180 永禄九年も終わり
松木家から礼状が届いた。
北伊勢を攻めた時に、三重郡智積村にある松木家の荘園を保護した事に対する物だ。
確かに殿に保護してくれる様に口添えはした。
だが、実際に動いたのは殿で、松木家との間に入っていたのは小林八郎左衛門だ。
俺は、関係ないはずだが…まあ、そこは良しとしよう。
当主の松木宗房は、飛鳥井家から養子に入っていて、叔父には真宗高田派の重鎮、後に門跡、大僧正となる尭慧、叔母には朽木元綱の母親がいる。
朽木元綱は金ヶ崎の退き口での重要人物な上、地理的にも森家の味方にしておきたい。
一身田にある真宗高田派専修寺の住持職であり、権僧正の位を持つ尭恵も、これから攻めるであろう中伊勢を拠点とする真宗高田派の中心人物。
後々、中伊勢を攻める時の為にも、一向衆と対決する時の為にも、伊勢で勢力を持ち、一向衆と対立している高田派とは友好関係を築いておいて損はない。
別ルートで、赤堀城を攻めた時に知り合った真宗高田派東漸寺の東玄性から、紹介してもらう手もあるが、此方の方がいいだろう。
織田家としても、この二人は押さえておきたいと思う。
その伝手を作れたのは良い事だし…
ただ困った事に松木家の荘園を保護したせいで、松木家に縁のある他家からもチラホラ手紙がやって来る。
ウチの荘園も何とかして下さい…オレに言うな!!!
嘗められてるんだろうか?
自分の領地なら兎も角、他人の土地の事に、とやかく言う気なんかないわ!
松木家に飛鳥井家、序でに近衞家…これは分からんではない。
山科家とか正親町三条家とか、流石に関係ないやん!
正親町三条家なんて、勝三郎か飫富新兵衛が漏らした以外に考えられないが、二人が仕官先を言ったくらいで俺の所へ手紙が来るとは思えないのだが?
京で俺の名前が窓口として広まっているのだろうか?
流石にこの話は俺の手には余るので、親父から殿へ回して貰う。
活用してくれればいい。
山科家の荘園なんて足利義輝に横領されていた事もあるので、逆に素早く安堵してやれば、喜んで尻尾を振りそうだが。
上洛する時に京と近江の間にある山科を通るのだから、仲良くなっておいて損はないとは思うし…
取り敢えず松木家、飛鳥井家、近衞家、山科家には俺から返事を書く。
飫富坊丸の事で世話になった正親町三条家にも、御礼状と既に知っているかも知れないが飫富新兵衛がウチに仕官したと知らせておこう。
でも、今後の窓口は殿の方へお願いします。
俺にそんな権限ありませんから。
公家連中の事は上の人達に任せて、近江の事を考えよう。
「大膳、お主は近江に養子に入っていたと記憶しておるが、近江の…浅井家への伝手は残っておるか?」
美濃の福田家から近江の谷野家に養子に入っていた谷野大膳に尋ねる。
「養父の頃は浅井家先々代の備前守様に仕えておりましたが、某の頃には甲賀郡長野におりましたので…」
大膳は申し訳なさそうに答える。
そうか…今の内に北近江の有名武将をスカウト出来ないかと思ったのだが、難しいか…
「そうか…致し方ない。ところで長野とはどの辺りであろうか?」
甲賀郡の調略をしているとは言え、流石に細かい地名までは覚えてない。
どこかの有力国人衆の調略に使えないかなぁ?
「長野は甲賀郡の南の方に御座います。この地は多羅尾家が治めておりますな」
お!多羅尾家か!
既に織田家からの調略は掛かっているだろうが、個人的に誼を結んでおいて損はない。
多羅尾家程の大きい家なら、誰か一族の者を家臣に加えて情報源として活用したいところだが。
「済まぬが大膳、多羅尾家との繋ぎを頼めるか?後、出来れば北近江に居る者の中で幾人か声掛けを致してもらいたい」
「はっ、承知いたしました!」
大膳に数名の名前と大まかな居場所を伝え、近江へ送り出す。
殆どの武将は浅井家に仕えているだろうから引き抜く事は出来ないが、仕官時期の微妙な者はワンチャンあるかもしれない。
一人くらい何とかならんかなぁ…
今年は、北伊勢攻めから、関白との挨拶に、足利義秋の元服の相談と精神的に忙しく、来年も上洛が控えているので休む暇もない。
結構、俺は活躍したと思うんだが、流石にこれ以上俺ばかりを酷使するなんて事はないよね?
あまり褒美を与えて他の家臣との差が出てくると、不満に思う者もいるだろうし。
俺も来年上洛してからは、志賀の陣の対策の為に動きたいので、もうこれ以上の仕事はいらないからね!
一身田の読みは『イシンデン』と『イッシンデン』がありますが、地元では『イッシンデン』の方が多いみたいなので、そちらにしました。




