4.チャンプなんか嫌いだ
それから僕の日常は大きく変わった。
チャンプが常に人間の言葉を話すようになったこと、一日一回クイズで勝負するようになったこと、チャンプ監修のもと作詞作曲を行うようになったこと……。
最大かつ最良の変化は、巴ちゃんとの朝の電話がルーティンになったことだ。クイズの答え合わせのためだったけど、巴ちゃんは意外と迷惑そうじゃなくて。それどころかどこか嬉しそうだった。昨日着た服に、靴。ひいたルージュの色。ヘアスタイル。クイズのネタは尽きなかった。
クイズのネタ以外にも訊きたいことはいっぱいあったから、話は自然と長引いていった。オフィスでともに働く人、交わした言葉。一番優しかった人。一番いらっときた人。休日の過ごし方。スーパーで買ったもの。見た映画、読んだ本。気になるニュース。
そして知った。離れているからこそ募る想いというものがあることを。遠く離れていても、巴ちゃんは巴ちゃんで。たとえ一緒に住めなくても、巴ちゃんは僕のたった一人の愛する妻で――。
そんな巴ちゃんへの思いを照れくさいながらもいくつか詩にしていくと、基本辛口なチャンプが「これがいい」と、とある一つにメロディをつけることを勧めてきた。そして「バラードにすべきだ」とまで助言してきた。
「ええっ! それは無理だよ!」
今までは猫相手だからあけっぴろげにふるまえていたけど、さすがにこの詩でバラードは僕の守備範囲を超えている。動画サイトを介して世界に公開する勇気もさらさらない。知り合いだって見るのに。
だけどチャンプはゆずらなかった。
「無理ではない。やるんだ」
迫力のある顔と声で命じられれば……当然やるしかないわけで。
***
そこからチャンプの鬼のような指導が始まった。
「お前の巴への愛はその程度のものなのか」
「まったく愛が伝わってこない」
あまりにも容赦なくダメ出しをされ続けた結果、さすがに僕もへとへとになった。
「これじゃいつまでたっても完成しないよ」
仕事をしながらだと使える時間にも限度というものがあるわけで。
「ね。もっと直接的なアドバイスくれない?」
とある休日の昼下がり、僕はとうとうチャンプに泣きついた。これ以上はどうがんばっても何もアイデアが出てきそうになかったのだ。
これにチャンプが「ふむ」と思考を巡らした。
「では人間よ。この曲を聞いた巴にどんな反応を示してほしいか言ってみろ」
想定外の質問だったが返事は決まっている。
「ダメダメ! 巴ちゃんにだけは聞かせられないっ!」
理由は一つ、恥ずかしいから。
これにチャンプがちっと舌打ちをした。
「馬鹿者め。そんなことでバズれる曲を作れると思っているのか」
「……猫のくせにバズるって意味、わかってるの?」
「逆に人間に問いたい。バズる曲の定義とはいかに」
「すごく流行ることだよね」
「つまり?」
「えーと。たくさんの人に聞いてもらうこと、かな」
「そのたくさんの人の中には巴は含まれていないのか」
「うっ」
図星に二の句が継げなくなった。
「お前の曲を、妻である巴が聞かずして誰が聞くというのだ」
「そ、それは」
「しかも今作っている曲は巴への想いをしたためたものだ。ならば巴にどんな気持ちになってほしいかを意識して曲をつむぐべきではないのか」
「……おっしゃるとおりです」
まさに正論、ぐうの音もでない。
しばらく沈黙が続いたら、なんとチャンプはうたたねを始めた。
「……猫ってお気楽でいいよなあ」
嘆息をつきながらギターやノートの類を片付けていく。内心、自分のダメさ加減にげんなりしながら。どうして僕は猫よりも劣っているのだろう。こんな食っちゃ寝しているだけの猫に。クイズの方も現時点ではチャンプの圧勝だ。愛妻のことすらチャンプの方がよく知っている。勝負の結果はすでに見えている。
おざなりな夕食を作り終えた頃、ようやくチャンプが目を覚ました。
「ふわああ」
大きなあくびを、一つ。そして開口一番、「人間よ。最後のクイズを始めよう」と言い出した。「いつまでもだらだらと勝負事をするのは性に合わん」と。
「え? でも今日僕が勝っても僕は勝てないんだけど」
「今日お前が勝ったら逆転勝ちとしてやる。それなら問題ないはずだ」
「……なにそれ」
完全になめられている。創作でもクイズでも……ううん、物事全般に対して僕はチャンプに完全になめられている。チャンプがいまだに僕のことを「人間」と呼ぶのもその証拠だ。
「いいよもう。僕の負けってことで」
「ほお。本当にいいのか」
「いいって言ってるでしょ」
「ならば俺の言うことを一つきいてもらうぞ」
「はいはい。どうぞ」
投げやりな僕に、チャンプが眼光鋭くこう言った。
「巴と別れろ」
「……は? ちょっと待って。今、なんて言った?」
「巴と別れろと言ったんだ」
「……なにそれ」
「巴にはお前のような男はふさわしくないと前から思っていた。そしてその思いは確信に変わった」
ぷつん――。
自分の中の何かがきれる音がした。
「……あーっ! もう嫌だ! チャンプなんか嫌いだ!」
何もかもがうまくいかない。何もかもが。
「お前なんてもう知らない! あっちに行け!」
力任せにクッションを投げつける。それをチャンプはひらりとかわして自分のベッドへ去っていった。
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