、確か主税之介には息子がおったな」
主税之介の息子である安田国継は既に生まれていたはず…奥田三右衛門に確認を取る。
「はっ、確か齢十二であったかと」
ここは国継を優遇して、当家に取り込まないとな。
他家に流れでもしたら、何の為に主税之介を家臣にしたのか分からなくなる。
「元服には早いか…まあ良い、その子に跡目を継がせ、元服させた後に出仕させよ」
大事なのは親の主税之介じゃなくて、子の国継の方だからな。
他所に移られて、本能寺の変で弟を殺されてはたまらない。
しっかり囲っておかないと。
駄目なら…
入江権之允に向き直り、頼み事を増やす。
「権之允殿、済まぬがもう一つ頼まれてはもらえぬか?」
「承知した。主税之介とやらの亡骸は御預かり致そう」
「忝ない」
また敵中を突破して寺内へ戻らないといけないのに、遺体を持っていては邪魔だから、権之允に預けておく。
国継の好感度稼ぎの為にも、なるべく綺麗なまま、返してやりたいからな。
「ではな、主税之介。お主の知行は、子に継がせる故、安心致せ…」
手を合わせて主税之介に別れを告げるが、はぁ、初めて家臣に死者が出たか…
まあ、いつかは出るとは思っていたが、忘れていた本圀寺の変でとはな…
心のどこかで、俺の家臣は志賀の陣までは誰も死なないとでも思っていたのかもなぁ。
ちょっとショックだわ。
しかし、戦場でいつまでもくよくよなどしていられない。
このまま、ぼーっとしていては、俺も討ち死にするかもしれないからな。
さっさと寺の中へ逃げ込もう。
「よし、敵中にある左馬丞殿の兵を救いながら、寺内へ戻る!薬師寺九郎左衛門を討ち取ったと声高に喧伝せよ!」
左馬丞の事などどうでもいいが、一応救出をしようとしていた、という格好だけは見せておかないとな。
薬師寺貞春を討ち取ったと周りに喧伝しながら、左馬丞が足止めを食らった辺りへ急行する。
だが、辺りは敵味方共に混乱しており、左馬丞がどこにいるかも分からない。
よし、左馬丞の事は諦めて帰ろう!
「傳兵衛殿!」
帰ろうとした俺を、呼ぶ声が聞こえる。
何だ、無事だったのかとそちらへ顔を向けると、俺を呼んだ奴は左馬丞じゃなかった。
「おお、七郎右衛門殿!御無事であったか!」
それは、一緒に出陣していた赤座七郎右衛門永兼だった。
本来、本国寺へ一番乗りで救援に訪れるはずだった人だな。
「儂は問題ないが、左馬丞殿は討ち死になされた。何とか首は取り戻したが…」
「何?左馬丞殿は討ち死になされたと?」
やったぁ!後々の問題が片付いた!
これで中川重政が失脚する原因が無くなったな。
左馬丞は、中川家と柴田家の領地争いを起こして、柴田家の代官を切り殺した事で、兄の中川八郎右衛門殿等を道連れにして改易されるからな。
織田家の為に、要らん事をする前に消えてくれたのは有難い。
その後、藤吉郎の家臣になるしな。
討ち死にしてくれないかとは思っていたが、まさか本当に討ち死にしてくれるとは…笑いを堪えるのが大変だ。
おっと、無念そうな演技をしないと!
「間に合わなんだか…」
さも悔しそうに呟き、天を見上げる。
「…傳兵衛殿、気持ちは分かるが、まだ戦の最中。今は寺内へ退こう」
「左様ですな。残念では御座るが、左馬丞殿の首が無事なら長居は無用。皆、急ぎ寺内へ退くぞ!」
七郎右衛門の言葉に頷きを返すと、本国寺の中へ逃げ込む為、皆を急かした。




