弟子の母への近況報告
魔境に入り込んだステラを助け、ステラの母親を治療したものの、村人は皆異物を見る目で私を見ていた。魔境から溢れ出た魔獣を狩ることですら精一杯なのに、その魔獣の生息地である魔境に好き好んで踏み込んでいく頭のイカれた奴――それが私への評価だった。だが、農業用水が干上がれば水魔法で溜池に水を満たし、急病人が出れば治療魔法を施す。そんなことを繰り返していくうちに徐々にではあるが私に対する接し方が軟化していった。
「エリ! こいつを持ってけ!」
村をぶらついている私に声を掛けたのは、農家の次男坊だった。彼は両手に抱えた籠から赤く熟れたトマトを掴んで私に手渡す。私はその場でトマトを頬張り満面の笑みで彼に感謝を告げると、彼は照れくさそうに笑いながら畑の方へと戻っていった。この村に来て、ステラを弟子にしてもうすぐ5年になる。魔境の調査は殆ど済んでおり、現在の大きな成果は得られていなかった。しかし、一角兎や魔猿といった魔獣を仕留めては村人たちに振る舞ったり得られた素材を行商隊に販売して小銭を稼ぐことができた。ステラを伴って魔境に入っていくうちに魔獣の数は減っていき、辺縁部であれば村人でも立ち入ることができるようになってきた。勿論、最低限の装備と警戒は必要であるが。
「師匠! 今日は何しますか?」
14歳になったステラは光の加護を受けた者として村の病人や怪我人を治療する傍ら、私の所にやってきては教えを乞う。才能に恵まれた彼女はめきめきと実力を伸ばし、来年の成人の儀を前にして既に中級治療魔法や各種薬品の調合技術を習得している。良い師に恵まれれば更に才を伸ばすことが出来たのだが……光の加護に関して私が教えられるのは、初級魔法と薬草類の調合知識、そして無詠唱発動法と多重発動法だ。
才能があったのか、弟子入りして1年もしないうちに無詠唱発動法を習得したステラであったが、多重発動に関しては自身の魔力総量の問題か、二、三同時に発動すると魔力が枯渇して動けなくなってしまう。身体の外の魔素を使用する方法も教えてはいるが、そちらは今のところ上手くいっていない。
魔法の才能以上に目を見張るものがあったのが、野外行動中の要領の良さである。10歳の頃から魔境に入り込んでいる経験の高さは伊達ではない。今の彼女なら、最低限の装備だけを持たせて魔境の最奥部に放置しても余裕で自宅に帰ってくるだろう。教え甲斐があるのは素直に嬉しく、楽しい。私は実家を飛び出してから今までの経験の全てをステラに教え込むつもりで教育してきた。師に恵まれれば更なる高みに至ったであろう。そう思うと少し申し訳なさを感じるが。
「三日、四日くらい家を空けられるか? これからは最奥部の神殿を調査しようと――」
「空けます! 大丈夫です!!!」
私が言い終わるより早く、ステラは目を輝かせて答える。彼女の自宅は健康を取り戻した母と二人で診療所を開いている。きめ細やかな診察と的確な治療や投薬で、現在この村に大病を患っている者は一人もいない。だがしかし、急病人や怪我人が出ないとも限らないため、数日に渡って魔境に籠る際には事前に準備をすることにしていた。
最奥部にある建築物を発見したのは先週のことだ。魔境内で1泊した先にあるその建物は、神殿と呼ぶのに相応しかった。中央部に膨らみを持たせた太い柱の立ち並ぶ入口には、半ば崩壊しているとはいえ邪なる者を寄せ付けぬ荘厳さは失われていなかった。村長にこの神殿について尋ねてみたが、そもそも現在の村が開拓されたのが30年ほど前のことであり、それ以前の記録や伝承は何一つ残っていないとのことだった。今までの放浪で、このような建築物は何度か目にしてきた。大抵の場合大きな成果は得られないが――弟子に経験を積ませるためにはいい機会だ。私は目を輝かせるステラに手を引かれながら、彼女の実家に連れてこられた。
◇
「お母さん、ちょっと遠足に行くから!」
自宅兼診療所の扉を勢いよく開けた彼女は、目を丸くする母に向かって宣言した。ステラの母は勢いに驚いたものの、すぐに平静さを取り戻し、微笑みながら何も言わずに頷いた。その様子に満足したステラは扉を開けた勢いそのままに自室に戻ると手早く荷造りを始めたようだった。
「あー……、奥さん、いつも突然ですみませんね」
「いえいえ! あの子も楽しんでやってるようですし、感謝しかありません」
お茶を淹れてきますね、と言った彼女は厨房に向かった。一人のぽつんと残された私は患者用に用意されている椅子に座ると所狭しと並べられたガラス瓶に目をやる。どれもこの村の魔境で採取した薬草だ。痛み止めに化膿止め、眠気覚ましに熱冷まし――薬草のいくつかは私もこの村で初めて目にしたものも多い。それらを採取できたのは、彼女の今は亡き夫が残した図鑑に載っているものだったからだ。薬師として類稀なる才能を持ちながら、志半ばで魔境で帰らぬ者となったステラの父――彼の遺品を探すことも、いつしか魔境調査の目標の一つになっていた。
ぼんやりとガラス瓶を眺めていると、爽やかな花の香りに気が付いた。ティーポットを持ったステラの母が厨房から戻ってきたのだ。私は花茶を頂きながら、最近のステラの様子を報告する。無詠唱発動は一級品になったこと、上級魔法を発動することが出来るだけの魔力を身につけていること、野外活動は問題はないこと、そして、魔獣を見つけたら躊躇せず仕留めにかかる度胸を持っていること――
「エリオットさん、あの子のことを考えてくださっているのは重々承知はしておりますが……」
いつも微笑みを絶やさない彼女には珍しく、やや渋い顔をしている。
「あの子が山猿みたいになったら、嫁の貰い手が無くなってしまいますわ。責任取ってもらえますか?」
その言葉に、口に含んだ花茶を噴き出しそうになる。無理やり堪えた花茶が鼻の奥を通って酷く痛む。何とか花茶を飲み下し、引っかかった水分を絞るように咳払いした私は、涙目のままその言葉に答えた。
「バカ言っちゃいけませんぜ、奥さん。あの子と俺の年は倍離れてるんだから……。それに、あの器量良しなら引く手数多でしょうに」
私の言葉に彼女は悪戯っ子のように笑った。年齢を感じさせないその笑顔に、一瞬どぎまぎとさせられてしまう。例えるなら、世話焼きのお姉さんといった感じか。弟子の母に対して抱く感想ではないな、とかぶりを振ると、手早く準備を済ませたステラが戻ってきた。
「随分早いな! ちゃんと装備は――」
「整えてますって! いつも師匠がいってるじゃないですか」
「「機を見るに敏!」」
声を揃えて笑う私とステラを、彼女はただ微笑みながら眺めていた。




