登場人物7(157~180話)ネタバレ注意
読まなくても大丈夫です。
157話~180話までの人物紹介です。名前がわからない時にどうぞ。人物によって紹介にムラがあります。
◇は初登場
◆森 傳兵衛 可隆
伊勢国三重郡に新たな領地を貰った。正直、位置がバラバラで面倒臭いと思っている。只今十五歳。
《家族》
◆森 三左衛門 可成
傳兵衛がやらかした事の後始末に奔走中。
◆森 於勝
次弟。元服させてもらえず、まだ拗ねている。九歳。
◆森 於乱
三弟。二歳。ぬくぬく成長中。
◇森 於坊
四弟。今年、ひっそり生まれていた。
史実の森長隆。信長の小姓として本能寺の変で討ち死に。伝達能力に優れ、他の家臣達の言っていたことも間違うことなく皆、信長に報告したらしい。チクリ魔?
◆森 紹徹
祖父。金山城で留守番中。
◆森 九一郎
年下の叔父。於勝ちゃんの遊び相手。七歳。
◆営
傳兵衛、於勝、於乱、於坊、菊、藤、松、梅の母。
◆種
父の側室のその一。麦、稲の生母。
◆菊
長妹。青木次郎左衛門と結婚し、大森城で生活している。十四歳。
◆藤、松、麦、梅、稲、武
妹共。それぞれ十三歳、十二歳、八歳、四歳、三歳、二歳。
◆於立
可成の側室その二。於勝の乳母にして武姫の生母。
◆森 越後守 成恒
傳兵衛の大叔父。戸田の領地を任されてる。傳兵衛のせいで関白が美濃に来てパニック中。
《傳兵衛家臣》
◆森 勝三郎 隆恒
傳兵衛の乳兄弟。飫富昌世と飫富景友をつれて帰って来た。久々利城を任される。知行は200貫だが結構優遇されている。
◆本多 弥八郎 正信
本多正重の兄。一向一揆に参加したのを利用して長島願証寺に工作する。現在知行250貫で傳兵衛家で上から六番目。
◆斎藤 内蔵助 利三
傳兵衛の家老。尾張戸田にて長島願証寺を警戒中。現在知行400貫で傳兵衛家でトップ。川尻城の城代となる。
◆山内 次郎右衛門 康豊
尾張に残り、安藤家の監視任務を任される。松田一忠を連れ、伊勢へ向かう。現在知行120貫で低めなのは、来年の上洛後に新しい領地はもらえないのでは?と考え、抑えているから。
◆仙石 新八郎 久勝
◆野中 権之進 良平
傳兵衛のボディガード。知行は100貫ずつ。
◆曽根 内匠助 昌世
義信事件で駿府へ出奔していた時に、森勝三郎にスカウトされる。
◆飫富 新兵衛 景友
義信事件で駿府へ出奔し、叔父の坊丸を三条家に預ける。その後、森勝三郎にスカウトされる。
◆谷野 大膳亮 衛好
近江に住んでいた事を利用して多羅尾家との繋ぎと、北近江で在野武将のスカウトを命じられる。知行は230貫だが、大久保城を任される。
◆森 源八郎
傳兵衛の小姓。傳兵衛に勝三郎の帰還を知らせた。
◆平野 右京進 長治
傳兵衛の対公家要員。
《森家家臣》
◆加木屋 久蔵 正次
傳兵衛に名前を使われたせいで近衞前久に見つかり、信長の直臣となる。
◆斎藤 五郎左衛門 頼元
傳兵衛の与力。刀の絵を描かされてる人。
◆平井宮内卿
◆瀬田左京
対公家要員。瀬田左京は加木屋正次の家臣。
《織田家》
◆織田 尾張守 信長
織田家当主。上洛を阻止され、北伊勢攻めの途中で呼び戻され、ちょっと不機嫌。
◆柴田 権六郎 勝家
織田家重臣。神戸家、関家を降伏させ、高岡城を与えられる。
◆佐久間 久六郎 盛次
織田家重臣。傳兵衛と共に三重郡西部を制圧する。釆女城を与えられる。
♢佐久間 理助 盛政
佐久間盛次の嫡男。父の盛次に従い傳兵衛と共に三重郡西部を攻める。十三歳にして既に結婚して娘もいる。
史実の鬼玄蕃。柴田勝家の与力。賤ケ岳の戦いでは、前田利家の裏切りで孤立し、落ち延びる途中で捕らえられ、秀吉に処刑された。
◆村井 民部丞 貞勝
◆明院 良政
◆島田 弥右衛門尉 秀順
織田家の文官衆。
◆林 新次郎 通政
◆下方 左近 貞清
◆長谷川 橋介 好秀
◆岡田 助右衛門 重善
信長の馬廻衆。親傳兵衛派(そんな派閥はないが)。
◆加藤 弥三郎
◆山口 飛騨守
信長の馬廻衆。反傳兵衛派。
♢妻木 源二郎 貞徳
信長の馬廻。明智光秀の妻の従弟。久々利のお隣さんである妻木家の当主。傳兵衛に陶工誘致の事で提案される。
史実では、本能寺の変では、光秀に味方しなかったが、父親が山崎の戦いに参加して討ち死にすると、隠居する。
◆木下 藤吉郎 秀吉
坂井政尚に従い員弁郡を攻め、褒美に領地を貰う。
◆木下 小一郎
秀吉の弟。空気の読める男。
◆加藤 作内 光泰
木下家家臣。稲葉山城落城後、近江に逃げていたが、傳兵衛が北伊勢を攻めている間に、秀吉にスカウトされてしまった…残念。
《前田蔵人家》
◆前田 五郎兵衛 安勝
前田利益の叔父。傳兵衛軍で陣借りした。出稼ぎが終わって兄の元に戻っていった。
◆前田 慶次郎 利益
前田蔵人家当主。滝川軍に陣借りしていた。傳兵衛の酒友達。
《安藤家》
◆安藤(伊賀) 伊賀守 守就
山路弾正からの調略の手紙を、松田一忠に託し、信長に届けた。
♢松田 平助 一忠
松田雁助の養子。山路弾正からの手紙を伊勢に出陣中の信長に届けた。傳兵衛が与力に欲しがった武将の一人。
史実では、安藤家が取り潰しとなった後も、唯一人信長の馬廻として引き抜かれる。本能寺の変の時に斎藤利三に降伏を勧められるが断ると言い追い腹を切る。
♢安藤 平左衛門 定治
安藤守就の嫡男。
史実では、父の守就と共に武田家との内通を疑われ追放される。本能寺の変後に北方城を奪還するが、稲葉家に攻められ討ち死にする。武田家と内通したのは守就ではなく定治という説もある。
◆安藤 太郎左衛門 守重
安藤守就の弟。妻が山内康豊の姉なので、森家と親しい。
♢松田 雁助
安藤家家老。松田一忠の養父。養子の一忠に、山路弾正からの手紙を、伊勢にいる信長へ届けさせた。
史実では、1582年、北方城の戦いで安藤守就に従い稲葉家と戦い討死した。
《水野家》
♢稲生七郎左衛門重隆
水野忠政の家臣である亀崎城城主、稲生七郎左衛門尉重勝の二子。稲生勘解由左衛門尉重綱の調略を頼まれる。
史実では、弟の政清が二代目を継ぎ、その子の重政が三代目を継いだが師崎に移った為、孫の重房が四代目を継いだ。
♢稲生 七郎左衛門尉 重勝
水野忠政の家臣で亀崎城城主。傳兵衛に伊勢稲生家の調略を頼まれ、次男の重隆を派遣する。
史実では、水野忠政に仕え伊勢から尾張亀崎へ移り、水軍を率いる。
《神戸家》
♢神戸 蔵人大夫 具盛
神戸家当主。織田家に降伏し、信長の三男を養子とする。傳兵衛に丸め込まれて甲賀衆の調略を手伝う。
史実では、養子である三七を冷遇して信長の怒りを買い、蒲生賢秀の近江日野城に幽閉された。1582年に許されて神戸城近くの沢城で隠居した。
◆山路 弾正
神戸家家臣。高岡城城主。美濃三人衆を寝返らせる策を立てるが、傳兵衛に看破される。その後、織田軍に降伏する。
史実では、1572年に三七が元服し家督を継ぐと激しく抗議し、謀反の疑いをかけられ自害させられる。
♢神戸 三七郎
信長の三男。北伊勢での戦で降伏した神戸家の当主である神戸具盛の養嗣子となる。
史実では、神戸家の養子から、三好笑岩の養子となり四国討伐軍の指揮官となる予定だったが、本能寺の変で中止に。その後、明智光秀討伐の旗頭となったが…サヨナラ。
♢岡本 太郎右衛門 重政
神戸三七郎の叔父。三七郎が神戸家の養子となり、共に神戸家へ。傳兵衛には嫌われている。
史実では、織田信孝が秀吉と対立すると、信孝を裏切って秀吉側へ。
《関家》
♢関 安芸守 盛信
関氏当主。神戸家が降伏した後も抵抗したが、柴田勝家に攻められ降伏する。傳兵衛に丸め込まれて甲賀衆の調略を手伝う。
史実では、三七と不和であったため信長の怒りを買い、勘当を申しつけられ、蒲生賢秀の近江日野城に幽閉された。越前から逃亡した樋口直房を討ち取り、信長から褒められるが許されず、1582年に許されて亀山城に戻った。
♢小岐須 常陸守 盛光
小岐須城城主。関盛信の弟。傳兵衛、佐久間盛次に攻められ、山本刑部少輔の裏切りにより敗北する。
史実では、小牧・長久手の時に秀吉方の蒲生氏郷に攻め滅ぼされる。
《北伊勢国人衆》
◆千種 三郎左衛門 忠基
千種家当主。傳兵衛と共に甲賀衆の調略に当たる。領地が織田家家臣に囲まれている。
◆浜田 近江守 元綱
赤堀氏宗家浜田家の当主。傳兵衛に協力して、同族の山本刑部少輔を調略する。
◆楠木 兵部大輔 正忠(西蓮院 実浄)
楠城元城主。当主を孫娘の婿である村田盛邦に譲り隠居した後、出家する。傳兵衛の家臣に礼儀作法を教える。
♢村田 庄三郎 盛邦(楠木 正邦)
元神戸家家臣。楠木正忠の孫娘の婿。正忠の養子となり楠木家を継ぐ。
史実では、楠木正忠の孫娘の婿or娘婿。息子の正盛が正忠の跡を継ぐと、その後見となる。
♢小林 八郎左衛門 重定
佐倉城元城主小林豊前守重則の嫡男。佐倉城奪還の為、傳兵衛を頼る。
史実では、1571年に千種氏の斡旋で佐倉城城主となる。その後、滝川一益の甲州武田攻めに従軍し朝明郡縄生村に200石の知行地を得る。
♢加治 孫九郎
水沢城、山崎城(城の山城)城主。傳兵衛、佐久間盛次に攻められ降伏する。
史実では織田家の北伊勢侵攻時に降伏し滝川一益の配下となる。1577年に息子の清十郎が殺され滅亡する。
♢大久保 伊豆守
大久保城城主。傳兵衛、佐久間盛次に攻められ、傳兵衛によって討ち取られる。
史実では、1583年、織田信孝に従い、岐阜で討死する。子の覚兵衛、権太夫はそれぞれ京極氏、池田氏に仕えた。
♢山本 刑部少輔
山本城城主。赤堀氏庶流で浜田元網の調略により、織田家に降る。
史実では、1583年、織田信孝に従い留守になった城を、羽柴秀吉に味方した筒井順慶によって攻められ落城させられる。
《甲賀衆》
♢黒川 玄蕃佐
甲賀郡鮎川村を本拠とする国人。傳兵衛や関盛信の調略で織田方に付く。
史実では、六角氏が織田信長に攻められ没落すると織田家に降った。家臣の辻和泉を武田信玄へ派遣し、承禎の次男の義定を甲斐へ逃がした。
♢佐治 美作守 為次
甲賀郡佐治郷を本拠とする国人。傳兵衛や関盛信の調略で織田方に付く。
史実では、信長の上洛に従って六角攻めに加わる。1585年の紀州攻めの際の失策により他の甲賀衆と共に所領を没収された。
♢岩室 大学介 貞俊
甲賀郡岩室村を本拠とする国人。傳兵衛や関盛信の調略で織田方に付く。
史実では、秀吉の時代、1585年に紀伊川治水に関して罪をおかてし領地を没収された。
♢頓宮 因幡守 守孝
甲賀郡音羽野村を本拠とする国人。傳兵衛や関盛信の調略で織田方に付く。
史実では、1570年に六角家が没落し信長に従ったが、1585年に豊臣秀吉によって領地を没収され、改易された。
♢土山 左近太夫 盛綱
甲賀郡土山村を本拠とする国人。傳兵衛や関盛信の調略で織田方に付く。
史実では、1582年に滝川一益により滅ぼされた。
♢山中 橘内 長俊
近江山中氏庶流。甲賀郡山中村を本拠とする国人。傳兵衛や関盛信の調略で織田方に付く。
史実では、信長上洛後も六角家を保護して対抗したが、1574年に降伏し柴田家家老として3000石を与えられる。
《近衞家》
◆近衛 関白左大臣 前久
足利義秋と織田家の状況を調べに自ら美濃へやって来る。
◆進藤 筑後守 長治
近衛家諸大夫。足利義秋の元服の打ち合わせの為に再び美濃へやって来る。
《山科家》
♢大澤 出雲守 綱守
山科家家司。足利義秋の元服の打ち合わせの為に美濃へやって来る。
来年あたりに出家するんじゃないかな?
《松木家》
♢加賀姫
松木宗藤の娘。1546年に宗藤に連れられ三重郡智積村にやって来る。傳兵衛に所領の安堵を頼む。現在五十一歳?
史実では、智積村の加賀屋敷に住み、九十九歳で亡くなった。1605年に幸田神社を建立する。
《正親町三条家》
♢正親町三条 権中納言 実福
正親町三条家当主。黄門様。駿府に下向中に飫富坊丸の事を頼まれる。
史実では、翌年に正親町天皇の勅勘を被り蟄居を命じられ、その翌年に亡くなる。
《足利家》
◆細川 兵部大輔 藤孝
足利家家臣。足利義秋の元服の打ち合わせの為に再び美濃へやって来る。傳兵衛を打ち合わせの場に呼び出す。
◆和田 伊賀守 惟政
足利家家臣。甲賀衆。足利義秋の元服の打ち合わせの為に再び美濃へやって来る。傳兵衛に甲賀衆の調略の協力を頼まれる。
♢摂津 掃部頭 晴門
幕府評定衆。足利義輝の頃に伊勢氏に代わり政所執事となる。足利義秋の元服の打ち合わせの為に美濃へやって来る。名門出身でプライドが高く、生まれで人を下に見る嫌いがある。
史実では、上洛した足利義昭も再び晴門を政所執事として起用したが、後に怒りを買い、伊勢氏に政所執事の座を奪い返される。
♢上野 中務少輔 清信
足利義稙の命を受けて備中鬼邑山城主となったが、城を一門等に任せて幕府に仕えた。足利義秋の元服の打ち合わせの為に美濃へやって来る。
史実では、義昭と信長が対立すると抗戦を主張して細川藤孝と口論になる。義昭が毛利を頼ると、備中の一門が毛利家に滅ぼされている為、信長に仕えた。
《陶工》
♢加藤 景正(加藤 宗太夫 景茂)
尾張国瀬戸の陶工十四代目景正。傳兵衛に弟達を引き抜かれた。
史実でも、弟達は久々利近辺に分家していくので構わないよね?
♢加藤 五郎左衛門 景豊
加藤景正の次弟。傳兵衛にスカウトされて、久々利に窯を開く。
史実でも、弟の景貞と共に久々利村大平に大平窯を開く。
♢加藤 源十郎 景成
加藤景正の五弟。傳兵衛にスカウトされて、久々利に窯を開く。傳兵衛のメインターゲット。
史実では、久々利村大萱牟田洞に窯を開く。国宝の卯花墻はここで焼かれた。卯花墻の製作者…かも?
天保国絵図(1835~38年)を元に作っています。
川や地形は変わっていると思うので参考程度で。
願証寺周辺
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