Ep-736 猜疑
氷の通路を進む魔王一行は、結界を張り野営を行っていた。
ハルファスが食糧を魔術で生み出し、魔王たちは全員でそれを食べる。
ベルだけは、それを恐る恐るといった様子で食べている。
氷の上に描かれた魔法陣の上では、鍋が煮えている。
鍋の中にはハルファスが作ったスープが入っていた。
「ハルファス...さん、料理ができるのね」
『否、これは参式行軍食だな、我々の時代の魔族が好んで食していたものだ』
「えっ...それって、百年以上前じゃないの?」
「ルシファー様は時間を止める魔術を使われる、その応用で、我々魔族は「収納空間」を当然使えるのだ」
ハルファスはそう説明する。
ハルファスは長く隠れていたが、食糧は魔術で作れるためそれを使うことはなかったのだ。
「私達魔族は魔術で食料を作れますが、それは魔力を消費しての事ですからな、アムドゥスキア殿は権能を使い、より効率的に食糧を作れましたが、多くの魔族はそうではありませんでした、魔力を節約するため、または食事の質を統一するため、パイモン殿が携帯食の導入を提案したのですよ」
ゼパルは広い武器庫を魔術で確保し、千剣を操る魔王である。
それ故に、携帯食の存在には感涙を覚えていたと語る。
『奴が作った携帯食は、全軍に行き渡ったのを覚えている。味や食感ではなく、栄養素と消化の良さ、携帯性と防腐性を重視したモノだった。それだけに、我はそれをあまり美味いとは思わなかった...しかし、もう一度食べたいものだ』
ベルはそれを聴きながら、ふと自分の過去について思い馳せた。
魔王の事ではなく、自分自身の過去についてである。
ベルは、普通の家に生まれたわけではない。
孤児出身であり、魔法ギルドに素養を認められた上で出資を受けて勉強し、特別研究生として学院に通っていた。
ベルの生まれは、帝国との戦争で親を失ったものが寄り付く都市の孤児院だったが、院長はベルが孤児院の前に捨ててあったというだけで、親の存在を知るわけではなかった。
「(もしかして)...」
ベルの思考は正常なものから逸れる。
それが悪魔の仕業だったのかはわからない。
「(ユカリは、私が魔王の魂を持ってるから、私に仲良くしてくれたのかな)」
そして同時に、ベルはある事に気づいてしまう。
ユカリに自分が孤児であると明かしたことがないことに。
ベルにとって、貴族はあまりいい印象を持つ相手ではない。
孤児院のある都市を収める小貴族は、分け隔てなく接してくれたものの、他はそうではなかった。
センヘルを治める伯爵は、民草に興味などなく、都市にやってくる貴族たちはベル達を穢らわしい孤児だと見下した。
ずっと心にしまっていた恐怖が、ベルを包む。
ユカリもまた、自分が元孤児だと知れば、あの冷たい目線で自分を見るのではないかと。
それは、ユカリが友達ではなくどこか遠い存在になってしまったというベルの認識から来ていた。
「...」
ルームメイトから始まった関係だったが、その関係は最初から対等なものではなかった。
貴族と平民から始まり、ユカリはそのうちメキメキと頭角を露わにした。
会話は減り、そして、王族と絡んで目を見張るような話に名前が出るように。
聖女となり、王妃へとなり、最後には神になった。
だからだろうか?
ベルの心にはいつのまにか、暗いものが溜まるようになった。
ベルはユカリのことが好きだった。
だから、遠くなっていくユカリを祝福しつつも、それを嫌だと思っていた。
『どうしたのだ、ベル?』
「あっ!? いえ、なんでもないわ!」
だが、ベルの思案は中断された。
少なくとも、彼女にはダンタリアンという存在がいる。
それがベルにとってどのような感情であったとしても。
ベルはスパイスの効いたスープを飲み干し、自分の心の歪みを断ち切った。
...少なくとも、今この瞬間においては、そうであった。
「薬を作ってるんですか?」
『そう』
私は、鍋をかき回すヘルと共に、氷の家の台所にいた。
ヘルは火を焚き、鍋に少しずつ何かを入れていた。
『焦土病に、効く薬。上に向かうなら、持って行って、欲しい。余った分は、上にいる魔人が、食糧とでも交換してくれる』
「上にも人がいるんですか?」
『ベヒモス、と同じ。人の形をしているかは、わからない』
「ああ...」
彼も魔人なんだ。
人とついてはいるけれど、「人」の定義が悪魔ではなく、魔神の関連者であるとするなら話は通じる。
私は鍋からの音を拾い、ぴこぴこ動くヘルの耳を見ながら、悪趣味な匂いを漂わせる鍋の中を見た。
魔法薬らしく、ヘルからの魔力を受けて素材が変質している。
「こういう素材はどこから手に入れるんですか?」
『契約者を、高頻度で得られる悪魔は、人間界のものを何かと引き換えで持ち込める。特に、商人と呼ばれる中位悪魔は、収納空間が、使える』
人間界由来の素材なのか。
それなら私にも、同じものが作れるかな?
『この薬自体は、人間界では意味がない、はず。上層は、行ってみれば、この薬の必要性がわかってもらえる』
「そうなんですね...」
残念がる私だったけれど、ヘルは...
『いくつか、使えそうな魔法薬のレシピを渡す。わたしはここから出たくない、けど、あなたの役にたつはず』
「ありがとうございます」
ヘルには、この場所から出たくない理由があるらしい。
気になったけれど、誰にだって掘り返されたく無い過去はある。
...過去といえば、ベルの過去はちょっと気になるんだよね。
遺物研究家として出会ったけれど、それ以前の事はよく知らない。
私の仲間の中で、一番過去が不透明だ。
勿論、面接官じゃあるまいし「この空白の〇〇年は何をしていたのですか〜」なんて聞くつもりはないし、それをやったら人間としておしまいだ。
「ヘルさんは、ルシファーとは関係ないのですか?」
『わたし自身は、旧き王の友、あなたを知る事はない。けれど、あなたの名がまだ、新たな時代の黎明に沈む前の時代を、生きていた』
「そうなんだ...」
『魔神の祝福を受け、この地に来た時、わたしは旧き王に会い、話を聞いた。旧き王サマエルは、あなたを友人だと思っていたと』
「...いた?」
『わたしの話す事ではない』
とりつく島もない。
とはいえ、ベヒモスもそうだった。
サマエルの関係者は皆、「その耳で聞け」と言ってくるみたいだね。
それなら私も、サマエルに会ってその話を聞くべきだろう。
私は密かに、出発への決意を固めるのだった。
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