195 三井寺【地図あり】
神戸蔵人大夫殿の所へ向かい三雲家の調略成功の報告をした後、大津の三井寺に向かう。
三井寺は上洛前の本陣となるので、その下準備だ。
他の人も既にやっているだろうが念の為、付け届けだったり、袖の下だったり、鼻薬だったり、賄賂だったり…
本当は長吏(三井寺のトップ)に会いたかったのだが、残念ながら留守だった。
まあ、延暦寺もそうだが、他の寺の偉いさんが兼任でなるものらしいから、忙しいだろうし仕方ないね。
ここ三井寺こと園城寺は、延暦寺と同じく天台宗の寺だが、教義の違いで、寺門派(園城寺)と山門派(延暦寺)に別れて抗争を繰り返している。
史実でも、火事などを含めて23回焼けているらしいのだが、その内の14回が延暦寺によって焼き討ちされたらしい。
秀吉によって寺領没収となった事もあったが、それも秀吉の死の直前に許されて復興していて、正に不死鳥の寺と呼ばれるに相応しい再生力を示している。
なので、三井寺とは、対延暦寺という面でも、縁起という面でも仲良くなっておきたかったのだが、長吏が留守とあっては仕方ない。
「傳兵衛殿では御座らぬか」
長吏に会えず多少がっかりしてたところ、知り合いに声を掛けられる。
恐らく殿の命令で先に三井寺へ来ていたのであろう殿の右筆の明院良政殿と元美濃一色家家臣で同じく右筆の武井夕庵爾云殿が俺を見つけてやって来た。
「流石は傳兵衛殿、中々に動きが速い。我等の御役目が無くなってしまいましたな」
これはやはり爾云殿に嫌味を言われてるのだろうな…
「それは六角家の不甲斐無さのせいに御座る」
六角家が粘らなかったからで、俺のせいではない。
「左様。これだけ家臣の離反があれば、城に籠る事すら儘なりますまい」
良政殿は俺の反論に深く頷いてくれる。
「それ以前に、素直に左馬頭様を奉じて上洛しておれば、管領の地位も手に入ったやもしれぬのに…」
全部六角義治のせいだよね。
「全く。御陰で拙も忙しくて叶わぬ」
爾云殿も愚痴っている。
「ところで長吏様は、どの様な御方に御座いましょう?」
ついでだから2人に三井寺の長吏について聞いておこう。
「道澄様は、聖護院門跡で関白殿下の弟君に御座る」
良政殿が教えてくれる。
ほうほう、道澄さん、道澄さんね…うん?薄ら知っている様な気もする。
じゃあ今は聖護院にいるのかな?
しかし、また近衞家の人か…あれ?
武将じゃないんで詳しくは覚えていないが、関白殿下の弟って事は、確か殿下と一緒に上杉謙信に会いに行ってた人じゃなかったっけ?
結構積極的に動く人なのかな?
「詩歌の才に長け、歌会も頻繁に行われておられると聞く」
爾云殿が有難い追加情報をくれる。
歌か!やっぱり歌が大事なのか!やってて良かった歌!
そこから仲良くなって、対延暦寺に協力してもらおう!
二人と色々話していると、向こうから一人の男がやって来るのが見えた。
「其方が傳兵衛殿であるか。予々お噂は兵部大輔殿より伺っておる。某、飯川肥後守と申す」
「森傳兵衛と申します」
ほうほう飯川肥後守殿か…知らん!
兵部大輔殿とは細川兵部大輔藤孝殿の事だろうし、幕臣なのだろうが…後でこっそり誰かに教えて貰おうかな。
様子を見ながら素性を探ると、どうやら幕臣で間違いなく、妻が細川兵部大輔殿の妻の妹らしい。
多少の雑談を交えて話をするが、何時までもここに居ても仕方がないので、さっさと山科へ向かおう。
「では、これより山科を訪ねるのですが、よろしければ御同行されますか?」
さっき嫌味を言われたので、他の点数稼ぎの場を用意するから赦して下さいという思いで、誘ってみる。
「ふむ、折角なので、某は御一緒致そうか」
肥後守殿はOKらしい。
お前は誘ってねえ!
「拙等は遠慮しておこう。三井寺でやる事が残っております故。後の事は拙等にお任せ下され」
明院良政は苦笑すると、爾云殿と共に断りを入れて来た。
やはり嫌味を言いたかっただけで、それほど怒ってはいないようだな。
仕方がないので肥後守殿と一緒に、三井寺を出て山科に入り、四手井城を訪ねる。
地図の黄色い枠は京都です。




