5.お前になら巴を託せる(イラストあり)
狭くて薄暗い室内にギターの音だけが響いている。
外は快晴、すがすがしい日曜だというのに、僕は灯りもつけず作曲していた。
チャンプは何も言わない。人間の言葉どころか「にゃあ」とも言わない。僕の方も話したいことはないから、カリカリと水だけを用意してあとは無視を決め込んでいた。
「はあ……」
いつもは思いつかないような、もの悲しいメロディばかりが浮かんでくる。
「なんであんなこと言っちゃったんだろう……」
全部全部、チャンプのせいだ。チャンプが変なことを言い出さなければ、勝負なんてしなければ。
「でも……全部僕の問題なんだよなあ……」
ほんとうはわかっていた。チャンプが何をしようが、何を言おうが、僕自身がぶれなければよかっただけだと。たかがクイズの賭け、嫌なことは嫌だと拒めばよかったのだ。
巴ちゃんとは別れない。別れたくない。そう言えばよかっただけなのに。僕のたった一人の愛する人……。
気づけば一心不乱にギターをつまびいていた。
「……あ。もう十二時か」
時計を見て、その下のフードボールに目がいく。
「あれ?」
マルハチのまぐろ味だというのにまったく食べられていない。
「チャンプ?」
部屋の隅、段ボールの中でチャンプは丸まって寝ていた。でも……静かすぎやしないか。
「……チャンプ?」
背中に触れると温かくて、不謹慎ながらそのことにまずほっとした。でもチャンプは動かない。軽くゆすってみても、抱き上げても反応がないのだ。
「ど、どうしよう」
猫相手に何をむきになっていたんだ、と強い後悔が込み上げてきた。
「病院は……日曜は休診か。猫のための救急車……なんてないよな」
チャンプに何かあれば、巴ちゃんはひどくショックをうけるだろう。ううん、巴ちゃんのことがなくても僕はチャンプを助けたかった。チャンプのことだって本心から嫌いじゃないのだ。それどころか、こんなにも特別な猫に出会えたことを幸運に思っている自分がいて――。
「チャンプ……!」
腕の中、脱力したチャンプはあまりにもか弱くて……それがとても怖くて。とっさに電話をかけた相手は巴ちゃんだった。時差なんて頭から抜け落ちている。
「あ、もしもし? 助けて! チャンプが……!」
その時だった。勢いよく話す僕の口が物理的にふさがれたのは。
「人間よ。それ以上しゃべるな」
肉球を唇に押し付けられ、声に出さない声で驚く僕にチャンプが言ったこととは。
「……もうだめだ。吐く」
***
チャンプが元気がなかった理由、それは食べ過ぎだった。
早朝、僕がまだ寝ている隙にチャンプは勝手にカリカリをあさっていたのである。
どうしてそんなことをしたのか。それは僕が夕べカリカリを出すのを忘れてしまったからだ。空腹に任せてしこたまカリカリを食べたチャンプは……。
「ほんとごめん」
うなだれる僕に「俺も悪かった」となぜかチャンプも謝ってきた。
「お前の巴への気持ちを確かめたくて試すようなことをしてしまった」
「試す?」
「人間よ。お前が俺を煙たがっていることは前から知っていた。だがな、それは俺も同じだ。俺にとってのお前とは、愛する巴を奪った憎き奴でしかない」
しばらくして「いや、今は違うがな」とチャンプが付け加えた。
「巴と電話で話すときのお前のゆるんだ顔、そしてお前の詩、曲……お前の巴への愛は十分わかった」
「チャンプ……」
「だから人間よ。いいや、尊よ。お前に巴を託す。いいか、巴を必ず幸せにするんだぞ」
たまらずチャンプを抱きしめていた。
「ありがとう……!」
「おいこら。やめろ」
腕の中でチャンプが苦し気にもがいている。それでも僕はしばらく抱きしめ続けた。
***
それからの僕たちは。
巴ちゃんが日本に戻ってくるまで、僕とチャンプは騒がしくも楽しく暮らした。帰国後は新居に移り、巴ちゃんも加わり、もっと楽しい日々が始まった。巴ちゃんとチャンプの仲のよさを見せつけられることはしょっちゅうだったけど、僕はちっとも不満を覚えなかった。
「にゃあーん」
高い声、きゅるんとした瞳。巴ちゃんに対して猫をかぶり続けていたいチャンプはまさに借り物のようで、笑いをこらえるのに必死だったのだ。
「……覚えてろよ」
「はいはい」
チャンプは今も僕としか人間の言葉でしゃべらない。チャンプにとって僕はライバルであり友達みたいな存在なのだ。でもそれは僕も同じだった。
「それはそうと。尊よ。巴は今日もすばらしく美しいな」
「うんうん。だよね」
巴ちゃんがいない時間、こっそりチャンプと巴ちゃんのことについて語り合っている。
そして――巴ちゃんのことを思って作ったバラードは僕のプロデビューの足掛かりとなったんだけど、その話はまた別の機会に。
了




