167 関白近衞前久
「其方が傳兵衛殿か?」
「はっ」
関白殿下の問いに短く答える。
余計な事を言うなと言い含められているので、必要最小限の話で終わらそう。
殿が睨んでいて怖いからな。
「初めて文を頂いたのは、確か一昨年になろうか」
久蔵の名で出したんだけど…久蔵の方を見ると微かに首を振っているので、バラしてはいないのだろう。
「はっ、立入殿に久蔵の文を届けて頂きました。無論内容は確かめておりますが」
ならば、認めない!
バレバレでも頑として認めない方が、評価が上がったりするかもしれないし!
「一昨年の内に、修理大夫殿が身罷られておられると存じておったかの様な事が記されておじゃったが?」
「家臣に清原宮内卿の弟がおりますので、その伝手を使っております」
よし、想定していた通りの質問だ。
この状況自体は嬉しくないが、頑張って仕込んだネタが無駄にならなかった事は嬉しい。
暫くダラダラとした話が続くが、此方もフラフラとした回答でお茶を濁していく。
「ところで傳兵衛殿。甥の事を知らせてもらったのじゃ、礼をせねばなるまい。何か望むものはあるかの?」
えっ?なんか怖くて遠慮したいのですが!
チラリと殿の方を窺うが、早く言えと目が訴えている。
「では、何方かから歌を教わりとう御座います」
「ほう、歌をの…」
訝しげな表情をされるが、官位をくれとかよりはいいだろう。
殿も親父も無官なのに、官位をくれとは流石に言えない。
別段、欲しい訳ではないが…
「はい。某の友人に郡上の遠藤六郎左衛門殿がおります。彼の者の母は東野州(東常縁)殿の曾孫に当たります故、屋敷には東野州殿の書き残した書が幾つか残っております。何れ、その書を改めてみたいと思うておりまする。その為にも、六郎左衛門殿と共に、何方かより古今の教えを授かりたいと…」
しらっと六郎左衛門を巻き込んでいく。
六郎左衛門殿も東常縁の血を受け継ぐ者として、古今伝授を受けた方が東氏の正統後継として認められたというイメージがついて良いと思うんだ。
俺は個人的趣味と伝手目的だがな!
前世で、まだ子供だった頃、古今伝授とは、どんな必殺奥義なんだ!細川藤孝すげぇ!と思ったものだ。
まさか、ただの古今和歌集の解釈の仕方を相伝してるとは…
「ふむ、まあ良かろうて。何方かの紹介はしよう」
古今伝授といえば、御所伝授、堺伝授、奈良伝授の三つがよく言われるが、他にも諸派たくさんある。
勿論、近衞家も自分の流派を持っている。
まあ、近衞家の家伝なんで、親族でも家臣でもない俺に教えてもらえる訳もない。
いや、案外あっさりと教えてくれるかもしれないが…
どうせなら、この後に失伝してしまう奈良伝授の方が自分的には面白いが。
その後、下がって良しとの言葉に、漸くホッとし屋敷へ下がろうとしたところで、殿の小姓をしている堀菊千代に待ったを食らう。
「傳兵衛様、暫し控えにてお待ち下さい。直に殿が参られます」
もう、お腹いっぱいなんですけど…
まあ当然、逆らいませんが。
「傳兵衛よ、上洛を前にして殿下との縁を持てた事は、貴様の手柄よ。何か望むものはあるか?」
そこはかとなくディスられている感はあるが、褒美をくれるらしい。
やはりここは、控え目に…
「出来ましたら、幾人かの瀬戸の陶工を久々利へ移すことを御許しください」
そう、茶器を作るために久々利を奪ったのに、今まで郡上郡で戦ったり、稲葉山城を攻めたり、北伊勢へ攻め込んだりと、忙しくて職人を呼べなかった。
そう、私は茶の湯の傳兵衛さんであって、歌道の傳兵衛さんではないのだ!
まあ、史実の傳兵衛のアイデンティティを守る必要などないのだが、一応才能が眠っている可能性もあるから!
千利休と知り合って、手紙のやり取りのある間柄になっておいて損はない。
「まあ、よかろう。幾人か久々利へ連れて行け」
「はっ、有難う御座いまする」
目指せ、国宝!




