76.威圧
緊張が室内を満たしていた。
互いににらみ合い、まだどちらも動かない。
三歩踏み込めば間合いという距離で、動くものは誰もいなかった。
アラタは右手を下げると同時に、ごくさり気なく右手で印を結んだ。
一番面倒なのはユキナを人質に取られることだったが、それはおそらく防げた。
二人はアラタの動きを警戒し、それ以上動こうとしない。
ARATA-RES:来ないんですか? ではこちらから。
そういった途端に、人相の悪い男が斧を振り上げた。
「雷神」
反射的に撃った。
移動せずにただ振り上げるだけの動作であったが、だからこそ何かしらのスキルの可能性が高いと思われた。
雷音が響き、雷撃に対して男は斧を振り下ろしていた。
アラタはもうそちらを見ていない。
アラタはソバットに近い動きで跳びながら蹴りを見舞った。
入れ墨の男に向かって。
入れ墨の男はアラタを刺さんと踏み込み、短剣で突きを入れていた。
その手首に振り下ろすような軌道の蹴りが命中し、腕が大きく弾かれる。
着地と同時に勢いを利用し、左手で目打ちを狙った。
入れ墨は頭を突き入れるように動かし、目打ちを額で受ける。
その時にはもう、アラタの右足は入れ墨の左足を捉えていた。
足の甲を思い切り踏み潰し動きを封じ、右の手刀で首を狙った。
入れ墨はそれにも反応した。
入れ墨はアラタの手刀を、左腕で受け止めていた。
受け止められたアラタの手には、手裏剣が握られている。
手首の返しだけで手裏剣を投げ顔面を狙った。
今度は防がれなかった。
密接距離からの投擲。入れ墨の右目に手裏剣が突き刺さる。
入れ墨が痛みに動揺したところで、勝負は決した。
両断、とはいかなかった。
入れ墨はやはりそれなりの手練で、最後の一撃に対しても回避をしようとした。
そのおかげで、めでたいことに入れ墨の首は胴体からは離れていなかった。
しかし、それは離れていないだけでしかない。
アラタの左手に握られた忍者刀が、入れ墨の首を抜けていた。
入れ墨は自らの首が落ちぬように両腕で抑えたまま絶命した。
素晴らしい切れ味。こうして人に対して使うと、ユキナの作った武器が優れたものだと実感できる。
アラタは振り向きざまに手裏剣を投げた。
斧が復帰し、動かんとしていたところに手裏剣が飛ぶ。
斧は武器を盾のようにし手裏剣を防いだ。
斧が信じられぬといった目でアラタを見ていた。
アラタも斧が全くの無傷であることに若干は驚いていた。
たぶん、必殺といえるような攻撃スキルを発動しようとしていたのではないかと思う。
そして、それを雷神にぶつけることで相殺したわけだ。
斧技の何でそんな芸当ができるのかは知らないが、眼の前で起きたことは受け入れなければならない。
斧は攻めて来る気配を見せない。
態度には出ていないが、仲間がやられて相当に動揺しているように思える。
SAMUEL-RES:今の一瞬でレイゲンをやったのか……
驚きから、聞かずにはいられなかったのであろう。
確かに短時間でやりはしたが、斧に意識を向けながらやるには楽な相手ではなかった。
そして、この斧も油断していい相手ではないはずだ。
なにせいきなりの雷神を防いだのだから。
ARATA-RES:一瞬? 三秒はかかりましたよ。師匠が見てたらバカにされているところだ。
SAMUEL-RES:三秒……
ARATA-RES:アナタがいなければ一秒でしたよ。
普通に嘘だ。
入れ墨は結構な手練で、一撃というのはアラタでも無理だ。
今の一合も無理やり短期決戦に持ち込んだだけで、かなりのリスクがあった。
それでも威圧しておく意味はある。
自らが不利に感じているところで相手が強気だと、想像以上にプレッシャーを感じるものだ。
ARATA-RES:相棒より何秒長く生きていられるか挑戦しますか?
斧からの恐怖を感じた。
アラタからの攻撃に備えているにも関わらず、戦意は感じない。
もはや攻めることは考えられず、自らが生き残ることだけを考えているように。
こうなってしまえば、あとは楽だった。
ARATA-RES:気が変わりました。
SAMUEL-RES:何がだ?
ARATA-RES:戦う気がない相手と戦っても面白くないですから、帰っていいですよ。僕の目的はユキナを救うことで、アナタ達をFDに追い込むことじゃない。
SAMUEL-RES:もう勝ったような言い草だな。
ARATA-RES:いいですから、そういうのは。じゃあチャンスをあげますよ。
SAMUEL-RES:チャンスだと?
ARATA-RES:逃げるチャンスをあげますよ。五数えるまで、僕は攻めませんし追いません。だからアナタはその間に逃げてもいいし、勇気を証明してもいい。
斧に迷いが生じているのは明らかだった。
表情を隠しきれていない。
ARATA-RES:じゃあ数えますよ。
斧からの返信はない。
既に体は逃げ腰で、今にも窓へと一目散に走り出しそうに見える。
ARATA-RES:五。
縮地を切って一気に距離を詰めた。
SAMUEL-RES:待て話しが……
抵抗すれば少しは変わったかもしれないのに、斧が最後にしたことは念信だった。
アラタの忍者刀が、斧の心臓を正確にとらえていた。
「数えましたよ、五って」
斧の身体が倒れる。
アラタの勝利はファンファーレではなく、力が全く入っていない人間が床に倒れた時の、不気味な音で知らされた。
アラタは部屋を見回す。
入れ墨の身体も、斧の身体もまだ部屋にあった。
一応限界まで蘇生待ちをするのは諦めが悪いのか、それとも死体を部屋に残すことで嫌がらせをしているのかどちらだろう。
ユキナは、最初から最後まで動いていなかった。
今も血に染まった顔でアラタをじっと見ている。
「大丈夫、じゃないですよね、その感じだと。遅れてすいません」
ユキナに文句の一つでも言われると覚悟していたが、そんなことはなかった。
ユキナがゆっくりと立ち上がる。
その顔はどこか呆然としていて、瞳の焦点が合っていないような気がした。
そして、その瞳から、ポロポロと涙がこぼれ始めた。
「いっ? だ、大丈夫です? 痛いですか?」
ユキナが泣きながらよろよろと歩き、倒れるようにアラタに抱きついてきた。
アラタは慌てて抱える。一体何が起きているのか。
アラタはこの部屋の惨状を見た時よりも、遥かに動揺していた。
「怖かったぁ……」
普段のユキナからは、想像もできないほど弱々しい声だった。
抱きついてきた身体は、本当に震えていた。
服をギュッと握られ、動くに動けない。
どうすればいいのか全くわからない。
そのぬくもりが、急にとてつもなく恥ずかしいものであるような気がしてきた。
アラタはユキナに抱きつかれながら、平静を保つために心の中で呪文を唱える。
現実ではオーク。
現実ではオーク。
現実ではオーク。
しばらくは、そうしていた。
ユキナが泣き止むまでは、たっぷり十分はかかった。




