146 蜈蚣切
城主の浜田近江守元綱は降伏し、後継ぎの与右衛門重綱は、家臣の堀尾茂助が捕らえた。
茂助は雑用ばかり押し付けてるイメージなんだが、結構手柄を立ててるな。
他にも、与力の一柳市介が家老の伊達氏を、新参の天野加助が堀木信濃守を、雨宮十兵衛は中川掃部助を討ち取っているし、他にも家臣達や大矢知遠江守も丹羽、黒田、中島、丹羽、味岡、生川といった主だった侍大将を討ち取り武功を稼いでいる。
まあ、そんな事より今は降伏したばかりの近江守と東玄性を急かして、近江守の屋敷へ急がねば。
ここには、前世で国の重要文化財に指定されていた宝が、二つもあるのを俺は知っているのだ。
一つは、伊勢神宮所蔵の『毛拔形太刀』。
もう一つは、鵜森神社所蔵の『十六間四方白星兜鉢』。
どちらも平安時代の武将、百足退治や平将門討伐で有名な藤原秀郷こと俵藤太の使用していた(という謂れのある)太刀と兜だ。
太刀は百足退治の時に、竜宮から持ち帰ったらしいよ?…うん…
兎も角、戦で紛失したとなれば、目も当てられん。
俺が所蔵している、『若狭正宗』や『鵜丸』とは違うのだ。
若狭正宗は、森家家伝で、未来の宮内庁で保管されている刀だが、あくまでそれは未来での話。
今、俺が圧し折ったとしても、親父たちに怒られるくらいの価値しかない…今は…
だが、『毛拔形太刀』を圧し折ると、俵藤太の太刀を折るとは何事だと、秀郷の子孫だけでなく、お偉いさん達からのバッシングを受ける事になる!…かもしれない…
その点、『鵜丸』も同じく謂れのある刀だが、俵藤太と土岐悪五郎ではネームバリューが違いすぎる。
これがあるから、長門守殿よりも早く浜田城へ攻め込みたかったと言っても過言ではない。
こんな危ない物は、殿にパスしてしまうのが一番いい。
点数稼ぎには、もってこいの一品…二品だ。
あとは殿が、誰かに献上するなり、下賜するなり、寄進するなり、浜田家に返すなりすればいい。
「こちらが浜田家家伝の俵藤太が竜宮より持ち帰った『蜈蚣切』に御座います」
「間違い御座いませぬ」
東玄性は近江守が持ってきた太刀を見て、『蜈蚣切』だと言ってくる…でも伊勢神宮にある『蜈蚣切』は別の太刀だけどな。
近江の竹生島の宝厳寺にある毛拔形太刀も『蜈蚣切』と言われているし…
まあいいや、『蜈蚣切』で。
真実よりも謂れの方が大事だ。
これを担保にして浜田家の事を赦してもらい、なんなら優遇してもらおう。
ここの土地は未来の四日市。
この後、発展間違いなしの所領を持つ土豪と仲良くなっておいて損はない。
攻めたのは俺なんだけど…
「では、お預かり致す。必ず、尾張守様へお届け致す」
赤堀氏の家宝を恭しく丁重に、俺はこの家宝の価値を充分以上に分かっているよとアピールしつつ受け取る。
「宜しく御頼み致す」
近江守は、織田家に敵対してしまい改易まっしぐらなので、ここは何としても殿の機嫌を取っておかないといけない。
家宝を差し出す提案にも多少の抵抗を見せたが、最後は了承している。
まあ、重臣の大部分が討たれているので、元の領地を治めるのは難しいだろうが。
差し出された『蜈蚣切』を眺めていると、やっぱり欲しくなるな…
でも、流石に猫ババする訳にもいかないし…
そうだ!五郎左衛門(斎藤頼元)が帰って来たなら、『蜈蚣切』の絵を描いてもらおう!
そのまま殿に渡すのも勿体無いから、絵に描いてもらって眺めて楽しもう。
それに後世に残れば、良い資料となるだろう。
帰ったら『若狭正宗』と『鵜丸』も描いてもらおうか。
五郎左衛門の父である土岐頼芸は絵も一流で、特に鷹の絵を得意とするが、息子の五郎左衛門も、その才能を受け継いでいる。
確か前世にも、五郎左衛門が描いた鷹の絵が、何処かに伝わっていたはずだ。
でも、幼い頃に家族と別れて一人美濃に残された五郎左衛門は、誰から土岐の絵を学んだのだろう。
この後、父か兄と合流した時に教わったのだとしたら、まだ絵は上手く描けないかもしれない…
まあ、才能がある事は確定しているから、これを機に絵の方にも力を入れてもらうのもいいかもな。
鷹の絵じゃなくて申し訳ないが。
ざっとで描いてくれればいいんで、いい感じにお願いします!




