150 朝敵に戻りたくはないだろ?
赤堀城への援軍として帰ろうとしたら、前田慶次郎に呼び止められ、共に行動する事になった。
慶次郎は大男だと思っていたが漫画とは違って普通の身長で、どちらかといえば横の方がある。
太っている訳ではなく筋肉でだが。
そんな事よりも、楠木正具が出陣しているなら、確実に仕留めておきたい。
こいつは、北畠家が織田家に降った後に、本願寺に合流しているから、伊勢にいる間に処理しておきたい。
個人的には、織田家からの誘いを断り、主家に忠義を尽くしている武将なので嫌いではないが、織田家に降らないなら仕方ない。
慶次郎に後から追い付いて来いと言い残し出陣すると、いつの間にかやって来て俺の隣を陣取っていた。
一緒にやって来た奥村助右衛門が恐縮していたのと対照的に、さも自分の居場所だと云わんばかりのふてぶてしい態度だ。
道中少し話してみたが、気安く冗談混じりで誇張や揶揄も多いが、話題豊富で教養の高さが垣間見える。
ウチの脳筋連中も見習って欲しいところだ。
赤堀城近くまでやって来ると、敵は此方に気付き慌てて退却の準備をしている最中だった。
「どうやら間に合ったようだな。上手い事立ち回り敵を引き付けたままにしてくれた様だ。しかし…」
楠木正具は名将だと聞いていたので、既に退却準備万全となっていると思ったし、最悪既に退却した後なのも覚悟していたのだが、いくら五郎兵衛殿が頑張って引き付けてくれたとはいえ、状況把握が遅くないか?
「ふむ、楠木七郎左衛門という御仁、噂程ではないのでは?」
長門守殿からの与力である寺沢藤左衛門は正具を軽視するが、楠木正成の子孫という事で大幅誇張されているのか?
「いや、味方に足を引っ張っておる者がおりますな。今、慌てて兵を退こうとしておるのは、どうやら楠木家ではないように御座る」
慶次郎はそう言い、その兵の旗印を指差す。
確かに反応の遅い兵の旗印は楠木家の菊水紋ではないな。
「確かに慶次郎殿の言う通り、味方に足を引っ張られた様だな。見捨てる訳にはいかなかったか」
少しでも味方を助けたいのだろうが、俺がその立場なら、とっとと見捨てて逃げてるな。
さて、狙うのは当然楠木正具の方だ。
退却の準備をしている敵なら、赤堀城の援軍に向かわずとも良いだろうし、より有能な武将を仕留めた方が、今後の為になる。
ふと、視線を感じて慶次郎の方を見ると目が合う。
よく分からんが頷いておく。
多分、楠木正具と戦わせろって事だろうし。
「皆の者、狙うは楠木正具唯一人!味方の足を引っ張る事しか出来ぬ輩は放っておいて良い。楠木正具を逃がすな!」
味方に発破を掛けている途中で、既に慶次郎は正具目掛けて走り出している。
俺も急ぎ後を追うと、慶次郎は大声で名乗りを上げ、向かってきた兵を一振りで薙ぎ倒していた。
「慶次郎殿、楠木七郎左衛門殿は如何した?」
兵を一蹴して不敵に笑い仁王立ちする慶次郎に楠木正具がどうなったか聞く。
吹っ飛ばされた兵は、明らかに雑魚だし。
「おお!傳兵衛殿!これより七郎左衛門殿に一手御教授いただこうかと!」
慶次郎の視線は一人の武将をじっと見つめていて、恐らくそいつが楠木正具なのだろう。
「ふむ。では、某等が周りの者を引き受けよう」
「忝ない!」
慶次郎は槍の石突をドンと地面に突き刺し、名乗りを上げる。
「鎮守府将軍藤原利仁が裔、尾張前田家前当主蔵人利久が嫡子慶次郎利益!楠木正成が嫡流、楠木七郎左衛門殿の首、貰い受ける!」
お互いの有名な先祖の名前を出して、逃げ辛くするんだな。
先祖の名前を汚すのか!みたいな?
まあ、俺なら挑発に乗ったりしないけどね。
「慶次郎殿の邪魔をさせるな!」
家臣に命じて、慶次郎の一騎討ちの舞台を用意させる。
二人の勝負は十合程で辛くも慶次郎が
勝利し、楠木正具を捕らえる事に成功する。
「さて、七郎左衛門殿。織田家に降られよ」
取り敢えず降伏勧告しておくか。
まあ、無理だろうし、仮に降伏したとしても偽りの可能性大だろうけど。
「お断り致す。義将で知られる正成公の嫡流が、主家を裏切る事など出来ようはずもない。事此処に至っては潔く腹を切る所存」
まあ、本願寺に合流されたくないから、切腹してくれるのは一向に構わないんだけどさ。
ただ…
「傳兵衛殿、なんとか助命してはいただけぬか?この者を殺すのはあまりに惜しい」
なんか知らんけど、慶次郎との一騎討ちを見て、助けてあげてといったムードになってるんだよな。
俺が此処で殺したら、好感度が下がってしまう。
どうしたもんかな。
「七郎左衛門殿は、どうあっても織田家には降らぬと?」
「御厚情忝ないが、不義理を行う訳にはいかぬ」
ですよね~。
なら、俺も殺したくないから精一杯譲歩したけどダメでしたアピールしておくか。
「ならば、楠城の退去と交換では如何か?」
「某の命欲しさに、父に城を明け渡す様説得せよと申されるか」
ギロッと睨みつけられるが視線を逸らさず睨み返す。
「某も兵を預かる身なれば、私心で見逃すという訳にもいかぬ。代わりの物が必要となる」
じっと黙り込んだ正具に構わず話を続ける。
「楠木家は先頃、主上の慈悲により朝敵の赦免を受けたばかり。此度の織田家の北伊勢侵攻は、その主上の上洛の命を受けて、京への道中の安全の為に御座る。これを妨げんとするは、主上の命に背き、恩を仇で返す様なもの。ここは織田尾張守にではなく、主上への恩に報いる為にも、城を明け渡し上洛の助けとするのが良かろうかと存じる」
おい!こっちは正親町天皇の命令で上洛の準備しとるんじゃ!
数年前、その正親町天皇のお情けで朝敵を赦免してもろた分際で、邪魔しとるんやないぞ!
分かったら、とっとと城明け渡して、どかんかい!
よし、俺の熱心な説得の結果、正具は暫く考えた後、楠城の城主である父に文を出すと折れてくれた。
本来ならばこのような要求を飲むことは無いかもしれない。
だが、先祖の楠木正成が朝敵となり、子孫は楠木姓を名乗る事が出来ずに過ごしてきた。
それが数年前、遠縁の楠長譜の嘆願によって朝敵を解かれ、堂々と楠木姓を名乗る事が出来るようになったのだ。
ここで自分のせいで、再び楠木姓を名乗れなくなる可能性は許容出来ないだろう。
まあ、上洛もしていない殿や足利義秋が楠木氏を再び朝敵に出来るとは思えないが、少なくとも正具が楠城を明け渡し、逃げる口実にする事は出来たのだろう。
「では、楠城への使者は、慶次郎殿にお任せして構わぬか?」
お前の我が儘を聞いてやったんだから、仕事してくれるよね。




