232 林ノ城への帰還
小寺政職の兵が引き上げると、程なくして別所家側の神吉家からの援軍が到着する。
神吉家の当主である神吉民部大輔頼定自ら兵を率いての援軍だ。
伝令が頑張ってくれたのだろうし、神吉頼定も直ぐに城を出てくれたのだろう。
結構早いお着きだ。
しかし、襲撃があるとは思わなかったな。
史実では、赤松政秀の娘を小寺家が捕らえて、暫くして解放した、で終わる話だし。
まあ、幕府が赤松政秀の娘に迎えを出したかどうかも俺は知らないから、ひょっとしたら俺や上野豪為が迎えに行ったせいで、歴史が狂ったのかもしれないな。
小寺家が言うように、襲ってきたのが三好家の残党だとかいう話は嘘だろう。
三好家と敵対している別所家や龍野赤松家なら兎も角、友好的な置塩赤松家(赤松宗家)や小寺家は、残党を阿波に送り返すなり、召し抱えるなり、龍野赤松家に流すなりすればいい。
今回の事は、小寺家か置塩赤松家が、裏で糸を引いているとは思うのだが…
援軍を頼みに向かった伝令を見逃して、直ぐに援軍を呼ばれたり、中途半端な襲撃だったよなぁ。
あの天才軍師で有名な官兵衛が策を立てたのなら、あんなに簡単に援軍を呼ばれる様な策を実行するのだろうか?
案内役の糟屋朝正の母は、小寺政職の妹だし、小寺職隆の後妻は、確か神吉家から迎えていたと思ったが、味方につけるのは無理でも援軍を遅らせるなり、もう少しやり様はあったんじゃないかな?
今回の襲撃は官兵衛の策じゃないのか、俺が官兵衛を過大評価しているのか…俺の考え過ぎなのかな?
分からん…
俺は怪我をしてしまったので、中途半端な策で助かったのだが…
最悪、逃げ出すなり、降伏するなりしなきゃならなかったかもしれないしな。
糟屋家と神吉家に護衛されながら、林ノ城へと戻る。
「玄蕃頭殿、民部大輔殿、助かり申した。御二方が居らねば、役目を果たす事は困難であったでしょう。大樹や尾張守にも御二方の活躍を、よくよく伝えまする。もし、お困りの事があらば、某がお力になりましょう」
今後、困った事があったら、相談に乗りますよ。
だから、玄蕃頭殿が三木城に立て籠る様な事があれば、弟の武則くんの面倒は、藤吉郎ではなく、俺を頼ってくれていいからね。
「御使者の方々が無事で良かった。今少し早く参じる事が出来れば良かったのですが…」
神吉頼定が悔しそうに呟くが、そんな事はない。
「なんの、民部大輔殿が兵を率いて下さったからこそ、賊も逃げ出したのです。もう少し遅ければ、どうなっていた事やら…。民部大輔殿のお陰で大事に至らずに済んだのです。感謝に耐えませぬ」
そう、神吉家の援軍が来たから、敵は退いたのだ。
神吉頼定のお陰と言って間違いない。
「某も賊との戦いでは無様を晒し、面目御座らぬ。民部大輔殿のお陰で役目を果たせ、安堵しております」
糟屋朝正も、神吉家をヨイショしているな。
同陣営だし、ご近所さんだし、仲良くしておきたいのかな?
お互いの領地の間には、加古川が流れているから、攻められる可能性も少ないだろうしな。
今後どうなるかは知らんが。
林ノ城へ戻ると、今度は別所家当主である別所安治に出迎えられる。
安治は、三好家に屈せず東播磨で勢力を保ち続けるなど武勇に優れ、しかもいち早く足利義昭に近づくなど時勢を見極める目も持っている傑物だ…たぶん。
惜しむらくは、今から二年後に死去する事だろうか。
もし安治が、秀吉の中国侵攻の時期まで生きていたなら、織田家と敵対しただろうか?
まあ史実通りに安治の弟である吉親が、加古川評定に出ていれば、同じ結果になるかもしれないが。
「しかし、御使者一行が我が領内で賊に襲われるとは…」
安治は申し訳なさそうに謝ってくれる。
一応、別所家の勢力圏内だから、使者である俺達が通る街道沿いの賊を、退治しておかなかった安治が悪い…って主張するのは強引かな?
本心かどうかは分からないが、自分から謝罪してくれるから、責め辛い。
上野豪為も何も言わないしな。




