189 布施山城を落と…すな【地図あり】
「父上、権六殿、首尾は如何でしたか?」
城攻めもほぼ終わろうかという頃、親父と権六殿が、にこやかに帰って来たので首尾を聞く。
「承禎と右衛門督は捕らえたが、残念ながら中務大輔は逃した」
「承禎や右衛門督の方を優先した事もあるが、始めから戦うことはせず、逃げておったからな」
親父と権六殿が無理というなら無理だったのだろう。
右衛門督義治の弟、中務大輔義定を捕らえられなかった事に対しては特に何もないのだが、やっぱり後々面倒な事になるだろうか?
そのまま、フェードアウトしてくれると助かるのだが…
しかしそんな事より、承禎と義治を捕まえたのか…討ち取ってくれた方が楽だったんだけどな。
「では、殿に使いを出しておきます」
取り敢えず殿への報告が先だな。
「それは儂がやっておく。お主は甲賀へ行け。これで奴等の腹も決まった事だろう」
鈴鹿峠を越えて侵攻中の斎藤内蔵助や曽根内匠助と合流しないとな。
昨年末から甲賀郡の国人衆を調略してきたが、今回の戦の結果で織田家に降る決心をする者も多いだろう。
何せ、戦は1日で終わり、承禎と義治は捕らえられている。
不安要素は義定だが、承禎程の求心力は無いと思う。
頓宮家、大河原家、黒川家に山中家の分家などには調略をかけているし、殿や左馬頭様も和田家や多喜家、佐治家、岩室家、大野家、山中家の本家などに書簡を送っている。
コイツらは観音寺城の落城と、六角親子を捕縛した事で、もう織田方に付いたと思って大丈夫だろう。
まあ、こいつらも織田家に臣従したのではなく、足利家に臣従しているのだろうから、何れは潰さなければならないのかもしれないが…今は置いておこう。
問題は甲賀忍者として有名な三雲家や望月家、その他反抗的な連中だろう。
史実でも六角家を匿っていた家も多いし…
「では、甲賀へ参ります。観音寺城も今少しで落ちましょう。後の事は、お任せ致します。それと、進藤山城守殿に舟の用意を頼んでおいた方が宜しいかと」
実際史実では、舟の用意が出来なくて、一日足踏みしているからな。
進藤山城守賢盛の領地は、木浜や赤野井といった観音寺城のすぐ近くの湊がある辺りなので、言っておけば後は何とかするだろう。
早速手柄になるかもしれないしな。
足利義昭が近江にやって来るまで、まだ一週間以上かかったはずだし、今から用意しておけば大丈夫だろう。
親父等と別れて、自前の兵と森家の兵の一部、それに加治田の佐藤家などの兵を加えて、観音寺城の南東方向にある布施山城を目指す。
「勝三郎、将右衛門、鵜八、大膳、半蔵、八郎右衛門、甚右衛門、お主等に城攻めは任せる。だが、俺が戻るまで攻め落とすな。なんなら戦わずとも良い。降伏の使者等は全て無視せよ」
「攻め落とすなと?」
「うむ。これより三雲家の調略に向かう。布施三河守には、その交渉材料になってもらう。布施三河守からの降伏は無視し、城から逃がすな。右近右衛門殿も宜しく御頼み申す」
いや、いくら脳筋共がやる気を出しても、この兵力で落とすのはしんどいだろう…しんどいよね?
他から戦力を引っ張ってくるから待ってなさい。
甲賀の三雲家とか調略してくるから。
去年、三雲定持の嫡男の賢持が、浅井家と共謀した布施家が反乱を起こしたせいで、その鎮圧に向かい討ち死にしているし、この布施山城は、その調略のネタにするから。
三雲家説得に利用するから、布施家を降伏させない為に自分の兵で攻めてるんだから、出来ても攻め落とさないでね。
「承知致した。何、手持ち無沙汰で暇を持て余しておった所。城の一つでも落とさねば、兵を率いて来た甲斐がないというもの。任されよ」
観音寺城攻めでは、余りにも張り合いが無さすぎてガッカリしていたのだろう佐藤右近右衛門殿が、やっと出番が来たとやる気を出している。
でも城は落とすな!
家臣共と佐藤右近右衛門殿に後を頼み、お供に平野右京進、岸新右衛門、本多弥八郎等を連れて甲賀郡を目指す。




