登場人物5(100~129話)ネタバレ注意
読まなくても大丈夫です。
100話~129話までの人物紹介です。名前がわからない時にどうぞ。人物によって紹介にムラがあります。
◆森 傳兵衛 可隆
領地が久々利、柳津と大幅に増えた。
周りからは熱心な真宗門徒と思われていて、周りにも一向門徒が多い為、一部危険視されている。
《家族》
◆森 三左衛門 可成
父。武田の秋山伯耆守を退けたり、佐久間信盛の洲股攻めの物資を手配したりしている。稲葉山城攻めは不参加。
◆森 於勝
次弟。只今八歳。ムクムク成長中。傳兵衛が九歳で首級を上げたことから「九歳になったら初陣したい!」と駄々をこねて周りを困らせた。勘で攻撃を避けたりするが、眉間に飛んでくる小石は避けられず傳兵衛との稽古で負ける。
◆森 於乱
三弟。今年生まれた、森家一の知名度を誇る人材。
史実では、本能寺の変にて死亡。その正体は美男子だったりマッチョだったり、優秀だったり、陰険だったり、黒幕だったり様々。
◆森 紹徹
祖父。金山城で隠居中。
◆森 九一郎
年下の叔父。於勝ちゃんの遊び相手。
◆営
傳兵衛、於勝、於乱、菊、藤、松、梅の母。
◆種
父の側室。麦、稲の母。
◆菊
青木次郎左衛門と結婚した。只今大森城在住中。
◆藤、松、麦、梅、稲
妹達。
◇武
今年生まれた妹。母は於勝の乳母である於立。
伝承では、母親が建てた森立寺で願主として日蓮上人の尊像の開眼供養が行われた。乱丸と同年に生まれ、可成の子として扱われた。
◆於立
於勝の乳母。武姫の母。乳母が側室になるのは、よくある事なのだろう。
再来年あたりに森立寺を建てます。
◆森 越後守 成恒
傳兵衛の大叔父。やっぱり戸田の領地を任されてる。
《傳兵衛家臣》
◆森 勝三郎 隆恒
傳兵衛の乳兄弟。武田義信の謀反で混乱する甲斐国へ人材ハントに向かう。只今、駿河に潜伏中。
◆堀田 新右衛門 正秀
平野長治の紹介で仕官。勝三郎と共に甲斐国へお使いに出かけた。姪が平野長治の妻。
◆平野 右京進 長治
傳兵衛の外交要員。重宝されている。
◇奥村 藤蔵 元清
元大森城城主、奥村元広の次男。長男が廃嫡された為、奥村家を継ぐ。勝三郎と共に甲斐国へ向かい、スカウトを終えて戻ってくる。
史実では、永禄年間のうちに、今井村に遁世して志津入道と号す。子孫は窯場を開いて主に日用品を焼いた。近くに成瀬家の鷹狩場があったので、当主も見学にきたそうな。
◆渡辺 六左衛門 直綱
渡辺守綱の父の従弟。勝三郎と共に甲斐国へ向かい、雨宮十兵衛家次をスカウトしてくる。
◆本多 弥八郎 正信
本多正重の兄。一向一揆に参加したのを利用して長島願証寺に工作する。
◆加木屋 久蔵 正次
斎藤正義の息子。近衞家とのパイプ役を期待されている。
◆前野 将右衛門 長康
傳兵衛の友人。稲葉山城攻めに参戦。
◆堀尾 茂助 吉晴
◆戸田 三郎四郎 氏繁
稲葉山城攻略時は、別働隊を率いて長良川の舟を調べていたが、逃げてきた長井隼人は捕捉し、自刃に追い込んだ。
◆山内 次郎右衛門 康豊
稲葉山城攻めに参戦。遠藤六郎左衛門の母のいる屋敷の警護をする。
◆野中 権之進 良平
稲葉山城攻めに参戦。野々村正成の見張り役を命じられる。
◆仙石 新八郎 久勝
野中良平とセットで使われる。野々村正成の見張り役。
◆斎藤 内蔵助 利三
傳兵衛の重臣。現在傳兵衛家臣中最高給。
◆谷野 大膳亮 衛好
傳兵衛から久々利軍の指揮を任せられる。
◆乾 作兵衛 和宣
郡上郡での戦いに参加する。
◇乾 彦作 和信
乾和宣の嫡男。
史実では、山内一豊に仕え、家老となるが、天正大地震の時に一豊の娘とともに死亡する。妻は山内一豊の養女(安藤郷氏の娘)。
◇乾 七郎左衛門 宣光
乾和宣の次男。郡上郡の戦いで初陣を果たす。
史実では、秀吉に従属していた赤松広英に仕えた後、山内家に仕官する。一豊の影武者の一人らしい。
◇森 小一郎 正久
元伊勢中江城城主。城を織田信秀に攻められ、尾張へ逃れる。伊勢の情報を欲した傳兵衛に長康が紹介する。
前野長康の伯父の正義の娘と結婚する。
◇森 甚之助 正成
森正久の次男。父と一緒に傳兵衛に仕える。
史実では、1567年の伊勢攻めに滝川一益の下で参戦。
◇今枝 八郎左衛門 忠光
美濃統一後に召し抱えた牢人。
斎藤道三に仕えていた頃、夜に出てきた妖女を斬ったが、翌日見てみると地蔵だったという逸話の持ち主。地蔵を斬った刀や腕を誉めるべきか、妖女と地蔵を間違える間抜けを笑うべきか…
◆大島 鵜八 光義
稲葉山城攻略時には、長良川を下って逃げようとする者を待ち伏せし射殺していた。
◆岸 新右衛門
護衛兼伝令兼雑務担当。
◆安食 弥太郎 重政
◆兼松 又四郎 正吉
◆本多 三弥左衛門 正重
◆加治田 新助 繁政
◆可児 才蔵 長吉
脳筋担当。
◆森 源八郎
◆安孫子 竹丸
傳兵衛の小姓。稲葉山城攻めの報せを持ってくる。
《森家家臣》
◇各務 勘次郎 元正
後の兵庫助。鬼兵庫。各務右京亮の屋敷に押し入り殺害。家人数名も斬殺して逃走するが、露見し蟄居中。
史実の森家家老。実は母親が、土岐頼芸の妹。
◇近松 新五左衛門
森家家臣。各務元正のスカウトや伝令に使われる。
史実でも各務元正をスカウトしてくれる大事な人。
◆夏目 次郎左衛門 吉信
元三河一向一揆参加組。畑佐の戦いに、援軍を率いて来た。
◆大津 半右衛門 吉明
大津兄弟の兄。残念ながら史実と同じ年に、同じく病で亡くなった。(諸説あり)
◆大津 土左衛門 宗常
大津兄弟の弟。亡くなった兄の分まで頑張ろうとして、そこそこ活躍する。傳兵衛は兄の知行狙いと推測。
◆久留 善四郎 正勝
畑佐の戦いに援軍で参戦。見事に畑佐兵庫の首を取った。
◆渡辺 但馬守 秀綱
◆渡辺 仁兵衛 廉綱
◆鳥居 四郎左衛門 忠広
◆岸 三之丞 教明
畑佐への援軍に来た。
◆青木 加賀右衛門 直重
傳兵衛にスカウトを受けていて、稲葉山城陥落後に森家へ。
◆稲田 掃部助 景継
稲田家次男。昔、長野工藤家次男に陣借りしていた事があり、傳兵衛に伊勢の事を教える。
◇石川 伊賀守 光重
鏡島城城主、石川光信の三男。傳兵衛に調略を受けた光信が、森家へ仕官させた。
史実では、秀吉の重臣。息子はそれぞれ、龍野城主になったり、金貸しになっなり、七本槍の補欠だったり、忍者説があったり、息子の離縁した側室が家康の側室になったり…
◇瀬田左京
加木屋正次の家臣。元は近衞家から、正次の父である斎藤正義に付けられ共に比叡山に預けられたが、姉が斎藤道三の妾となっていた縁で、正義を道三の養子にする事となった。
史実では、明智光秀に仕える。
《森家与力》
◆肥田 玄蕃允 忠政
米田城城主。畑佐の戦いに援軍として参戦する。
◇小栗 信濃守 教久
御嵩城城主。畑佐の戦いに援軍として参戦する。
《織田家》
◆木下 藤吉郎 秀吉
稲葉山城に向かい、迷子。
◇堀 掃部大夫 秀重
堀菊千代の父。蓮台の川向こうにある茜部城城主。織田家の内通済み。
史実では出世した息子の代官的なポジション。孫の秀治の死の半年後に死去。
◇奥田 七郎五郎 直純
奥田政次の父。織田家に内通済み。茜部に領地を持つ。
史実では、悪七郎五郎の異名を持つ勇士。1571年死去。
◇明院 良政
信長の右筆、奉行。
史実では、上洛後、村井貞勝と共に政務を行う。姉川の戦い後の記録はない。
◆滝川 彦右衛門 一益
美濃攻めに参加せずに、こっそり伊勢国桑名郡を攻めていた。
◆岩室 長門守 重休
滝川一益と共に北伊勢攻めを命じられる。
◇織田 薩摩守 忠頼
赤母衣衆。佐脇良之の壮行会に参加。傳兵衛の事を少し邪魔に思っている。
史実の木下雅楽助。兄の中川重政が追放された時、連座で追放され行方知れずとなる。後に羽柴家に仕え、小牧・長久手の戦いで討ち死にする。
◆佐脇 藤八 良之
前田利家の弟。岩室重休の与力となる。
◆加藤 弥三郎
赤母衣衆。佐脇良之の壮行会に参加。反傳兵衛派。
◆前田 又左衛門 利家
赤母衣衆。佐脇良之の壮行会に参加。親傳兵衛派。ついでに親柴田権六派にして親木下藤吉郎派。
◇山口 飛騨守
赤母衣衆。佐脇良之の壮行会に参加。加藤弥三郎に同調して傳兵衛を嫌う。
史実では、加藤弥三郎等と共に出奔。三方ヶ原の戦いで討ち死にする。
◇伊東 清蔵 祐之
赤母衣衆。編笠清蔵。佐脇良之の壮行会に参加。刀を抜こうとした前田利家を猪子一時と共に止める。兄の武兵衛が黒母衣衆にいる。傳兵衛は槍の稽古をつけてもらいたいと思っている。
史実では、小谷城攻めの功績で、信長より偏諱を与えられ、長久を名乗る。刀や脇差しを無くしたのに丸腰で敵陣に突撃して、相手の槍を奪い三人討ち取ったらしい。後に羽柴家に仕え、佐々成政討伐に出陣後病死。
◇毛利 河内守 長秀
赤母衣衆。斯波義銀の弟で毛利家にて養育される。佐脇良之の壮行会に参加。
史実の毛利秀頼。織田信忠配下で信濃飯田城城主となるが本能寺の変で領地を捨てて美濃へ戻る。後に豊臣秀吉の家臣となり飯田城城主に返り咲く。
◇飯尾 茂助 尚清
赤母衣衆。佐脇良之の壮行会に参加。父は桶狭間の戦いで鷲津砦を守り討ち死に。妻は信長の妹。
史実では、本能寺の変後、織田信雄に仕え、その後に羽柴秀吉に仕える。
◇長谷川 橋介 好秀
赤母衣衆。佐脇良之の壮行会に参加。
史実では、加藤弥三郎等と共に出奔。三方ヶ原の戦いで討ち死にする。
◇福富 平左衛門尉 秀勝
赤母衣衆。佐脇良之の壮行会に参加。
史実では、信長の側近。奉行。本能寺の変では、二条城で信忠と共に討ち死にする。秀吉が「福富秀勝の活躍で信長と信忠は膳所へ逃げ延びた」と、偽の手紙で摂津衆を味方につけるのに名前を使われる。
◆塙 九郎左衛門尉 直政
赤母衣衆。佐脇良之の壮行会に参加。傳兵衛の親戚枠。
◆金森 五郎八 長近
赤母衣衆。佐脇良之の壮行会に参加。傳兵衛が見つけた畑佐銀山の管理を命じられる。
◇猪子 次左衛門尉 一時
赤母衣衆。佐脇良之の壮行会に参加。
史実では、本能寺の変後に羽柴家に仕える。関ケ原の戦いは東軍につき、茶入『常陸帯肩衝』を貰う。
《遠山家》
◆遠山 左近佐 直廉
娘は信長の養女として武田勝頼の元へ嫁いでいった。
《武田家》
◆武田 徳栄軒 信玄
息子の反乱をいち早く察知し捕らえる。
◆武田 太郎 義信
信玄に反乱を企て、捕らえられる。東光寺にて幽閉中。
◆曽根 内匠助 昌世
武田家家臣。子の周防守が義信事件で死罪となり、身の危険を感じ、駿府へ出奔する。
◇名取 将監 長信
元武田家家臣。武田信虎に疎まれ隠遁するが、天野加助の手土産代わりに森家にスカウトされる。
子孫の娘は雨宮家次の子孫と結婚するみたいよ。
◇雨宮 十兵衛 家次
武田義信の家臣。義信事件で追放されるが、森家へ勧誘される。
史実では、北条家に仕え、三年間で七枚の感状を貰う。そのお陰で武田家に復帰するが、長篠の戦いで死亡する。
◇曲淵 勝左衛門 吉景
訴訟マニア。元板垣家家臣。板垣信憲が寺に入れられた時も、家臣で唯一人従った。森家に加助を紹介する。
史実の訴訟の勝敗は1勝73敗1和解。誰だ敗けた奴は!
◇天野 加助(板垣正信)
武田四天王の板垣信方の孫。父の信憲のお陰で板垣家断絶。加助も蟄居させられる。
史実では、武田滅亡後牢人し、秀吉の小田原攻めに参加し、乾和三の推挙で山内家に仕官する。乾の姓を貰い、乾正信を名乗る。
◇北原 羽左衛門
天野加助の家臣。幼い加助を養育する。
史実では、乾(板垣)正信に仕えて土佐に入り、代々乾家に仕える。
◇都築 久大夫
北原羽左衛門と共に加助を養育する。
◇飫富 新兵衛 景友
祖父の飫富虎昌が義信事件で切腹し、その弟の昌景が家督を継ぐ事となった為、身の危険を感じ、四歳の叔父の坊丸を連れて駿府へと逃亡する。
史実では、大木新兵衛を名乗り、駿河大宮に住む。
《美濃衆》
◆石川 杢兵衛 光信(光延)
鏡島城城主。傳兵衛のスカウトを受け、三男の光重を森家に仕官させる。
◇佐藤 六左衛門 秀方
鉈尾山城城主。一色、織田どちらに付くか日和っていたが、傳兵衛が兵を率いて現れたので、快く織田に付いた。稲葉山城への援軍を装ったが、殆どの人にはバレバレだった。
史実では、本能寺の変後には家康に情報を送り、秀吉と織田信孝の戦いは秀吉に付き、森長可と組んで遠藤家を攻め、小牧・長久手では秀吉に付いた。結構見る目はある。
《一色家》
◆一色 右兵衛大夫 義糺
斎藤竜興。稲葉山城の戦いの途中で、舟に乗って長良川を下り伊勢長島へ逃げる途中、喉を射抜かれ川底へ…
◆長井 隼人正 道利
一色家家老。稲葉山城の戦いで敗戦を悟り、舟で逃げようとしたが、戸田氏繁、堀尾吉晴に見つかり、自害する。
◇長井(井上) 半右衛門 頼次
長井道利の次男。父、道利が自害した後、傳兵衛に降伏し、後に家臣となる。後に井上姓に改める。
史実では、信長、秀吉、秀頼に仕え、大坂冬の陣の鴫野の戦いで討ち死にする。
◇野々村 主水正 正成
稲葉山城に残っていた武将。周りを囲まれ槍を突きつけられて、降伏した。
史実では、一色家滅亡後に信長に仕え、黒母衣衆に選ばれる。本能寺の変で信忠と共に二条城で死亡。
◇加藤 作内 光泰
稲葉山城に残っていた武将。一色竜興を探して裏門へ向かうが、秀吉が搦手門から火を着けた為、そのまま逃亡する。
史実では、秀吉に仕え、24万石の大名になるが、朝鮮攻めの最中に死去。
◇斎藤 五郎左衛門 頼元
稲葉山城に残っていた武将土岐頼芸の子。頼芸追放時には幼かったので、斎藤家で扶助されていた。傳兵衛に保護を求めた。
史実では、一色家滅亡後、武田、豊臣、徳川に仕えた。
◇竹腰 摂津守 尚光(成吉 摂津守)
稲葉山城陥落まで、裏切ることなく一色家に尽くし、戦後は帰農したが、傳兵衛に説得されて、家老となる。
史実では、帰農した。甥の正時の妻は、正時の死後、石川光元の側室となるが離縁、徳川家康の側室となり、それぞれ子供をもうける。
◇延永 備中守 弘就(日根野 弘就)
稲葉山城落城まで一色家に尽くして戦った。その後落ち延びたようだ(たぶん今川家へ)。神仏を信じていない傳兵衛も少し怖くなってスカウトせずにスルーした。
史実での戦国時代の疫病神。徳川が天下を取れたのは、コイツが仕えなかったからかも。一色(斎藤)、今川、長島一向衆、織田、豊臣と渡り歩くが、何れも滅びている。今川滅亡後の一時期、浅井にも仕えていた。兜の話とか切腹の話とか、話題は豊富。
◇不破 太郎左衛門 光治
稲葉山城の戦いまで一色家に従い戦った一人。戦後は織田家に臣従する。
史実の西美濃三人衆のプラス1。柴田勝家の与力として活躍し、前田利家、佐々成政とトリオを結成する。
《遠藤家》
◆遠藤 六郎左衛門 盛枝
郡上八幡城城主。後の遠藤慶隆。遠藤胤俊に奪われた領地を傳兵衛と共に奪い返す。
◇遠藤 清左衛門
遠藤盛枝の家臣。畑佐の戦いで盛枝に代わり軍を率いる。
史実では、本能寺の変後、慶隆が信孝に従っていた為、森長可、佐藤秀方に攻められ討ち死にする。
◆遠藤 大隅守 胤俊
遠藤盛枝の従兄。竹中半兵衛が稲葉山城を奪取したどさくさに紛れて盛枝の八幡城を奪う。盛枝と傳兵衛が奪還に来た時期に、飛騨からの侵攻や反乱があった為、和睦する。
◇遠藤 新兵衛 胤繁
遠藤胤俊の弟。胤俊の使いとして、傳兵衛と盛枝と話をする。
後の胤基。史実では、志賀の陣で討ち死にした兄の後を継ぐ。信玄に武田家の西上侵攻時に裏切る様に要請されていたが、裏切る前に信玄が死亡したので、信長にバレなかった。
◇遠藤 左近右衛門
遠藤胤俊の家臣。畑佐の戦いで胤俊に代わり軍をひきいて戦った。
史実では、畑佐の戦いで弟の五郎助が討ち死にしている。
◇埴生 太郎左衛門 高照
東家家臣。遠藤盛枝の母の付き人。
史実でも、盛枝の母が東氏より嫁いで来た時から1582年に亡くなるまで仕え、亡くなった後も菩提を弔う。1604年死去。
◇畑佐 六右衛門
遠藤胤俊家臣。飛騨の三木氏と組んで反乱を起こすが討たれる。
史実では、1568年に三木氏と組んで反乱を起こすが敗れる。
◇鷲見 弥平治
◇別府 四郎
遠藤盛枝家臣。最勝寺に兵を集めて反乱を企てたが、傳兵衛等に討ち取られた。
史実では、一色家滅亡後に謀反を企てたが露見し飛騨へ逃れた。
◇斎藤 伊豆守 利賢
斎藤利三の父。山県郡で隠居中。蜷川新右衛門と共に、斎藤利三を訪ねる。先妻(離縁)が蜷川親世の妹。
史実は…本人よりも親族に諸説あって、よく分からない。後妻の甥が明智光秀だったりする(諸説あり)
◇蜷川 道哉
蜷川親世。新右衛門さん。妹が斎藤利三の母。足利義輝が討たれた為、所領を捨て奥州へ逃亡途中に斎藤利賢の所へ寄った。息子は長宗我部家へ逃げた。
史実では、出羽国寒河江荘の高松左門を頼って落ち延びようとしたが辿り着けず、出羽国村山郡金谷原にて死去。
◇武田 下野守 信登
幕臣。元武田家臣。傳兵衛は瀬田左京に、繋ぎを取れるか確認していた。
《僧》
◆堀 権之助 重信
堀秀政の伯父。郡上郡の寺の調略をしている。森家の家臣でもないのに、傳兵衛に扱き使われているような気がする。
◇安養寺 乗了
郡上郡に勢力を持つ安養寺の十世住持。傳兵衛と遠藤盛枝の要請を受け、畑佐での戦いに門徒を率い加勢する。
史実では、石山合戦にも参加している。顕如と信長の和睦後も、教如と共に抵抗を続ける。
◇願蓮寺 正専
郡上郡にある願蓮寺の二世住職。傳兵衛と遠藤盛枝の要請を受け、畑佐での戦いに門徒を率い加勢する。
史実では1569年、畑佐の戦いで討ち死にする。
◇最勝寺 専賢
郡上郡に勢力を持つ最勝寺の十一世住職。鷲見、別所が反乱を起こした時に協力する。畑佐の戦いで討ち死にする。
史実では、討ち死にしないよ。
◇円覚坊、正専坊、妙専坊
安養寺の末寺の僧。皆討ち死に。
史実でも数年違うだけで同じ。
◆快川 紹喜
元美濃国の崇福寺の三世住職だったが、信玄に招かれ甲斐国の恵林寺の住職となる。今は義信事件の調停を試みている。
◇春国 光新
長禅寺二代目住職。義信事件の調停に東光寺に滞在中。
◇藍田 恵青
東光寺住職。信玄の伯父。義信事件の和解に奔走する。
史実では、織田家が恵林寺を焼いた時に、快川紹喜と共に死去した。
◇拍堂 景森
崇福寺の四世住職。快川紹喜の弟子。傳兵衛に快川紹喜への手紙を書かされる。
◇願証寺 証意
願証寺四世。昨年、父の証恵が亡くなった為に住持となる。まだ正式には院家相続を認められてはいない。
史実では、古木江城を攻めて織田信興を自害に追い込み、長島一向一揆を起こす。第一次長島侵攻で織田軍に勝利するが、その後に急死する。
◆服部 左京進 友貞
過去、傳兵衛に捕らえられ領地を追い出された。ただ今、一族と共に願証寺のある伊勢長島にいる。




