02 新大陸式大歓迎
新大陸第一次調査隊のニュースが世間を騒がせ始めた頃、俺は北海道の海岸でメノウ採取の遠征をしていた。
小さい頃から大きなドングリとか綺麗な石とかアンモナイトの化石とか牛の骨とか、そういう博物学的なワクワクアイテムを集めるのが大好きで、大人になっても暇を見つけてはそういうモノを集めている。
安アパートの壁に取り付けた棚はラベルをつけた鉱物や宝石の原石、珍しい植物の標本、小動物の剥製で埋め尽くされ、そんな部屋で寝起きしているだけで幸せになれるのだ。貧乏暮らしでも全然いい。
半日かけてスプーン一杯分のメノウを採り、手の中でじゃりじゃりさせながら気分よく宿に凱旋した俺は、部屋でテレビのニュースを見て強烈に新大陸に心惹かれた。
怪我を治す泉の水。氷漬けの炎。岩を食べる雷。不思議な不思議な戦利品の数々。
ああ欲しい。アレが欲しい。どうしても欲しい!
一瞬で月の石をぶち抜いて欲しい物ランキング一位が更新された。
さっそくネットで調べ新聞や週刊誌を読み漁り、同じ趣味の知り合いに片っ端から連絡を取ってみたが、どうやら新大陸産ワクワクアイテムは一般に流通しないようだ。
ガッカリしたけれど仕方ない。月の石だって一般人が手に入れるのは不可能。資源価値・研究価値は計り知れず、科学を超越した摩訶不思議アイテムが出回るはずもなし。それでも闇ルートでいくらかは流れているかと期待してしまった。
悪い事は重なるもので、間もなくして「一般人は新大陸に立ち入り禁止」という情報が広まった。
有識者は言った。危険地帯への立ち入り禁止を法律で定めるのは至極当然だと。
俺は思った。じゃあ法律破るしかねぇよなあ? だって新大陸行きたいもん。
生還率2%には尻込みするけれど、行方知れずの98%も死体が見つかったわけじゃない。死体すら残らないとか死体の捜索すら不可能だったとか後ろ向きに考えるより、実は誰も死なない優しい世界なのだと前向きに考えた方が心に優しい。
かくして俺は知恵を絞り伝手を駆使して第二次調査隊の船舶に積み込まれる荷物に紛れ込み、息を潜めて新大陸に近づき、到着直前に変装して素知らぬ顔でしれっと甲板に出たところで正体がバレて海に飛び込むハメになったわけだ。
冬の海は身を切るような凍える寒さだった。一瞬で水を吸ってずっしり重くなった服が暗い水底に俺を引きずり込もうとしてくる。
しかし俺だって馬鹿じゃない。新大陸アイテム探索行で必要になりそうなサバイバル道具は一通り持ってきた。
「ぅぐ、がぼぼっ!」
荒波で溺れそうになりながらポケットからゴム袋を出し、必死に息を吹き込んで浮袋にする。手足はすぐに凍えてかじかみ、感覚も動きも鈍くなっていく。
ようやく浮袋に栓をしビート板代わりにしてバタ足を始め一息ついて振り返ると、護衛艦からゴムボートが海上に降ろされ、自衛隊員が乗り込んでこちらを指さし何か叫んでいた。
舌打ちが出た。
畜生め、まだ窮地は脱していない。奴らに捕まったら新大陸に足跡をつける前に日本に連れ戻されてしまう。新大陸の砂粒すら拾っていないのに強制送還されてたまるか。俺は逃げ切るぞ!
新大陸は濃霧に包まれていて、岩礁も多い。第一次調査隊を壊滅させた原因も潜んでいる。だから通りかかった船が次々と難破した。ビート板バタ足vs追跡ボートの一見絶望的追いかけっこにも勝ちの目はある。上手くやれば霧で姿を隠せるし、ボートが海底の岩に船底をこすって沈没し自滅するのも期待できる。
俺は心臓が止まりそうな肺がひきつるほど冷たい海水をかきわけ全速力で泳いだ。
「止まりなさい! 止まりなさい! そこは危険です! 止まりなさい!」
追いかけてくるボートから拡声器のハウリングと共に制止の声が迫る。
俺は振り返らず背中越しに中指を突き上げて答えた。
今更投降なんてできるか。意地でも逃げ切ってやる。
が、維持と根性でエンジン付きボートと浮袋のスピード差は覆せない。
新大陸まであと200mというところでボートに追いつかれ――――
「…………?」
不意に、足元に何かの存在を感じた。
暗い水底の奥深くに何か動くものがある。
いや、この水底の暗さは……
目を凝らすと海面下の暗がりが動き、鱗がきらりと光るのが見えた。その暗がりは身じろぎし、身じろぎすると海上に波が起きて荒ぶる。
一拍遅れて事態に気付いた。
俺の下に鱗を持つ巨大な何かがいるのだ! しかもだんだん浮上してきている。
サメか? クジラか?
いやそんなものではない。全長数十メートルはゆうに超えている。大きすぎて全貌が分からない。潜水艦ではない。潜水艦に鱗はない。
ボートに乗った自衛隊員達も足元の不明存在に気付いたらしい。
海底を指さし大騒ぎして舵を切り、慌てて護衛艦に引き返していく。
しかしUターンする前に津波と共に水面から飛び出してきたヒレにあっさり吹っ飛ばされ霧の向こうに消えていった。
「は? お、あれ、ちょ、あああああああああ?」
アホ面で放物線を描いて飛んで行ったボートを見送っているうちに、足元が浮上して陸地になった。
足元の鱗で覆われた地面、いや巨大生物の体表から海水が滝のように落ちていく。鱗にへばりついて水と一緒に流されないように堪えていた俺は、鱗越しに力強い鼓動を感じて戦慄した。
生きている。やはりこいつは生き物なのだ。俺は今、新大陸の海底から姿を現した巨大生物の背中に乗っている。
背中に空いた穴から霧を突き抜け何百メートルという高さまで水柱が上がり、散弾銃のように雨を降らせる。空気を震わせ腹の底に響く重低音の鳴き声を上げる生物の背中はサッカーコート数枚分もの広さがあった。
なんて生き物だ。新大陸にはこんな生物がいるのか? そりゃ調査隊が行方不明になるわけだ。泳ぐだけで津波が起き、人が吹き飛び押し流されていくのだから。
俺は登山家になった気分で傾斜のある巨大生物の背中にしがみついて這った。コイツが身震いするだけで俺はあのボートと同じように吹き飛ばされる。下手すれば全身グチャグチャだ。
さっさと離脱して新大陸に行かなければ。コイツのおかげで自衛隊の追手はどこかに消えたが、もしかしたら自衛隊の追手の方がマシだった。
想像してみて欲しい。自分と比較にならないほど大きな生き物にしがみついているのがどれほど恐ろしいか。筋肉の塊のようなクマにしがみつけば誰もが死を覚悟するだろう。クマの何千倍もの大きさの生き物にしがみつけば何千倍もの覚悟が勢い余って死んでしまう恐怖を味わえる。
頼むから暴れないでくれと祈りながら這い進む内に足元の生物がどうやらクジラの類らしいと分かった。鱗と巨大さを除けば尾の形、鳴き声、潮吹き、体型、全てクジラの特徴を持っている。巨大鱗クジラだ。
遠く霧の向こうから聞こえる護衛艦の警報をBGMにようやく体表の端まで這い進み、あとは海に飛び込むだけになる。巨大鱗クジラは何を考えているのか、頭と思しき部位を護衛艦の方向に向けたままじっと動かない。アリのように小さな生き物が背中から海に滑り降りたところで気にも留めないだろう。
新大陸まではもう浮袋もいらない距離だ。海に飛び込んでからほんの1、2分全力で泳げば今度こそ陸に足をつけられる。
「…………」
だが鱗クジラの背中の端で俺は手をかけた鱗を見てつばを飲んだ。
綺麗な鱗だ。
つやつやして、重厚で、一枚だけで手のひらより大きい。触った事のない質感に見たことのない色合いだ。
当然この鱗を手に入れた人間はまだ誰もいないだろう。ガラスケースに入れて棚に飾ったらどれだけ美しく輝くだろう。この冒険行の記念品として持ち帰ったらどれだけ楽しいだろう。
こんな事したら絶対ヤバい。命知らずの蛮行だ。
脳内会議は圧倒的反対多数でやめておけと叫んでいるのに、手は勝手に動いた。
魔がさした。ちょっとだけならバレないのでは?
そもそもこういうモノを手に入れるためにわざわざ密航してやってきたのだから。
手の震えを抑え込んでナイフをひんやりした光沢のある鱗の隙間に差し込み、そーっと力を入れる。
すると鱗と鱗の間に隙間ができた。
一度手を止めて耳を澄ませる。
うるさいぐらいに高鳴る自分の心音以外静かなものだ。
……いける!
じわじわ鱗を剥がし、最後の一瞬だけ一気にいくと、その途端に鱗クジラがびくりと震えた。まるで地震だ。
巨大な頭が傾きもたげ、不気味で巨大な黒い瞳に俺の姿が映る。
全身からドッと冷や汗が出た。
ちょっと待って欲しい。
たかが鱗一枚じゃないか。人間でいうとすね毛を一本抜いたぐらいだろ?
分かるよ、痛かったよな、悪かったよ。もうしない。
「蚊に刺されたとでも思っああああああああああああああああ!!!」
言い訳虚しく噴火のような身震いで吹き飛ばされ、俺は海面に落ちる前に大口を開けた鱗クジラに丸のみにされた。
絶対死んだ、と思ったのだが、存外即死はしなかった。俺が小さすぎ、クジラが大きすぎたのが幸いした。噛み砕くまでもないほんの小さなゴマ粒のようなものだ。
俺はクジラのヒゲの間をすり抜け、ぐにゃぐにゃした肉壁の蠢きに押され、生臭い食道らしき通路を海水と一緒に流されて広い洞窟のような場所に出た。
洞窟は振動し、エレベーターが下りていくときのような浮遊感を感じる。どうやら鱗クジラは海に潜ったらしい。
「…………」
へなへなと力が抜けた。腰まで海水に浸かって座り込み、俺はしばらく茫然とした。
どうやらなんとか生きている。いつどこで死んでもおかしくない危ない橋だった。
これだけの危険をおかし、巨大クジラの腹の中に納まって、手に入れたのは鱗一枚。
それでも心の底から踊りだしたくなるような喜びがこみ上げてきているのはもう性分だろう。きっと俺は生粋の冒険野郎なのだ。暗い闇の中で消化されるのを待つのみになっても、自分の命と同じぐらい手に入れたお宝が心配なのだから。
鱗を大切にポケットの奥底にしまいこみ、俺は脱出方法を考え始めた。十中八九このままじわじわ胃液か何かに溶かされ消化されて死ぬとしても、お宝を持ち帰るまでは諦めきれない。
地面と壁はぶよぶよした分厚く頑丈なゴムのような肉壁で、生臭く、触るとほのかに生暖かった。試しにナイフを思いっきり突き立ててみるが、強靭な弾力に容易く跳ね返された。肉を切り開いて脱出するのは無理だ。
ではどうするか。
思案している内にふと気づいた。
ここは鱗クジラの胃の中だ。真っ暗闇で何も見えないのが当然のはず。
しかし壁や地面、空間の大まかな大きさが分かるぐらいには明るい。
どこかに光源がある……?
目を凝らし周りを見回すと、奥に行くほど明るくなっていくのが分かった。
海水とデロデロした粘液をかき分けて奥に進む。
何度も転びそうになりながら奥に着くと、そこは溶けかかった骨や皮や流木を積み上げて作った小さな陸地があり、短くなった松明の火を新しい松明に移している、ボロボロの服を着た若い女性がいた。
俺とそいつはお互いを指さし、驚愕して同時に叫んだ。
「ひ、人だ!?」




