186.代表者
メルクリウスの糸が通常通り機能したのは助かった。
メルクリウスの糸はよくあるダンジョンから脱出するためのアイテムで、戦闘中でさえなければダンジョン内のどこからでも入口に戻れるというものだ。
一連の異変によって機能しなかったらどうしようかと思ったが、アラタたちは海底神殿の十層から無事に帰還できた。
幽幻島に戻ると船は既になく、もしや戻れないのではと焦らされたが、島内を探索するとすぐに一方通行のポータルが見つかった。
アラタたちはハウスエリアの近くまで飛び、ハウスエリアに着くまでに一度だけ黒い獣と遭遇した。
目のない四足獣といった感じで、大きさは狼程度。
強さはそれほどでもなく、アラタたちは難なくこれを撃破した。
ギルドハウスに戻ると、主要なメンバーは全員揃っていた。
ヤンにメイリィ、それにニルヴァーナ内の格グループの代表者が談話室に集まってアラタを待ち受けていた。
総勢は15名程度だが、既に参加者の名前が覚えきれない。
一気に膨れ上がったニルヴァーナのメンバー達の代表であるのだが、アラタとは何度か会話を交わした程度の相手も多かった。
危機的な状況であるからにはそんなことを言っている場合ではないのはわかるのだが、アラタはどこか居心地が悪い気もした。
談話室に入るとアラタたちは他の面子にならって入口の近くに適当に腰を下ろした。
「お疲れさまでした。休んでもらいたいところですが、そんなことを言っている場合じゃないので」
ヤンが代表してアラタを迎えた。
「黒い獣の騒動ですね。ここに来るまでにも遭遇しましたよ」
一戦交えたところ、そこまで危険度の高い相手というわけではなさそうだった。
しかしそれも遭遇率と数によるのかもしれない。
「絶望的、と言ってもいい状況です。各地でプレイヤーが襲われています。黒い獣の個々の強さはそこまででもないのですが、数の多さが厄介だ。それに高レベルではないプレイヤーにとっては間違いなく脅威だ」
アラタはそれとなく部屋内の様子を伺った。
ほとんどの人間が不安そうな目でアラタを見ている。
まるでアラタがこの状況を解決してくれると信じているかのように。
「僕ができるだけ早くこの馬鹿げた何かを終えるべき、ということですね」
「それは絶対です。我々はいくらかの力添えしかできませんが。それとは別に、アラタさんの指示を仰ぎたい話があります」
「僕の指示?」
「今、全てのプレイヤーが黒い獣の危機に晒されています。特に危険なのは引きこもりを決めていたプレイヤーだ。彼らを助けるために生存組が動いていて、ニルヴァーナにも協力の打診が来ています。どうしますか?」
どうしますか、といきなり言われても困る。
アラタが固まっていると、助け舟のようにヤンから個人念信が来た。
YANG-RES:マスターなんですから、アラタさんが決めてください。俺個人の意見としては、有志を募って救助に協力するのがいいと思います。
「有志を募って協力してください」
アラタは教えられたままそう言った。
やはり組織を指導するなどガラではない。
つくづく自分は兵隊でしかないんだなと思い知らされる。
「わかりました。では生存組に返信してギルド内で有志を募ります」
ヤンからちょっと呆れた気配があった気もしたが、声にはそれを出ていなかった。
「ひとまず解散にしましょう。初期組はこの部屋に残ってください」
***
有志は思ったよりもずっと少なかった。
現在のニルヴァーナの所属人数は154名で、その内の61名が救助への協力を志願した。
なぜ少ないのかと言えば、怖いからだ。
アルカディアが閉鎖してからデスしたプレイヤーはどうなったか、それが問題だった。
戻ってきていないのだ。誰も。
転移できない状態でシャンバラに戻されようとした結果、一時的に迷子になっているのだろうという説が有力だが、消滅してしまったのではと危惧するものも多い。
死ねば死ぬ。
古の時代では当たり前だったその可能性に、今や全てのプレイヤーが恐怖していた。
この遊技領域内で死ねば、もしかしたら消滅してしまうのかもしれない。
だからこそ、危険を犯してまで他者を助けようとはしない者が出る。
だからこそ、危険を犯してでも他者を助けようとする者がいる。
そんな状況であった。
談話室に残ったのは初期からニルヴァーナにいる六人だった。
アラタ、パララメイヤ、ユキナ、ロン、メイリィ、ヤンが談話室に思い思いに座っている。
さきほどまでと比べると談話室が随分と広く感じられる。
「虹の岬、というところから最後の試練へと繋がる場所へ行けるはずです。場所はアヴァロニアの北北東。ポータルからは少し離れた場所になりますね」
パララメイヤがそう言った。
「それは確かなんですか?」
「だと思います。第二の試練の場所よりも、そちらの方が早く見つかったんです。複数のソースがありますから」
「じゃあ僕はそこに行けばいいわけだ。状況的にすぐ出た方が良さそうですね」
そこに行けば、ヴァン・アッシュとぶつかることになるのだろう。
一度どころではなく完敗し続けている相手と、今度はシャンバラの存亡をかけてやり合うことになるわけだ。
心の準備ができているのか、できていないのか、アラタは自分でもわからなかった。
ある種の諦めの境地にあるのか、それとも極度の緊張で感情が麻痺してしまっているのか。
全てをかけた最終決戦。
それは自然なことであるような気もするし、信じられないという気もする。
「そこに行くまでに俺らで護衛しようと思います。異論はないですね?」
パララメイヤ、ユキナ、ロン、メイリィの四人が頷いていた。
「護衛?」
「虹の岬に行くまでに、黒い獣には何度も襲われることになると思います。アラタさんが消耗したり事故がないように、俺たちで守るんですよ。本当はギルド総出で行きたいくらいですが、死んだらどうなるかわからない以上、強制はできませんしね。それにプレイヤー狩りをしていた者たちの動向も気になります」
そこでメイリィが立ち上がった。
「アタシがかなり狩ったんだけどねー。まだ一人、気になるやつが残ってるの」
「正体不明の敵が暴れまわってるのに、まだプレイヤー狩りなんてしてる者がいるんですか?」
「わかんないけど、アタシはしてると思うな」
「そういった意味でも、護衛は必須だと思いますね。俺たちは救世主様は守る栄誉を担うわけだ」
「やめてくださいよ。茶化すのは」
「それが、冗談ではないんですよ。俺はアラタさんに期待しています。ここにいる全員がそうだと思いますよ」
ヤンがまっすぐな目でアラタを見ていた。
他のメンバーも、あのメイリィすら異論を挟まなかった。
「俺は遊技領域で長らくプロとしてやってきたプレイヤーです。正直に言いますが、アラタさん以上の適任はいないと思いますよ。星を追うもの関係なしにアルカディアから誰か代表を選べと言われたら、それでも俺はアラタさんを推します」
ストレートに褒められると、アラタは反応に困る。
「褒めても何も出ませんよ」
「やる気とか、自信とか、少しでも出てくれるなら言う価値はあると思って言っています」
「アタシもなんか言った方が良い?」
メイリィの表情はからかう気満々で、いい予感は何も感じさせなかった。
アラタは扉に向かって振り返った。
これ以上からかわれたのではたまらない。
「行きましょう、さっさと」
アラタの宣言は、最後の戦いに挑むにはどこか逃げ腰に聞こえた。




