227 東福寺の僧
美濃での用事を終えて京へ戻る途中、近江の神崎郡木流村へ寄って、建部伝内賢文という人物をスカウトする。
家臣に、武力特化型脳筋武将ではない、ちゃんとした文官が欲しい。
そんな俺の要望に、六角右衛門督(義治)殿が紹介してくれたのは、この木流の屋敷に篭っていた建部伝内賢文という人物だった。
父親は箕作城の守将として討ち死にしていて、伝内は戦後、織田家や浅井家には仕えず、木流の屋敷にて蟄居していた。
そこを六角右衛門督殿に紹介してもらい口説いてはいたのだが、この度直接出向いてなんとか家臣にする事が出来た。
コイツは、書道の大家で伝内流という流派を開いている。
史実では、秀吉の右筆にもなっている優れた文官だ。
伝内には、俺の右筆兼書の師匠として頑張ってもらいたい。
これで香道、書道は教えを受けられそうだな。
あとは華道か…
京に戻ると、三雲三郎左衛門がやってくる。
「殿、東福寺の事に御座いますが…」
三郎左衛門には、東福寺にとある人物がいるかどうか調べてもらっていた。
「して、東福寺に尼子の遺児はおったか?」
半年程前、毛利家に攻められた尼子家は、降伏して大名家としては滅亡している。
当主の義久は、生きているけど…
来年あたりに、山中鹿之助を始めとする残党が、尼子勝久を担ぎ上げて、尼子家復興を目指すはずだ。
その尼子勝久は、幼い頃に出家させられて、今は東福寺にいるはず…
「はっ、東福寺の天雲宗淸なる僧が、新宮式部少輔(尼子誠久)の遺児に御座います」
年齢は俺の一つ下で、やはり幼い頃に御家騒動で父親の誠久を殺され、この東福寺へ入れられて僧になったようだ。
「よし、顔を見に行くぞ」
別に勝久を家臣にしたい訳ではないが(出来ないだろうし)、後々の為に、顔ぐらい見ておきたい。
将来、対毛利家で役に立つかもしれないし。
まあ、立場的に手を貸すことは出来ないが。
少なくとも、会っておいて損は無いだろう。
宗淸に実際会ってみた感じ、性格は真面目で勤勉で温厚、受けた恩は必ず返す良い人と見た。
友人としては良いが、乱世で生き残れるか心配だな。
「宗淸殿、儂に仕えぬか?」
一応、念の為にスカウトしてみる。
だが、宗淸はゆるゆると首を振る。
「有り難い御話に御座いますが…」
断られるか…まだ、尼子家の残党とは接触していないと思ったんだが、もう山中鹿介などと接触しているんだろうか?
「尼子家の旧臣が近い内に宗淸殿を訪ねて参りましょう。受けるにせよ、断るにせよ、それまでに覚悟を決められる事です」
旧臣が宗淸を担ぎ上げようとしているのを俺は知ってるんだぞ、と鎌をかけてみる。
「傳兵衛殿…皆が拙僧を必要とするのであれば…そして叶うのであれば、毛利に一矢報いたいと思いまする」
やっぱりもう尼子の残党との接触は終えている様だな。
「毛利に降ったとは言え、当主の三郎四郎(尼子義久)殿は無事ではあるし、宗淸殿の弟君も落ち延びている。僧籍にある宗淸殿が無理に担がれる必要はありませぬ。よくお考えになる事です」
自分がやらずとも代わりはいると諭すが、宗淸殿はゆるゆると首を振る。
「それでも拙僧に出来る事があるならば…」
やはり尼子家復興の為に動きたいのだろうな。
出来れば織田家と連携して動いてくれると助かるのだが、今は織田家が毛利家と事を構える事などないだろうから放置する事になるだろうし、最悪討伐に向かう事もありえる。
だが、どうやら宗淸殿の心を変える事は出来そうにないな。
流石は死ぬ時も自分を見捨てた織田家に恨み言を言わず、担ぎ上げた家臣達に感謝して自決したという尼子勝久だな。
俺が情報を教えて焚き付けたんだけど。
「ならば、せめて当家へ通われよ。当家は織田家でも強者揃いと自負している。槍の手解きぐらいは出来よう」
槍の鍛練ぐらいは、手を貸してあげよう。
史実よりも強くなれば、もう少し毛利家相手に粘ってくれるかもしれないからな。
「傳兵衛殿、忝ない」
感謝して頭を下げる宗淸殿に多少の罪悪感も感じるが、これで尼子家との縁も出来た。
この縁が役に立つかどうかは知らないけど、勝久が毛利から故郷を奪い返し、織田家に友好的な勢力になってくれると嬉しいな。
建部賢文と隆勝、同一人物説もありますが、ここでは別人という事で。
尼子勝久の僧名が分からなかったので、戒名をそのまま使ってます。




