無能者、弟子を取る。
ひとり魔境へ入り込んだ少女――ステラ―の救出から一夜明け、目を覚ました彼女を待っていたのは母からの熱い抱擁と勢いの良い拳骨だった。
「どうしてあんな所に行ったの!? アンタに何かあったら、お父さんにどんな顔して会いに行けばいいの!?」
「ごめんなさい、お母さん……でも」
でもじゃない! と拳骨のおかわりをもらったところで、ステラの母親は大きく咳き込みその場に倒れこんだ。
「お母さん!! お母さん!? しっかりして!!」
二人の様子を見ていた私と村長は、倒れこんだ母を床に運び込み、泣きじゃくるステラを二人で宥めた。
「あの子の父親は?」
「3年前、魔境に踏み込んで、そのまま……」
私の問いに苦い顔をして村長が答えた。ステラの母は昔から身体が弱く、特にステラを生んでからは起き上がっている時間よりも床に就いている時間の方が長くなっていた。光の加護を受けていたステラの父親は調合技術に秀でていて、この村で唯一の薬師だったそうだ。彼女の体調が特に悪化した3年前のある日、彼は村人の制止を振り切り魔境に生えている薬草を採取しに向かい、文字通り帰らぬ人となったのだ。
「天にましますわれらが神よ、かよわき人の子の、ねがいをお聞きください……」
ステラは母の右手を両手で包み、固く目を瞑って詠唱を始めた。すると、ステラの手から光が溢れ、彼女の母親の呼吸は荒々しいものから徐々に落ち着いていった。
「光の加護、か……」
ステラは加護を受けてから5年の間、母親の病気の進行を食い止めるため、毎日毎日治療魔法を施していた。だが幼い子供の魔法は対症療法に留まり、また、日に数度が限度であった。本格的な治療を施し、母を健康にするための薬草を見つけ出すため、昨日は魔境に入り込んだという。
「村長、この村に医者は……?」
村長は黙ったまま顔を左右に振る。交通の要衝でもなければ特産物もないこの寒村には、医者を常駐させるだけの魅力も財力もなかった。体調を崩したら、月に数度来る行商隊が販売する薬に頼るしかないという。また、昨年から続く干ばつのため村人が食いつないでいくだけでもやっとの状態であり、領都に連れて行って医者にかかるのも、医者を呼ぶのも不可能だという。
「もののついでだ。村長、一つ頼みがあります」
私の言葉に片眉を上げて訝しむ彼に対し、私はステラの母親への治療を申し出た。その対価として、暫くの間この村への滞在を許して欲しい。そう告げると、彼は顎先に手を当てて考え込んだ。
私が10歳の時に家を飛び出してから各地を巡り、肌で感じたことがある。治安の悪化と、人に対する不信である。魔王勢力の台頭による秩序と信仰が揺らいでいるのである。飢饉により人々は飢え、貴族は重税を課し、税を逃れるため人々は流民となり、悪循環に陥る。流れてきた者が善人であるとは限らない。火付け強盗の可能性を疑って、村から追い出すのが一番の安全策なのである。特に小規模の寒村では排他性が高く、私もこの村に到着するまでの間、壁と屋根のある場所で久しく休んでいなかった。
「お願いします! お母さんを、助けてください!!!」
村長の答えを聞くよりも早く、ステラは私の手を握り力強い声で母の治療を希った。そのステラの様子を見た村長はため息を一つ吐き、私のこの村への滞在を許可したのだった。
◇
「治療、治療。治療、治療、治療治療治療治療治療治療治療治療治療治療治療治療…………!!!」
ステラの母親の胸に手を当て、初級治療を詠唱し続ける。その治療法に、村長もステラも口を開けて驚いている様子だった。
「お兄さん、ちゃんと詠唱しなくてもいいの!?」
「おい兄ちゃん、本当に大丈夫なんだろうな!?」
そんな二人の様子を尻目に、私は初級治療を掛け続ける。効果は先程ステラが行っていた治療魔法と同じだ。大きく異なるのは、その密度と回数である。風邪や腹痛などの軽い体調不良や、小さい切り傷や擦り傷に対して有効な初級治療であるが、重病や重症には効果が無いとされている。正確には、ある程度の症状以上であれば中級・上級治療を施し、何十回も初級治療を施す非効率なことなど誰もやらないためにその効果が知られていないのである。光の加護を授かり真面目に修行に取り組めば、大抵の者は成人する頃には中級治療を習得する。光の加護を授かる者の比率が低いため、中級治療を施すことができる者は荒れた世の中においても食い詰めることはない。
「……治療、終わり」
ステラの母親の顔色はまだ少し白いものの、呼吸は整いすやすやと寝息を立てて子供のように眠っている。その様子にステラは安堵して涙を流した。
◇
村長と交わした約束の結果、私は魔境にほど近い場所に住処を整えることにした。人が住まなくなって久しい、吹けば飛ぶようなあばら家だが、雨風凌げる寝床はありがたい。私はこのあばら家を拠点とし、この村の魔境の調査を開始した。大陸各国各地に存在する魔境には、石碑や遺跡などといった形でこの世界の成り立ちや神に捧げる詩文などが刻まれている。その中に、私が初級魔法しか使えない謎が隠されているかもしれない。この村に訪れたのも、魔境が存在する噂を耳にしたからだ。旅人や冒険者として立ち入れる箇所なら大きな問題とならないが、この村のように排他的な場所にある魔境だと、滞在する許可を得るだけでも一苦労だ。ステラと彼女の母には悪いが、非常に良いタイミングであったと思う。そんなことを考えながら本日の調査の準備をしていると、勢いよく出入戸が叩かれ、脆い蝶番で辛うじて繋がれていた戸は音を立てて家の内側に倒れこんできた。
驚いて戸の方に目をやると、数瞬の静寂の後開け放たれた出入り口に顔を出した少女がいた。眉を八の字に下げた彼女は、消え入りそうな声で、私に向かってこう言ったのだ
「ししょぉ……あたしを弟子にしてくださぁい……」
見るからにボロボロの家なのか小屋なのかわからない私の拠点ではあるが、まさか戸が外れるとは思ってもいなかったのだろう。済まなそうな顔をしつつも弟子入りを求めてくるステラに、私は思わず笑い声をあげたのだった。
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