90.予期していた警告
祝勝会が終わり、アラタは夜の街を歩いていた。
シュトルハイムは少し変わった街で、山の大部分をくり抜いたような、巨大なクレーターの中にある街だ。
街の中央部には果てしなく巨大な岩が存在し、その上に最後の拠点となる街があるらしい。
細かい設定についてはパララメイヤに聞いてみてもいいかもしれない。
たぶん、パララメイヤのことだから次会うまでには色々と調べているだろう。
アラタはシュトルハイムの街をゆっくりとした足取りで散策していた。
月が明るい夜で、街の明かりに頼らずとも視界には困らない。
シュトルハイムはクレーターの中の街だというのに、ガイゼルよりも栄えているように見えた。
夜だというのに道行くNPCの数が多い。
このシュトルハイムこそが三つの違ったスタート地点の合流点であるのに、プレイヤーキャラは全く見かけなかった。
もしかしたらミラー42では、まだアラタ達以外にシュトルハイムにたどり着いているプレイヤーはいないのかもしれない。
アラタはほろ酔いの足取りで街を行く。
祝勝会は前回ほどめちゃくちゃなものではなく、皆ある程度節度を守って飲み食いしていた。
アラタの財布は天に召されたが、楽しい時間の代償と考えればそこまで悪いものでもなかっただろう。
今は解散し、パララメイヤとメイリィはログアウト状態、ユキナはきっと商売に関するなにかをしているのだろう。
アラタも無目的でただ歩いているわけではない。
街の様子の観察や宿探しのために歩いているのもあるが、それも副次的な目的で、本当の目的は別のところにある。
待っているのだ、ネメシスからの接触を。
あの、味方のように見えるエデン人の幼女を。
ネメシスは区切りのタイミングを狙ったように姿を現していた。
アラタの勘によれば、今夜はちょうどそのタイミングに思えた。
だから、こうして誘うように街を歩き回っているのだ。
本当に接触してくるかはわからないが、どちらにせよ街は見ておくべきだ。
ずいぶんと広い街だった。
中央の巨岩の上にそれなりの大きさの街があり、その巨岩を囲むようにして街が存在しているのだから当然広くなるのかもしれないが、実際に歩いてみると想像以上に広く感じる。
アラタは主要施設をチェックしながらポータルを開放していく。
今までの街ではポータルが一箇所だったのに、この街では今アラタが開放したので三つ目だ。
ミニマップから察するに、全体で五、六箇所はポータルがあるのだろう。
街の西部の冒険者ギルド近くで、いきなり声をかけられた。
「こんばんわ、いい夜ね」
気配に気づかなかった時点で誰だか想像はできた。
アラタが声の方向に目を向けると、そこにはあの銀髪の幼女がいた。
エデン人の複製体が、本当に接触してきたのだ。
「あら、あまり驚いている様子がないわね」
「なんとなく、来る気がしてましたからね。それ目的で歩いてたので」
「助かるわ。夜で、外の方が見つかりにくいもの」
ネメシスはそう言ってアラタの隣に並んで歩き出した。
「で? 今回はなにを話してくれるんですか?」
「警告をしておこうと思ったの」
警告。またろくでもない気配のする言葉だ。
「良いニュースと悪いニュース、どちらが聞きたい? みたいな茶目っ気はないんですか?」
「残念ながら」
アラタはわざと聞こえるようなため息をついた。
「それで警告とは?」
「一度目のアップデートがもうすぐ来るのはわかっているわよね?」
「ミラーが統合されるやつですよね」
「そう、その時にアルカディアは三日間のメンテナンスに入る。それまでにどうにかシャンバラに帰れるようになって」
「聞きたくないですが、理由を聞いても?」
「メンテナンスが始まるまでにこの領域から出られなかったら、たぶん貴方は消えてしまう」
「消える、とは?」
「言葉通り、その存在が消えてしまうと思うわ」
衝撃がなかったわけではない。
それでも、話の途中から何を言われるのか、半ば予想はできていた。
「そうですか。それで、いいニュースの方は?」
アラタの冗談に、ネメシスは困ったような顔をしていた。
「思ったよりも驚かないのね」
「まったく考えてなかったわけではないですからね」
「私が伝えに来たのは、急いでほしいということ。メンテナンスまでちょうど二週間。この期間でなんとか次のボスを倒して、最初の試練を突破してほしいの」
聞き捨てならない部分があった。
「待ってください、試練っていうのは一定以上の強さを持つボスを六体以上倒す、ではないんですか?」
「私も詳しいことはわからないけど、それは試練に挑むための条件なはず。それを満たして初めて、最初の星の試練に挑めると思うわ」
「最初の、とは?」
「願いの種子に至るまでの試練が複数あるのは間違いない。最初のフェーズで終わりじゃ見世物として物足りないはずだから」
「ずいぶんと気の長い話ですね」
「私達エデン人には、シャンバラ人以上の時間があるから」
「そして僕はそんなエデン人様達の暇潰しになるわけですね」
ネメシスがそれに答えるまでには間があった。
二人は夜のシュトルハイムの街を歩く。
民家の多かった区画を抜けて、広場らしき場所に出た。
夜である今、広場には中央にある噴水以外に目を引くものはなかった。
アラタは噴水まで近づき、その縁に腰を下ろした。
「座らないんですか?」
アラタが座ってようやく顔の位置が同じ高さになる。
アラタの対面に立ったネメシスは、悪さをして両親に謝ろうとしている子供のように見えた。
「……本当にごめんなさい」
何に対して謝っているのか。
同胞の趣味の悪い遊びに巻き込んでしまったことか。それとも大した手助けもできないことか。
「気にしないでください。なんとかしますから」
ネメシスの話を信じるならば、二週間以内に次のボスを倒し、試練とやらをクリアすればいいわけだ。
時間が限られたのはいい話とは言えないが、どのみちアラタは最速で動こうと思ってはいた。
「あとは何か知りたいことがある? 私に答えられることならなんでも教えるわ」
「アナタはこのアルカディアの開発に関わっていたんですよね?」
「そうよ、部分的だけどね」
「では、美味しいクエストの話とか、そういったことを教えてもらえますか?」
ネメシスが意外に思っているのがその表情からわかった。
遊戯領域内の、ゲームとしての部分の質問をされるとは考えていなかったのかもしれない。
「答えられられないタイプの質問でしたか?」
「いえ、わかるけど、口伝えだと難しいから、後で内容をまとめて念信で送るという形でいいかしら?」
「そっちの方が助かりますね」
ネメシスはアラタの言葉に頷いた。
「それじゃあそろそろ私は姿を消すわ。メンテまでに試練をクリアできるよう、祈ってるわ」
「善処しますよ、僕も消えたくはないですからね」
そうして唐突にネメシスは姿を消した。
あとには、広場の噴水の縁に座っているアラタだけが残された。
広場を照らす月を眺めながら、アラタはしばらく呆としていた。
背後の水音だけを聞きながら、ぼんやりと考えている。
メンテナンスまでに脱出できなければ、アラタは消滅する。
そう言われても、実感は持てなかった。
シャンバラ人は、死ぬことについてなど考えない。
自分の存在が永遠に消えてしまう。
かつて、すべての人間が物質世界に生きていた時代には当たり前だった概念。
恐ろしい気もしたが、やはりよくわからないという感覚の方が大きかった。
ふと、魔道士のことが頭に浮かんだ。
あの魔道士はNPCとしての意思を持っているように見えた。
そして、それをアラタは倒した。
ひとつの意思を消滅させたということになるのだろうか。
それともそんな意思は実際には存在しなかったのだろうか。
死ぬ、か。とアラタはぼんやり考え続ける。
そういえば、とアラタは思い出す。
アラタの師匠はよく「死ぬ気でこい」とか「命がけでやってみろ」と言った言葉を使っていた気がする。
当時のアラタは死語だと馬鹿にしたものだが、今は本当に命がかかっている状況なのかもしれない。
直近ではアラタがメンテナンスに巻き込まれて消滅する危機があり、その先には『願いの種子』とやらが悪用されてシャンバラの危機があり得るかもしれない。
今こそまさに死ぬ気でやるべき状況なのかもしれないが、いきなり言われて気力爆発というわけにはいかない。
できることをやる。結局のところ今のアラタにはそれしかないだろう。
月はそんな事情など知らぬげに、アルカディアを明るく照らしていた。




