194 東大寺南大門の戦い
四手井家保視点です。
大和国添上郡東大寺戒壇院 松永家家臣 四手井左衛門尉家保
ドーン、ドドドーン、ドドーンと夜が更けようとも銃声が鳴り止まない。
東大寺南大門の門上や塔から、三好、筒井両軍に向けて発砲し続けてるのだ。
半月ほど前、三好左京大夫(三好義継)様が、多聞山城へと入られ、それを追って三好、筒井両軍が攻め掛かってきた。
三好家は、広芝、大安寺、白毫寺に布陣し、これに対して我等は東大寺の戒壇院、転害門に兵を進め応戦している。
状況は五分といった所か…数は向こうが多いが、近くに東大寺、興福寺といった寺がある為、敵は寺の許可なく付近に陣を敷く事が出来ないでいる。
此方は構わず兵を入れておるので、寺は不満を抱いておろうがな。
この分ならまだまだ三好家を引き付ける事が出来るだろう。
今年の始めに秘密裏に織田家と手を結んで、左馬頭様の上洛の手助けをすると決め、上洛までの間に三好家に邪魔をさせぬ為の策でもあるので、少しでも刻を稼がねばならぬ。
「霜台殿!美濃におる弟より知らせが届きましたぞ!」
城へと駆け込んでくるのは、美濃守護である土岐美濃守の嫡子である二郎殿。
霜台(松永久秀)様に知らせを持ってきた様だな。
「ほう。で、弟御は何と?」
「既に織田家は観音寺城を落とし、京へと向かっておる様子。これを知れば三好も軍を退かざるを得ぬであろう」
おお!では、このまま守りを固めておれば、やがて敵は京なり摂津なりへ退くということか。
二郎殿は、三好家が退く事を喜んでおられるが、簡単に退かせては面白くない。
「それも良かろうが、このまま三好家を釘付けにしておいて、上洛を果たした備後守殿に援軍を頼んでも良いやもしれぬ。備後守殿もその方がやり易かろう」
成る程。
事情を知らぬ家臣共を丸め込みにいかれる。
「霜台、このまま戦い続けても持ち堪えられようか?」
それまで黙って話を聞いておられた左京大夫様が、松永霜台様にお尋ねになられる。
左京大夫様も知っておられるので、演技であろう。
「無論に御座いまする。何の御心配にも及びませぬ、左京大夫様」
霜台様は自信ありげに太鼓判を押す。
「そうか霜台、では備後守殿に知らせを送れ。三好本隊は此方で抑える故、素早く上洛されよ、と」
「承知致しました」
左京大夫様との話が纏まると、霜台様は此方を見る。
「山城守、お主も確か左衛門尉と同郷であったな?お主に備後守殿への使いを頼む」
「はっ、承知致しました」
赤塚山城守が霜台様に織田家への使いを命じられる。
「左衛門尉は予定通りに山科へ戻り、左馬頭様の上洛を助けよ」
「はっ!」
赤塚山城守とは同郷で、某の出身である御陵郷厨子奥は、京と近江の間にある山科という地にあり、京への入り口となっている。
某は先に山科へ戻り、左馬頭様の上洛を助ける様仰せつかっておったのだが、三好家が大和へ攻め込んできた為に戻れずにいた。
既に山科の郷士等には知らせを送り手筈を整えてはいるが、急ぎ戻り間違いの無い様にせよという事であろう。
しかし、左馬頭様も運が良い。
左京大夫様が当家に付いたお陰で三好家が大和へ兵を出し、その為に京の守りが手薄となり、上洛が容易となった。
六角家も三好の援軍が無ければ、持ち堪える事も難しかったのだろう。
山城守と共に急ぎ京へ戻り、支度をせねばならぬ。
夜明け前に東大寺を抜け京を目指し、宇治に入り伏見を抜け、自領の山科四手井城へと戻った。
「某は近江へ向かう。左衛門尉は山科の事を頼む」
「承知したが、どうやら郷の者は皆、禁裏警固の任で居らぬ様だ」
「なに!…そうか。山科家へは?」
「既に使いの者を出した。備後守殿は観音寺城の桑実寺に」
山城守の言葉に頷くと、家人に指示を出していると答える。
「承知した。では、後の事は頼む」
山城守が近江に居られる織田備後守殿の所へ向かう為、急ぎ馬を走らせようと外へ飛び出して行った直後、家人より知らせが入った。
「左衛門尉様、織田家より使いの方が参られました!」
史実の東大寺大仏殿の戦いは半年後なので、まだ焼けてません。




