74.恫喝
ユキナは驚きを押し殺し、あくまでも平常を装って笑顔を浮かべた。
「あらまぁお客さん?」
見覚えのある男だった。
表示されているプレイヤーネームはレイゲン。
確か一週間ほど前にユキナの工房を襲撃してきて、ロンに撃退された二人の内の一人だ。
最悪のタイミングだった。
ロンはおらず、カラクリも使えない。暴力的な手段に訴えられたら、ユキナに抗う術はない。
「俺のことは覚えてるか?」
レイゲンが言う。
「はて、どなたやったけ? ウチのとこに訪ねてくるプレイヤーは多くて……」
レイゲンは呆れたように首を振って、
「まあいい、単刀直入に言おうか、武器を寄越せ」
ドスのきいた声でそう言った。
明らかに剣呑な雰囲気であり、取引をして買おうといった態度ではない。
「なんの武器を売って欲しいん? バザーでシステムに取られる分くらいは割引できるよ」
それでもユキナはとぼけて言った。
今は少しでも考える時間が欲しかった。
「売れ、と言ってるんじゃない。寄越せ、と言ってるんだ」
「どういう意味?」
「言葉通りだよ」
「それに従わなかったらどうするつもりや?」
レイゲンの手には、いつの間にか短剣が握られていた。
「渡さなかったことを後悔することになる」
「怖いなぁ。あ、ロン! ちょうど良かった!」
ユキナはレイゲンの背後に向けて声をかけた。
当然ながらロンはいないが、相手の気が少しでも逸れればそれで良かった。
レイゲンは一瞬だけ気を取られていたが、振り向きはしなかった。
妙だった。ユキナの演技がそこまで下手だったということはないと思う。
それなのに、レイゲンはほとんど反応を示さなかった。
まるで、ロンがいないのをわかっているかのように。
嫌な予感がした。
それでもやることは変わらない。
ユキナはレイゲンの気が逸れた隙をついてラピッドウォークを切った。
バフが乗るやいなやユキナは脱兎の如く駆け出す。
入口がレイゲンに塞がれている以上、二階から抜け出すしかない。
散らかった工房を飛ぶような速度で横切り、階段に向かって一目散に駆ける。
階段を四段飛ばしで登りながら、ユキナは念信を飛ばした。
アラタ・トカシキに向けて「助けて」と。
バレるかバレないかギリギリのタイミングだった。
念信をしていることは、他プレイヤーにもなんとなく伝わるものだ。
背後から追ってくるレイゲンにそれが伝わったかはわからない。
もし伝わっていれば今後のやり取りがより性急なものになるはずだ。
それでも助かる手段はもはやこれ以外にないように思えた。
アラタが間に合うかはわからないし、助けてくれるかもわからないが、何もしないよりはずっとマシだ。
ユキナは階段を登りきり、祈った。
レイゲンは、過去に二人組でユキナの拠点を襲った。
今回は単独である、という可能性は低いと見ていた。
しかし単独であればこのまま逃げ切れる目がある。
そう考えて二階の部屋に飛び込み、部屋の窓を見て、祈りが通じなかったことを理解した。
窓から、人相の悪い男が入り込もうとしていたからだ。
待ち伏せだ。
どういう神経をしていればこれだけ人相の悪いキャラクリをできるかがわからない。
もしかしたら、シャンバラでも本当にこういった顔をしているのだろうか。
それならご愁傷さまなことだ。
とにかく、ユキナの逃げ道は塞がれていた。
ユキナは両手を上げて降伏の意を示した。
「降参降参、こりゃ敵わんわ」
「抵抗しないのか?」
人相の悪い男――プレイヤーネームにはサミュエルと表示されている――はそう言いながら、どこか残念そうにしているように見えた。
「抵抗したって無駄やもん、ウチか弱い乙女やし」
「余裕だな、ユキナ・カグラザカ」
声がしたのは背後からだった。
レイゲンだ。
ユキナが振り向くと、レイゲンは愉快そうに笑っていた。
「余裕やないよ。ほんまおっかないわ」
本心であったが、顔には出さないように気をつけた。
レイゲン達の要求は、武器やマニーだろう。
これを三日間の強制ログアウトと天秤にかけさせるつもりだろう。
覚悟を決めた。
三日間のログアウトは悔しいが、脅しに屈するわけにはいかない。
一度屈してしまえば、その噂はきっと広がる。
それよりは、三日間の強制ログアウトを受け入れた方が遥かにマシだ。
このゲームは、PKによって得られるものは基本ない。
だからレイゲン達からしたらユキナを殺したところで、決して得はしないのだ。
ただユキナが損をするだけである。
ユキナが絶対に脅しには屈しないという話になれば、ユキナに脅しをかけてくるヤツはそうそう出てこなくなるはずだ。
ロンの護衛を掻い潜り、ユキナとの戦闘に勝利してなお得られるものは、なにも存在しないのだから。
自らが強制切断になる可能性を受け入れてまでそんなことをするヤツはそうはいない。
そういった意味で、ここで脅しに屈せず死亡するのは先行投資とも言える。
「さて、武器を譲ってくれる気になったか?」
レイゲンの手に握られた短剣が鈍く輝いている。
「ならんよ。なんでウチがあんたらみたいなのに武器寄越さなアカンねん」
「ほう、今自分がどういう立場にあるかわかってるのか?」
「煮るなり焼くなり好きにせいや。けどな、ログアウトから明けたら覚えとき」
「ログアウト? 何か勘違いしてるようだな」
「勘違い?」
背後からサミュエルに羽交い締めにされた。
絶対に敵わないと確信できる筋力差。
おそらく二人共近接のクラスで、この密接状態からカラクリのないユキナが逃げ切れる可能性は万に一つもない。
「俺らがお前をログアウトさせたところでなんの得にもならないだろ?」
「スッキリするやん、復讐って大事やろ?」
「それじゃあ武器が手に入らないんだわ」
雲行きが怪しくなってきた。
「じゃあどうするつもりなん?」
「このゲームの痛みのエミュレーションはさ、1/64だよな確か。これは遊戯領域にしちゃあかなりの高さだ。1/124以下のゲームなんて俺は初めてだよ」
「なに言うてるん?」
レイゲンの顔に、嫌なニタニタ笑いが貼り付いていた。
ユキナは恐怖を表に出さないように、必死だ。
「兎人だっけ? その兎耳、面白いよな。そういう耳があるってどういう感覚なんだ?」
ユキナは答えない。答えれば声が震える気がした。
「現実では存在しない部位の痛みって、どんな感じなんだろうな?」
レイゲンが短剣を持って、ユキナに近づく。
「俺等は好きにやるからさ、武器を渡したい気分になったら教えてくれ」
兎耳の根本に、ナイフが当てられる。
「ちょ、ま……」
好きにやる、というのは本当だった。
待たれることは、なかった。




