238 横道【地図あり】
京にいた織田家の人間は、御所の護衛や摂津で仕事中の者など一部を除いて領地へと戻っていった。
俺は、厄介事を持ち込んでくる連中を避ける為、山科の地へ逃げ込む。
地元の進藤仙介という者の案内で、宿泊地の西岩屋大明神の宮寺へと向かう。
山を越え、御堂に到着すると一息吐く。
「仙介、御苦労であった。村の皆にも宜しくと」
案内役の仙介に労いの言葉を掛ける。
案内だけでなく宿の手配等の音頭をとってくれたのも仙介らしい。
「傳兵衛様のお陰で、山科が焼かれなかったと聞いております。これくらいの事、どうという事は御座いませぬ」
まあ確かに、俺と山科言継の話し合いで、スムーズに山科を通り抜ける事が出来、そのお陰で山科を焼かなくて済んだと言えばそうなのだが、偶々織田家の窓口が俺だったというだけだぞ?
感謝してくれるのは有り難いので、口に出したりはしないが。
御堂の中は、結構古そうな仏像が祀ってあった。
何でもこの仏像…不動明王像は、元は別の廃寺にあったものを仙介の一族が保管していたのだが、仙介が夢の御告げで、この寺に祀ったものらしい。
いや~、夢のお告げとか言う人が本当にいるんだね…本人には決して言わないけど。
空気を読んで、有り難がって拝んでおこう。
御利益があればメッケもの。
住職の俊鐵坊にも挨拶し、この冬はここで過ごす事になった。
俺と小姓、護衛数人は仙介の屋敷に世話になるが…
山科西山では、暇に飽かせて槍の修行に励んでいる。
播磨での足の怪我は、もう殆ど治っていて、ほぼ違和感なく動けるまでに回復している。
正直、領地へ戻ってもいいのだが、急に予定を変えると皆が迷惑するので、京に残っている。
西山へ移ってから、東福寺の宗淸が以前より頻繁にやってくる様になった。
東福寺は丁度山の反対側にあって、ここから近いからな。
山を越えなきゃいけないが…
その日も宗淸はやって来たのだが、今日は供の者が1人一緒だった。
「傳兵衛殿、紹介致します。この者は、横道権允と申します」
宗淸は、連れてきたガタイの良い壮年の男を紹介する。
「宗淸殿の御誘いで同道致しました横道権允と申します」
横道…尼子で横道と言ったら、尼子十勇士に横道兵庫介ってのがいたなぁ。
本人ではないだろうし、その親族…いや、弟か。
松永久秀の所に仕官してなかったか?
宗淸が、尼子の当主となる決意を固めてたのは、こいつらのせいか。
「森傳兵衛だ。権允、宗淸殿は何やら大望が御有りの御様子。しっかりと宗淸殿の助けとなる様に精進されよ。儂は宗淸殿の力になる事は出来ぬ故な」
俺は何も手助け出来ないが、確りと宗淸を助けて、毛利領内で暴れまくってくれ。
今のところ毛利家とは友好的だが、弱い方が助かるしな。
「無論!身命を堵して!御安心召され!」
俺が宗淸の事を心から心配していると思ったのか、権允の返事に力が篭っている。
史実よりもショボい成果で終わらない様に、しっかり宗淸の力になってやってくれ。
家臣達に宗淸と権允を加え、共に稽古に励む。
「既に数多の戦を経た傳兵衛殿に、某へ戦の心得を御教授願いたい」
稽古も終わって解散となった時、不意に宗淸から、そんな事を言われる。
一人称が拙僧から某に変わってるな。
「某も未だ未だ若輩者故、人に物を教える様な立場では御座らぬ」
断ってみるが、宗淸…尼子勝久は、じっと俺の目を見つめている。
う~ん、これは何かそれっぽい事を言った方が良いのかな…
「敵を見縊らぬ事に御座ろうか」
「見縊らぬ、に御座いますか?」
「左様。例えば多数の兵で城を囲んだとして、敵将が降伏を申し出たとしても、それを容易には信じぬ事です。特にそれが要所を任される程の重臣や一門であるならば、此方を誘き寄せ、奇襲を掛ける腹積もりであると疑うべきで御座ろう。相手を見縊り、戦況が不利であれば降伏するのも当然と考えるのではなく、戦況を覆す一手を打つ気やもしれぬと先を考える。大敗をせぬ事が肝要に御座る」
「はぁ…」
今一、ピンときてないな。
まあ、俺も上手く纏められたとは思えないし。
ただ…
「何、心に止めておいてもらえれば良い。城を攻めて、その様な状況となった時に、思い出してくれれば尚良い」
月山富田城を攻める時に、天野隆重の偽りの降伏を見抜いてくれれば、もう少し戦える…かもしれない。
頑張れ~勝久~応援だけならするぞ~
年末、美濃で修業をしていた岸新右衛門、仙石新八郎、野中権之進の3人と伊勢から堀尾茂助がやって来た。
美濃からの3人は予定通りだが、茂助がやって来たのは、茶畑や領地の様子を報告する為で、正月を京で過ごしてから伊勢へ帰るようだ。
まあ、別段急いで命令する事も無いので、のんびりしていけや。
う~ん、やる事も無いし、この年末年始はのんびり過ごすとしよう。
31日に登場人物8を投稿して、来年は1月4日から再開します。




